高知の小学生が水泳の授業中におぼれて亡くなった事故で、指導や子どもの安全監視にあたっていたのは教頭と学級担任2人の計3人ということだ。

 全体指導教員が1人、個別指導教員が1人で、教頭がプールサイドから全体の安全監視をしていたのだと思われる。

 指導にあたる担任以外に、常にプールサイドから全体を監視する教員を1人つけるのが一般的であり、今回も人数的には問題がなかったであろう。もちろん教員の数が多いに越したことはないが、1学年の学級数が少なければ今回の人数でも不適切ではない。

 問題は、水の中に入って指導をせずプール全体の安全監視役の教員の行動である。すべてはこの教員が原因であろう。私も水の中に入らずにプール全体の安全監視役を何度もやったことがあるが、プールサイドを歩きながら常にプール全体を見ながら水の中の子供達の危険な行動と水の底に目を光らせていた。おそらくプールのどこの底に子供が沈んでも、潜水ではないと判断した時点で(おそらく20秒以内)、水の中にいる担任達に叫んでそのことを伝え、私自身もプールに飛び込んで助けに向かうだろう。

 私の想像では、今回、全体監視の重要性ややり方がわからない教員が、他の仕事をしてプールから目を離したり(ビート板を片づけたり塩素を入れたりなどで)、ボケ~ッと水の中で練習している子供たちを眺めていたして起きた事件ではないかと想像される。

 ある小さな小学校に勤務していた時に教室で授業をしていると、突然窓の外から女性教員の「ギャー」という声が聞こえてきた。プールにいた教員の叫び声だった。子供がプールに沈んでいたのである。どれくらいの時間が経過したのかわからないが、残念ながら子供は亡くなってしまった。その後も数年間、いろいろと大変だった。今でも叫び声が頭から離れない。水泳学習の恐ろしさを、教員たちは肝に銘じてほしい。

 原口議員が、都知事選で敗れた石丸伸二氏の動画を見て、「底知れぬ「恨」を感じる」と指摘していた。

 石丸氏に対する私の印象は原口氏と異なり、石丸氏は誰かを恨んだり怒りをもって誰かを攻撃したりしているのではなく、市議会において近所のおじさん、おばさんたちのような議員を言いくるめて(揚げ足取りが多かったのだが)いい気になり自信をつけてしまった結果、言葉遊びで相手を問い詰めることに快楽を感じるようになり、いちいち相手の発言に楽しんで難癖をつけているように見えるのである。一種のお遊びである。「恨」などとは正反対の人物ではないだろうか。

 女子バレーの日本代表主将である古賀紗理那選手が、オリンピックを最後に現役を引退すると発表した。

 本番直前でそんなことを言ったら、仲間の選手達や監督などの指導者たちも悲しみ動揺して、試合に集中できなくなると私は思うのだが、そうではないのだろうか。

 もしかしたら、古賀選手は引退を発表することで、選手たちがさらに頑張るようになると思ってこの時期に発表したのだろうか。そうだとしたら、私にはそう思えず、逆効果だったと思うのだが。

 オリンピック直前の発表は、やめたほうがよかったと思う。

 

 都知事選は、小池氏が当選確実となった。蓮舫氏はハッタリが崩壊すると一気にダメになりそうだし(打たれ弱い)、2位だった石丸氏は、主張を聞いていると知識や経験がないために具体的な話ができず、やはり力不足の感が否めなかった。

 消去法で、やはり小池氏なのだろう。

 なぜ芸能人には、新興宗教をやっている人が多いのだろうか。他の職業と比べると信者の割合が多いように感じる。

 芸能人を勧誘できると、広告塔になって信者を増やせるから、芸能人に対する勧誘活動が激しいのだろうか。

 日曜夜9時からのドラマは、表現力やオーラがすごい実力のある俳優が主役の本格的なドラマなのでずっと見てきたが、ついに今日からいわゆる「ジャニタレ」が主役となり、周りを主役級で固めて補うという、いつものパターンとなる。

