ヘタレ車掌の戯言 -4ページ目

ヘタレ車掌の戯言

毎日惰性だけで生きているヘタレ車掌の日常です。

こんばんは、ワタクシの住んでいる地方でも梅雨入りしましたが、涼しい日が続き梅雨らしいムシムシした感じはありませんね。昨日今日は半袖では寒いぐらいでした。

 

さて前回記事の続きです。

 

レールが1本もない扇沢駅からはまたまたバスに乗車します。

 

関電アメニックス松本230あ31 扇沢駅前 20181121

北アルプス交通バス松本230あ31の信濃大町行きに終点の信濃大町駅バス停まで乗車します。

北アルプス交通JR東日本大糸線信濃大町駅と関西電力関電トンネルトロリーバス(現在は電気バス)扇沢駅を結ぶ路線バス(アルピコ交通と共同運行)などを運行しているバス会社ですが、現在は関西電力系列の関電アメニックスによる事業の一つになっています。1961年の設立当初は関電不動産の子会社でしたが、2004年の事業再編によって関電アメニックス北アルプス交通事業部となっています。

 

~信濃大町駅でJR東日本大糸線にのりかえ~

 

JRE Mc211-3050 信濃大町駅 20181121

JR東日本211系クモハ211-3050の上諏訪行き普通に乗車します。実はワタクシ、大糸線は初めての乗車です。大糸線はJR東日本篠ノ井線松本駅とえちごトキめき鉄道日本海ひすいライン糸魚川駅を結ぶ路線で、松本駅~信濃大町駅間は信濃鉄道(現在のしなの鉄道とは無関係)が1915~1916年かけて開業させた区間(1937年国有化の上、大糸南線に編入)、信濃大町駅~中土駅間は鉄道省が大糸南線として1929~1935年に、小滝駅~糸魚川駅間は大糸北線として鉄道省が1934~1935年に開業させた区間、中土駅~小滝駅間は国鉄が1957年に開業させた区間で、この区間の開業によって松本駅~糸魚川駅間を通して大糸線に改称されました。信濃鉄道が開業させた区間は1926年に電化、信濃大町駅~南小谷駅間は1959~1967年に電化されますが、南小谷駅~糸魚川駅間は非電化のまま残され、1987年の分割民営化では電化区間の松本駅~南小谷駅間がJR東日本、非電化区間の南小谷駅~糸魚川駅間はJR西日本に継承されています。このような事情から同一路線ながらも1995年以降、両社にまたがる列車は設定されていません(1995年まではJR西日本所属の気動車が信濃大町駅まで乗り入れていました)。松本と魚川を結ぶのになぜ“大”糸線なのか気になるところですが、“大”は信濃町駅の“大”なんですね。

乗車したこの編成は1990年に宇都宮線・高崎線用として5両固定編成で導入、宇都宮線・高崎線へのグリーン車組込みに際しての10両固定編成扱い→上野駅発着からの撤退によるグリーン車と中間車の一部廃車による6両固定編成扱い(両毛線など高崎地区で運用)を経て2014年からは帯色変更などの上、3両固定編成として長野地区へ転用されています。

このままこの日のうちに帰宅することもできたのですが、あえて松本駅で下車して手配していたホテルに向かってこの日の行程は終了です。

前回記事の続きです。

 

黒部ダム駅には、先代のトロリーバス2形式の写真があったのでパチリ♪

 

関電100形写真 黒部ダム駅 20181121

100形は1964年の開業時から1968年にかけて10両導入されました。車体は当時の一般的なバスに準じたモノコック構造で、現在のバスよりも丸みを帯びていて、外板の貼り合わせ箇所にはリベットが多用されていました。300形よりバスっぽい形状ですが、シャーシは三菱重工業(当時)製、電装品は東京芝浦電気製の抵抗制御、車体は大阪車輛工業製と300形と同様の組合せでした。1974年に誘導無線を設置、1976年から1979年にかけて実施された車体改修工事で車号が元番号+10に改番されています。また開業当初に導入された6両は車体改修工事に際して車体中央部に外吊り式の両開き扉が設置されています。

 

