学歴詐称の伊東市長が辞任をして再出馬するという。判断を市民にゆだねる戦法に打って出た。これをやられたら、もう終わりである。

どんなに悪いことが公になっても国民は自民党を第一党にし、兵庫県の斎藤知事を再当選させ、伊東市長も再当選させてしまうだろう。

政治家は悪い人で溢れ返っているが、そのようにしているのは国民である。そのことをずる賢い政治家たちはよく知っているから、不正がばれたら「辞任してすぐ立候補」の戦法をとる。

政治家達よ、頼むから愚かな(社会の秩序を崩壊させ、政治を腐敗させる行動をとってしまう)国民を利用することだけはやめてくれ~。

今日は令和7年7月7日で、スリーセブンとなる。

どこかでイベントでもやっているのかネットで調べてみたら、鉄道の記念切符の発行が多かった。日付が印字されるからであろう。他にはめぼしいものは無し。あれっ、めぼしいとはどういう意味なのか。

調べてみたら、意味は「特に目立っていること」で、「目星(めぼし)を形容詞化した言葉」とあった。目星・・・、そういえば今日は七夕か。「七夕」で調べれば、夢のある素敵なイベントがたくさんヒットしたのかもしれない。

朝からパチンコに行ってみるか迷っていたが、「七夕」という美しいイメージの文字を見たおかげで、ネガティブな事ばかり考えている自分に気づくことができた。落ち着いて考えると、打ちに行っても勝てる保証など全くない。最初で最後の日ということで、調子のよい妄想が膨らみ過ぎていた。危ない、危ない。5~6万円のプレゼント(パチ代)をもらった気分である。

お星さま、ありがとう。

7月20日に参議院選挙が行われる。それに関わって、「フェイク」という言葉を最近よく耳にするようになった。立候補者の足を引っ張るようなニセ情報がSNS上に出回るのだろう。ちなみにフェイクとは、「意図的に偽りの情報を作り、真実であるかのように見せかける行為」ということになっている。フェイク動画も出回り、監視を続けていくという。

しかし普通に考えれば、立候補者が街頭演説やテレビなどで力説している公約も、党やベテラン議員、実力議員たちの方針に従うしかないだろうし、官僚の反対を押し切って実現できるわけもないのだから、投票してもらうためのフェイクに過ぎない。単なる自分の願い(一般市民の願い)に過ぎないことを、実現できるかのように訴え、国民に投票させる。立候補者の公約を聞いて投票するシステムであるならば、実現できない時には国会議員を強制辞職することもシステムに組み込まなければおかしい。

立候補者のこれまでのこと(経歴ややって来たこと)だけが事実である。それしか確かな判断材料はない。だから今後のことを話す街頭演説も主張広告もいらない。立候補者の「お願いします」の連呼や握手して回る行為に至っては意味不明である。「(今だけ?)いい人だから投票して。国会議員にして。」ということなのだろうか。適切な投票判断をさせない行為にしかならない。

社会は、わけの分からないことであふれているが、ほとんどの人が気づいていない。

 私は若い時からドラマが好きで見てきたが、テレビ局によって作り上げられた演技も魅力もないジャニタレが主役のドラマは気持ち悪く感じられたので、ここ5年程は半分ほどのドラマしか見なくなっていた。

 ジャニーズ事務所やテレビ局の不祥事が明るみに出て、少しは改善されたのかと思い、今日からTBSで始まる新ドラマ「麻薬取締部捜査課」の出演者を見たら、まだジャニタレが主役だった。

 テレビ局は懲りないなあ。というか、自分たちがおこなってきた喜多川氏の性犯罪に対する黙認、及びふざけた自主検証による世間の欺き(加害者自身による調査と調査結果の公表)、一部の出演者と局員との癒着(女性局員の芸能人への献上)等々、何が悪いのか、今後どうすればいいのか、本当にはわかっていない感じがする。だから、真の反省もできない(外部の専門委員から教えてもらって、つまみ食いで表面的に繕うだけ)だろうし、一部の芸能人(ジャニタレや吉本芸人)との不公正な癒着関係などもやめられないだろうし、やめる必要性もわからないのだと思う。