 TBSの日曜劇場だけが最後の砦だったが、これで日本のドラマも終わった。日本における歌謡文化とバラエティ文化、ニュース文化(不都合なニュースから逃げるキャスター)がジャニタレ集団によって衰退し、唯一のドラマ文化も・・・。恐るべしテレビ局とジャニーズ。

 だから、テレビ局はジャニーズ問題が公になった時に第三者による社内調査を拒否してはいけなかったのである。「反省なしに進歩無し」なのだが、テレビ局は改善を避け、現状維持の道を選んだ。自分たちの会社だけの話ではなく、日本のテレビ文化や日本社会をどうしていくかの大問題だったのに。最後で最大のチャンスを生かさず馬鹿だなあと思う。

 経済学者の成田悠輔氏が、「聞かれてもない話を延々とする人は通り魔」と、旧ツイッターに投稿したことがニュースになっていた。

 この人は、家族や友人、同僚、知り合いなど、自分と話をする相手には自分が聞いたことだけを短く話してもらいたいのだろうか。そんな人間関係って想像ができない。

 この人は自分を、人類の支配者や神だと思っているのだろう。生まれてから数十年もたつ大人なのに、このような認識や思考とは、なんとかわいそうな人なんだろうと思った。

 久しぶりに「旅サラダ」をみた。相変わらず、旧ジャニタレの中丸氏が中継のレポーターをやっていた。

「おはようございます~~~」、「中丸です~~~」。爽やかな土曜の朝から厳しい。なぜ彼は、「おはようございます」の「す」を伸ばすのだろうか。お笑い芸人のやす子氏が、ふざけて言う時以外に最後の「す」を伸ばす人は、彼を除いて他に一人もいない。お笑い芸人でもないのに、違和感と不快感がすごい。

 また、スタジオから名前を呼ばれているのだし、テレビの出演者がテレビに出るたびに自分で自分の名前を叫んでアピールする人は、彼以外に一人もいない。自分を売るための刷り込みに他ならず、私には気持ち悪く感じられる。自分より年上の人との会話で、ため口を吐くのも、とても不快だ。

 土曜日と日曜日の朝ぐらいは、爽やかで明るい(非常識な根暗が必死にふるまうことではない)人の番組にしてもらいたい。

 ジャニタレ問題から逃げ回ってニュースを報じない仕事放棄のキャスターが、作り笑顔でテレビに出てくる。演技力が乏しいのにドラマの主役ばかりやり、補強のために他の出演俳優を一流で固める。出演者とのやり取りが下手で、カスカスの声で必死にカンペを読むだけの人が、毎年音楽祭の司会をやる。能力が極端に劣っているのに、なぜテレビ局はいまだに旧ジャニタレばかりを最優先するのだろうか。

 癒着、不平等、不正・・・。テレビ局は何も変わっていない。変われなかった理由はただ一つ、ジャニタレ問題の際に、第三者のみによる社内検証をかたくなに拒み、「反省しなかった」からである。

 テレビを見ていると、最近のお笑い芸人達は、一般人の日常会話のようなことを言い合って、お互いに手をたたいて大笑いしている。

 お笑い芸人達が「おかしい」と感じるレベルが、なんと低いことか。おかしくもない身内のバカ騒ぎばかりを見せられて、一般視聴者はかわいそうだ。

 今どきのお笑い芸人達が「おかしい、おもしろい」と感じるレベルが最低であるために、自分たちが笑わせようとして発言する内容がおかしくもなく、一般人レベルでの普通の会話になってしまうのであろう。

 もちろん、このような状況を作り上げているのはテレビ局である。恐るべし、テレビ局。今のテレビ局は、なんでもできる(自粛しない24時間テレビや「セクシー田中さん」の加害者による検証、世間の声より癒着を優先させる旧ジャニタレ中心のドラマや司会、歌番組等々)。

 みんな、うな丼やうな重が好きだが、白焼き(タレ無し)が好きだという人はいない。白焼きは、通ぶっている人がごくごくたまに注文する程度だろう。

 ということは、ウナギがおいしくて好きなのではなく、タレ(と液体がしみ込んだ時のウナギの食感?)が好きということではないのだろうか。