関電200形写真 黒部ダム駅 20181121

200形は100形の増備車として1969年から1973年にかけて5両が導入されました。乗降扉は100形の先頭寄りから車体中央部に移り、外吊り式の両開き扉となりました。先頭寄りの扉は乗務員専用となりました。車内の座席は100形の前向きから三方シート(最後部のみ前向きでその他はロングシート)となり、収容力増加が図られています。1974年に誘導無線を設置、1979年から1981年にかけて実施された車体改修工事で車号が元番号+10に改番されています。その後、1988年から1991年にかけて乗務員専用の扉が乗降用に改造されています。

両形式とも経年による老朽化が目立ってきたことから1993年以降、300形に代替されて1996年までに全車引退しています。引退後はメキシコシティへ無償譲渡されて再起しています(現存しているかは不明)。

 

関西電力300形302の扇沢行きに乗車します。復路も1両編成で、のん気に写真撮っていたら座席が埋まってしまい立って乗ることに・・・

 

関電トンネル 県境付近 20181121

ブレブレですが富山県と長野県の県境通過

 

関電トンネル 破砕帯付近 20181121

またまたブレブレですが破砕帯通過。青い照明が幻想的です。

 

扇沢駅到着後は車庫の観察へ(見学ではなく降車ホームから)・・・

 

関電302 扇沢駅 20181121②

乗車してきた関西電力300形302の最後部

架線は地下鉄で見られるような剛体架線です。

 

関電310&312&1008 扇沢駅 20181121①

左側から関西電力300形310、312、電気バス1008

310は既に運用離脱済みなのか部品取りになっていたようです。1008は2019年4月から運行開始した電気バスです。

 

手前から関西電力電気バス1008、300形312、310、307

電気バス300形の後部を比較。310はトロリーポールや緑色と黄色のランプもありません・・・

 

関電1010&1012 扇沢駅 20181121

関西電力電気バス1010㊧と1012㊨

関西電力電気バス300形と同数の15台が導入されています。トロリーバスの300形が法規的に鉄道車両であるのに対し、電気バスは自動車となります。どちらも架線で電気を取り入れるのは同様なのですが、トロリーバスが車庫構内などを除いて常に架線からの集電で走行するのに対し、電気バスは蓄電池に充電して、その電気で走るいわゆるE V車のシステムになります。充電設備は扇沢駅に設けられていて、充電専用のパンタグラフによって10分間で急速充電されます。ベースとなっているのは日野自動車(ジェイ・バス)製のバスで、エンジンに代えて電動機(モーター)、燃料タンクに代えて大容量の蓄電池を装備しています。従来のトロリーバスでは整備工場への回送時に大型トレーラーに積まれて移動していたのですが、電気バスでは公道上を自走して回送するため、ナンバープレートを取得しています(トロリーバスは鉄道車両なのでナンバープレートがありません)。ただし、公道上では営業運転に用いられないことから(関電トンネルは関西電力の私道です)自家用の白ナンバーです。

 

関電303 扇沢駅 20181121①

関西電力300形303

 

関電1008&310&307&303 扇沢駅 20181121①

左側から関西電力電気バス1008、300形310、312、303

 

 

関電301 扇沢駅 20181121②

関西電力300形301

300形のトップナンバーです。次の列車も1両編成でした。

 

関電313 扇沢駅 20181121②

関西電力300形313

構内移動中の姿です。トロリーバスは架線から電気を取り入れて走る車両ですが、実は架線がないところでも蓄電池を電源として短距離の走行が可能です。

 

関電1013&315&314&313 扇沢駅 20181121

関西電力電気バス1013、300形313、314、313の後面

 

車庫構内は庫内を除いて架線がないのでバス営業所の整備工場そのものなイメージですね。ちなみにこの場所は乗車ホームの裏側になります。乗車ホームから見て、ホームと反対側の壁の向こうが実は整備工場とはよく考えた構造ですね。

 

関電 扇沢駅降車ホーム 20181121

“線路”です。

 

関電 扇沢駅前 20181121

扇沢駅前は観光客向けの駐車場しかありません(笑)

立山黒部アルペンルートはマイカー乗り入れができないので、ここに駐車していくか回送業者に立山方面に回送してもらうしかないのです。

 