 例えば、生まれつきのやくざに道徳を説いても伝わらないだろう。つまり、要は「人」なのである。局員全員を変えるしかないと私は思っている。いい人が入社しても、そこ(テレビ局)で育った者は大なり小なり必ず染まってしまうものであるから、やはり全員でなければいけないのである。

 今年もFNS歌謡祭の司会は、通らない声でカンペを読み続ける彼であった。

 視線をカメラの横に向け、目が微妙に動き続けている。一生懸命、音読しているのだろう。

 カンペではなく、出演歌手のほうを向いて話すのは、「いかがでしたか」だけ。アドリブもまともなやり取りもできない。芸能人の魅力もオーラも個性も能力も・・・。そして何よりも喉だけで必死に声を出そうとするので声が通らず聞きにくい。なぜ、彼なのか。ジャニタレ時代からの癒着以外、理由が考えつかない。

 魅力も能力もないジャニタレたちを、ドラマの主役にしたりバラエティの冠番組を持たせたり、歌謡祭の司会をやらせたり、ニュースキャスターにしたりなど、どんなに大きな社会的事件の当事者になったとしてもテレビ局が本質的に変わることは絶対にできないのだろう。

 ジャニタレと吉本優遇ではなく公正・公平な偏らない出演者人選、お笑い芸人達の全ての発言に大笑いの音声をバックにかぶせるなどの異常に過度な演出、砂上の楼閣(エセ芸能人)を作り上げる手法、違法行為や不適切な行為の根絶等々、テレビ局はこれからもやりたい放題だと思う。40~50年前は、後世に残るような曲を歌ったり歌唱力のある人だけがテレビに出ていた。過度な演出なしでも本当に笑えるお笑い芸人達だけがテレビに出ていた。現代の軽くて能力のないテレビマンたちが日本の芸能文化を貶め、陰で犯罪行為(喜多川氏の犯罪を数十年にわたって黙認したり、女子アナを芸能人に献上したりなど)をしながら、給料をもらうようになった。テレビを見ていても、歌番組もドラマもバラエティも全くつまらない。私が死んでから、今のようになってほしかった。

 なぜ、曇りなのにサングラス?

 なぜ、ジャージ(アディダス)で海外旅行?

 なぜ、大きなキャリーバックを持ったまま観光?

 なぜ、日本の習慣やマナーがわからずに注意を受けると逆切れ?

 なぜ、スーパーやデパート、電車内などで、必要以上の大声で会話?

 なぜ、歩きながらスマホで会話?

 なぜ、観光スポットでゆっくり写真撮影?(なかなか移動せずに大行列が進まない)

 なぜ、奈良公園で神の使いである鹿をグーパンチ・蹴り?

 なぜ、なぜ、なぜ・・・

 

 ほとんどが中国人観光客なのだが、理由は習慣の違いなのだろう。では、なぜ習慣の異なる他国に行く前に、本やネットで訪問国のマナーやルール、習慣を調べて守ろうとしないのだろうか。

「他人(他国)に迷惑をかけない」ということだけは、世界共通のマナーやルールだと思っていた。

 最近のサンドイッチマンの旅番組や街ブラ番組を見ていると、食べ物への執着(飲食店ばかり食いつく)、強引さ(ゲストに無理やり食べさせる)が、異常に感じられる。

 サンドイッチマンの人柄が好きだったし、旅番組なども見ていて楽しかったのでずっと見てきたが、半年ほど前から全く見なくなった。

 彼らは根が謙虚だし、ゲストなど他人を大切にする人柄だったから好感度がナンバー1だった。傲慢で自己中になってしまっては、視聴者は離れていくだろう。

 ジャニタレは、社長をはじめ田原氏や中居氏などのベテランから中堅、若手にいたるまでごらんのとおりである。

 吉本興業も、ベテラン、若手問わず、犯罪まがいの人(や犯罪者)が多い。

 テレビ局は、芸能人たちのこれまでのコンプラ違反を公表して正義ぶっているが、テレビ局もこれまでダウンタウンの浜田氏による若手への全力での暴力(顔パンチやキック)や女性への公開性暴力(篠原氏への胸モミなど)の番組を作り、東野幸治氏による女性芸能人への性暴力(口へ無理やりキスしたり女優の股間へ顔をうずめたりなど)の番組を作り続けてきた。テレビ局が最近コンプラ違反で非難している芸能人たちより、もっとひどいことを長年やって来た。それは、誰が指摘し、告発するのだろうか。