これにて関西電力のトロリーバスとはお別れです。2018年1月30日の最終運行を以て関西電力は関電トンネルでのトロリーバス運行を終了し、併せて鉄道事業を廃止したのですが、開業以来54年間無事故を貫いてきたそうです。

お役御免となったトロリーバス300形ですが、運行終了を待たずに搬出が始まり残念ながら保存予定もなく全車廃車解体となっているようです(部品の一部は立山黒部貫光のトロリーバス用として譲渡されているようです)。

 

(次回以降に続きます)。

 

 

前回記事の続きです。

 

トンネル内の黒部ダムから続くトンネルを出て、黒部ダムに向かいます。

 

立山町 黒部ダム 20181121⑤

標高は1454mらしいです。この画像の右側が黒部ダムの堰堤なのですが、とりあえずは左側へ。

立山町 黒部ダム記 20181121

 

立山町 黒部ダム慰霊碑 20181121

慰霊碑

黒部ダムは、関西電力の水力発電用のダムとして建設されました。黒部峡谷への水力発電用ダム建設は大正時代から計画され何度か着手を試みるものの、その過酷な自然や険しい地形に阻まれて失敗を繰り返すことになるのですが、第二次世界大戦後の急激な電力需要の増加により関西電力では大規模な発電所建設を迫られることになり、何度目かの正直で1956年になって建設に着手することになりました。投じられた建設費は当時の関西電力の資本金の5倍にも及ぶ513億円、作業員は延べ1000万人という大規模なものになりました。完成は1963年、工事は7年に及びましたが、その間転落などの労働災害によって171名の尊い命が犠牲になりました(この他にも現場外の飯場が雪崩によって押しつぶされたりして87名が犠牲になっています)。この犠牲者を慰霊し、後世に伝えるためにするためのにこの慰霊碑が建立されています。

発電所自体は全て地下にあるので、地上からはその出入口や換気設備以外の構造物は見当たりません。

 

立山町 黒部ダム初代高欄 20181121

完成当初より約半世紀にわたって使用されてきた堰堤の高欄の一部が保存されています。

 

立山町 黒部ダム黒部湖側 20181121

黒部ダムの堰堤を黒部湖駅側から

 

で、堰堤を歩いて、その先のトンネルを歩いていくと立山黒部貫光(観光ではない)の全線トンネル内の黒部ケーブルカー黒部湖駅があり、立山黒部アルペンルートとしては、このケーブルカーに乗るというのがお決まりコースなのですが、今回のワタクシはアルペンルート踏破が目的ではないので(笑)、左に曲がってトンネルを出て黒部湖湖畔を歩きます。

 

立山町 黒部湖標柱 201981121

黒部湖は黒部ダム建設によって堰き止められてできた人造のダム湖で、広義の意味では黒部川の一部になります。

 

立山町 黒部湖かんぱ谷橋 20181121②

左がのつり橋はかんぱ谷橋

 

立山町 黒部湖 20181121①立山町 黒部湖 20181121③

この辺りまで来て引き返します。

 

立山町 黒部川 20181121

堰堤の上から黒部川の下流側を望みます。

 

立山町 黒部ダム ダムカレー 20181121

昼食はレストハウスでご当地メニューのダムカレー

ご飯を堰堤に、ルーを黒部湖に見立てた盛り付けです。あまりの寒さに体が冷え切ってしまうダム工事現場では、飯場でふるまわれるカレーライスは体が温まるご馳走だったそうです。

 

ダムカレーを食した後、黒部ダム駅方向へ戻るのですが、そのままトロリーバス乗車ではなく、駅左側にある220段の階段を上ってダム展望台へ・・・。

 

立山町 黒部ダム 20181121①立山町 黒部ダム 20181121④

観光パンフレットなどで見られる放水シーンは、11月だったのでありませんでした。この黒部湖と黒部川の水位差がわかるでしょうか?堰堤高さは186m、長さは492m、日本最大規模のダムです。ダム展望台の下もレストハウスになっていて、こちらでは黒部ダム建設時の映像なども鑑賞することができます。

この他、外階段や放水観覧ステージ、新展望広場などがあるのですが、季節柄、霜が会談に付着していて危険とのことでそちらはまたの機会に・・・。

 

で、このあと黒部ダム駅に戻ります(次回以降に続きます)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回記事の続きです。

 

関電308 扇沢駅 20181121①

関西電力300形308の黒部ダム行きに乗車します。性能的にはVVVF制御の“電車”なので、加速・減速時には阪急電車8000系(電装品は東芝製)みたいな変調音を発します。また、警笛もバスのようなクラクションではなく、阪急電車みたいな電気笛です。多客時には数台で隊列を組んで1つの“列車”として運転されますが、この“列車”は1両での運転でした。“鉄道”ですが、運転台は片方にしかないため、扇沢駅はラケット状の走行経路になっていまして、発車後右へ曲がって降車ホームや車庫への走行経路と合流して坂道を進み、落石除けガードを進むとほどなくして関電トンネルに入ります。この先は黒部ダム駅まですべてトンネル内を走ります。この関電トンネルは、関西電力が黒部川第四発電所(黒部ダム)を建設するための資材搬入ルート確保として建設されたもので、トロリーバス開通よりも早い1958年に完成しています。断面は後述する信号場部分を除いて大型自動車1台が走行できる程度と、通常の道路のトンネルよりは小さいです。トンネル進入後、青い光が見える場所は破砕帯といういわゆる断層のある場所で、このトンネル建設にあたって最も困難を極めた場所でした。現在も常に湧水が湧き出ています。その後に黄色い光が見える場所がありますが、ここが長野県と富山県の県境になります。

関電 信号所対向列車 20181121

さらに進むとトンネル断面が大きくなり、2車線になる場所がありますが、ここが扇沢駅発の“列車”と黒部ダム駅発の“列車”が行き違いをする信号場で、鉄道仕様の信号機(信号場進入部分に場内信号機、信号場出発部分に出発信号機)があります。また、“列車”最後部車両の運転士は、行き違い“列車”最後部車両の運転士と、通行票と言われる通票を交換します(閑散時間帯など、行き違い“列車”がない列車は扇沢駅~黒部ダム駅間の通行票を使用し、信号場での交換はしません)。信号場発車後ほどなくして「まもなく黒部ダム・・・」の放送が流れますが、まだまだ黒部ダム到着までしばらく走ります。黒部ダム駅発車経路と分岐してようなく黒部ダム駅に到着、扇沢駅からは概ね15分での到着になります。こちらの駅は前述の通りトンネル内にあります。扇沢駅では乗車ホームと降車ホームが明確に区分されていますが、黒部ダム駅は乗車客と降車客のルートこそ分かれているものの、ホーム自体は特に区分けされていません。到着後、慌ただしく追い出されることもなかったので(笑)、暫し308を観察します。

 

関電308 黒部ダム駅 20181121③

黒部ダム駅に到着した関西電力300形308

300形は、開業当初に導入された100形と、1969年から導入された200形の老朽化によって1993年から1996年にかけて15両導入されました。

性能的には前述の通りVVVF制御・交流誘導電動機を採用しています。車体はシャーシこそ三菱自動車製(現在、三菱自動車の大型車部門は三菱ふそうトラック・バスに分社化されています)2ステップ路線バス用ですが、バスボデーメーカーではなく、100形200形同様関西鉄道事業者の車両改造や特殊車両を数多く手掛けている大阪車輛工業での製造です。前面方向幕がないなど先代の100形200形と比較すると、バスより電車っぽい部分も感じられる車両です。前面上部にある緑色と黄色のランプは、最後部車両かそうでない車両の識別のためのもので、最後部車両の場合は黄色2灯、それ以外の場合は緑色1灯を点灯します。

 

関電 308前輪 黒部ダム駅 20181121

シャーシは三菱ふそうバス用のため、三菱マークが・・・

 