 芸能人もひどいが、自分たちのことを棚に上げて芸能人たちをつるし上げ、社会の批判をかわして正義感ぶっているテレビ局が最も悪であり、このような芸能界の犯罪的悪しき習慣を作ってきた元凶(芸人たちをあおってやらせたり黙認したり、あるいはそのような芸人を番組に採用し続けたりしてきた)だと思うが、違うだろうか。出演者決定や番組制作の権限を持ったテレビ局さえまともであれば、何も起きなかった。普通に、公平・公正で明るく健全な番組や芸能界になっていたはずである。

 喜多川氏の性犯罪を長年間接的にサポートしてきたことも含め、これまでのテレビ局のコンプラ違反、法律違反をすべて洗い出して告訴してくれる人は、表れない者なのだろうか。テレビ局自身に自分たちのことを調査させて、ほどほどにガス抜きのコメントを出させ、「ごめんなさい」、「これかが気を付けます」でゆるしては、悪人たちの思うつぼであり、ジャニタレと吉本芸人、そして最も狡猾で責任の大きいテレビ局が変わることはできないと私は確信している。

「岩手県職員が台湾旅行中に盗撮したとして逮捕」(FNNプライムオンライン)

 岩手県は田舎(いなか)だから、研修がほとんど無いのかもしれない。というか、ほとんど何もわからないような気がする。「研修って何?」、「何するの?」という世界ではないだろうか。

 県職員は様々な部署を数年おきに転々とするらしい。いいかえれば、慣れていない人など誰にでもできる仕事内容なのだろう。専門性もなく、「しらない」、「わからない」、「こういうルールになっている」の3つだけ言えればできそうである。代わりがきくような仕事をするために自分は生まれてきたのかと自己の存在意義を考えると、県職員たちも悲しいことだろう。

 毎日子どもたちに自分の考えを訴え将来の国民を育て上げている教員や研究成果を未来のために残していく大学研究者などと異なり、田舎の県庁では、あなた(県職員)がいなくても他の人がやったのである。そのレベルなのだから、県職員や市町村職員が、市民や県民などに対して威張ったり、詭弁で追い詰めたりしてはいけないのである。 

 首都圏の地方公務員は、どこに行っても腰が低くとても丁寧である。住民ファーストだ。地方公務員の傲慢(ごうまん)度で、悪い意味での田舎度がわかる。

 橋下徹氏と古市憲寿氏がテレビに出演しなくなったら、どれほどテレビが楽しくなり日本社会が穏やかになることだろう。

 いや、国民や社会に与える影響などまったく考えずに、彼らをテレビに出演させ続けては祭り上げ、炎上商法で視聴率を稼ぐことしか考えつかないテレビ局が、いつも通りの元凶であろう。

 いろいろな人はいる。存在自体は悪ではない。自分がいつでも正しいと思っている人は近所にもたくさんいる。だから、どのような人をテレビに多く出演させるかの選択権を持ち、意図的に国民をあおり、視聴率を稼ぐ判断をしているテレビ局が悪ということになる。とりあえず、テレビ局は櫻井氏や相葉氏、松本潤氏等、魅力も能力も演技力もないジャニタレ(その証拠は、彼らの周りをいつも主役級の多くのお笑い芸人や多くの実力派俳優などで固めている)との癒着を改め、喜多川氏の性犯罪を黙認したり女子アナ社員への性接待強要や社内でのパワハラ等々をすべて洗いざらい公表して罰を受けなければ、テレビ局が健全な会社になることは不可能である。なぜならば、「反省なしに(真の)改善や進歩はない」からである。

 形だけ改善したかのようにみせても抜け道を選んで陰で不正をやるだろう。これまで通り、バレなければ、いやバレるまでやり続ける。そして、ばれたら知らん顔を通す。比較的ましなテレビ局(ずる賢いテレビ局?)は自分で自分のことを調査したまねをして逃げきる。テレビ局が今後もこのようにしない理由はない。