関電308運転台 黒部ダム駅 20181121

関西電力300形308の運転台

ステアリングこそ三菱ふそうバスのものですが、計器盤は速度計、圧力計、電流計、電圧計などが並び、このあたりは“電車”ですね。ちなみにブレーキやアクセルはオートマの自動車と同じようなペダル操作です。走行区間がほとんどトンネル内なので、列車無線は地下鉄などで多用されている誘導無線です。前面窓の曇り止めは、自動車的な温風式デフロスタではなく、ガラスに仕込まれた熱線式で、このあたりも“鉄道”車両らしいですね。

 

関電308車内 黒部ダム駅 20181121

関西電力300形308の車内

こちらはバスっぽいですね。中扉は艤装上、戸袋を設置できないので外吊り式になります。関電トンネル内は夏もひんやりしているので、冷房はありません。

 

関電308 黒部ダム駅 20181121③

関西電力300形308の後部

黄色と緑色のランプは後部にもあります。屋根から生えている2本の黒い棒が架線から電気を取り入れるトロリーポールです。かつては路面電車などでもトロリーポールが用いられていましたが、一般的なレールの上を走る“電車”では1978年の京福電車を最後に見られなくなっています。架線とトロリーポールが2本ずつあるのは、直流電化(600V)なので+線と-線があるためです(レールの上を走る電車ではレールのが-線になりますが、ゴムタイヤでアスファルトの上を走るトロリーバスではそうもいかないので、架線を2線張る必要があります。)。ディーゼルエンジンのバスではエンジンがあるべき部分は、VVVF装置が鎮座しています。トロリーバスは自動車ではなく、あくまでも“鉄道”車両なので、お馴染みのナンバープレートはありません(かつて大都市で見られたトロリーバスも自動車としてのナンバープレートはありませんでした。)。

 

大雑把に308を観察した後は、黒部ダム駅を出て太陽にあたることとします(次回以降に続きます)。

新元号“令和”も、施行後早くも1か月が経過し6月となりました。最近、ブログを書くのも正直めんどくさくなってきた(笑)のですが、溜まっているネタがあるのでダラダラ書いていきたいと思います。

 

昨年の11月は、HKT48秋𠮷優花ちゃんの生誕祭参加のために福岡に遠征してしたので、もう遠征はないだろうなと考えていたのですが、この月末で廃止になってしまうアレにどうしても乗りたいな・・・と思いつき、有給休暇を使わない範囲(夜行バスを使って日帰りか1泊)で行けないか?と画策した結果、泊まり勤務明けの11月20日夜出発で11月22日帰宅なら何とかなりそうだと判断してお出かけ!を決行しました。出発日含めて3日間の日程で、完結まで何日かかるかわかりませんがお付き合いいただければ幸いです。

 

まずは新宿駅に隣接したバスタ新宿からスタートです。

 

アルピコバス15032 バスタ新宿 20181120

アルピコ交通バス15032の長野駅・善光寺行きに長野駅前まで乗車します。京王バス東との共同運行路線で、昼行便主体の路線ですが、バスタ新宿発の片道のみ夜行便があります。夜行便はアルピコ交通の担当になります。京王バス東が絡み、中央高速バスのグループに含まれる路線ですが、中央自動車道ではなく関越自動車道・上信越自動車道を経由します。長野駅前には定刻ですと5:08到着ですが、途中順調に進みましたので5時前には到着していました。ただ、11月の長野で5時前って・・・

 

長野駅善光寺口駅前温度 20181121

こんな気温で放り出されるという(笑)

 

バス停の目の前にアルピコ交通の案内所と待合室があるのですが、到着した時点ではまだ閉鎖状態(5:20から開放)で、とりあえず0℃の街をフラフラw

 

案内所が開いた頃合いを見計らって戻ってきて、次に乗車するバスの乗車券を購入してまたまた時間調整。そう、ここの乗り継ぎは3時間ちょっとあるのです(笑)。以前、長野駅に来た時には、駅ビルにマクドがあったはずで、それを期待していたのですが、残念ながら撤退してしまったようで・・・

 

で、次のバスに乗るためにJR東日本北陸新幹線・信越本線長野駅東口に向かいます。

 

アルピコバス04189 長野駅東口バス停 20181121

アルピコ交通バス04189の扇沢駅行き特急に終点の扇沢駅前バス停まで乗車します・・・扇沢駅と聞いてピンとくる方もいらっしゃるかと思いますが、今回の目的は扇沢駅から乗車するアレですよ(笑)。ちなみに扇沢“駅”は、この時点では鉄道の“駅”でしたが、レールはありません。

レールのない鉄道?モノレール?

いやモノレールは桁がレールだからモノレールですよね?

新交通システム?あれも走行路がレールですよね?

 

関電 扇沢駅改札 20181121

改札口ですよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・と、もったいぶってもしょうがないので(笑)

 

まずは改札前のいろんなモノから・・・

 

関電 扇沢駅撮影パネル 20181121

観光地にありがちな顔出しパネルの類ですね。

 

関電101模型 扇沢駅 20181121①

関電101模型 扇沢駅 20181121②

関電101模型 扇沢駅 20181121③

初代の“電車”の模型が展示されていました。このタイプの“電車”は1964年から1996年まで活躍していました。

 

関電 扇沢駅トロバスラストイヤー写真展示 20181121①

開業当初から現在(去年)に至るまでの写真が展示されていました。

 

関電 旧型車計器盤 扇沢駅 20181121

こちらは初代あるいは2代目の“電車”の計器盤です。

 

関電 扇沢駅トロバスラストイヤー写真展示 20181121②

映画“黒部の太陽”に石原裕次郎・・・ここまでくればもうおわかりですね(笑)

 

2018年11月30日を最後に“鉄道”としては廃止となった関西電力直営のトロリーバスに乗りに行くというのがこの“おでかけ!”の目的なのでした。

 

改札を入ってホームに上がってご対面~(笑)

 

関電308 扇沢駅 20181121①

関西電力300形308の黒部ダム行き・・・黒部ダムマスコットキャラクターの“くろにょん”がお見送り(笑)

トロリーバスって電気で走るバスじゃん!と思われる方も多いかと思われますが、法規上は“無軌条電車”というれっきとした“鉄道”でして、一般的な鉄道と同じ法規である鉄道事業法(1988年までは地方鉄道法)あるいは軌道法(路面電車などに適用される法規)が適用され、運転士の操縦免許も自動車の大型二種の他に鉄道の操縦免許である動力車操縦者運転免許の無軌条電車運転免許が必要になります。日本におけるトロリーバスの歴史は意外に古く、1928年に阪神急行電鉄(現在の阪急電車)宝塚線花屋敷駅(1961年に雲雀丘駅と統合されて雲雀丘花屋敷駅に)から新花屋敷駅を結ぶ日本無軌道電車が開業したのが最初とのことですが経営不振で数年で廃止、その後は京都市電気局(現・京都市交通局)が1932年に、名古屋市電気局(現・名古屋市交通局)が1943年に開業させるものの、本格的な普及は戦後1950年代に入ってからで、川崎市交通局東京都交通局大阪市交通局(現・大阪市高速電気軌道/大阪シティバス)、横浜市交通局が開業させました。当初はレールを敷設する必要がないことから路面電車より建設費が安いこと、路面電車と変電設備などが共用できること、ディーゼルエンジンのバスより性能がよく排気ガスを出さないことなどがメリットとして挙げられますが、走行できるのが架線のある範囲に限られ車線変更が容易でないこと、トロリーバス同士の追い越しができないこと、集電装置のトロリーポールが架線から外れやすいことなど、デメリットも多く都市交通としてのトロリーバスは1972年までに全廃されています。

一方、1964年には関西電力が黒部ダムへの観光客輸送手段としてトロリーバスを採用し、半世紀以上に亘って運行してきました。これは、走行区間の大部分がトンネルでディーゼルエンジンのバスでは排気ガスがこもることが考えられることと周辺環境(国立公園)への配慮によるものとされています。電気設備や1993年から導入された300形の老朽化と保守部品確保が困難となりつつある実情や、近年は小型で大容量の蓄電池が開発されたことで、今後は扇沢駅停車中に充電する電気バスでの運行に変更することとして2018年11月末を持ってトロリーバスを廃止、併せて鉄道事業も廃止とすることになりました。

 

・・・というわけでくろにょんに見送られて308に乗り込みます(次回以降に続きます)。