どうもしょーごですイヒ

先日、子どもの卒園式がありました。

自分の子どもが自分と同じ幼稚園を卒園し、当時卒園者として参加した自分が保護者として参加する。

何ともまぁ感慨深い話です。

子どもにとっては、卒園というものがどういうものなのか良く分かっていないかもしれません。

僕自身も当時は良く分かっていなかったと思います。

それよりも、小学生になる楽しみの方が強いからでしょうか。

先日のブログでも書きましたが、僕の子どもはどうしても頭の良い小学校に通いたかったらしく、「パパは電車で小学校行ってたの?」と聞いてきます。

残念ながら君と同じ小学校です。

ただ、私立の小学校に通えば賢くなれるという訳ではないと思います。

一部の研究では、偏差値の高い学校の教育が必ずしも優れているという訳ではなく、優れた学生が偏差値の高い学校に通うので、自然と学校全体の学力が維持されるという結果が出たりもしているそうですうーん

要は親としての教育と本人のやる気の方が重要なのではないでしょうか。

コロナの影響で学校行事等が満足に実行できない分、少しでも家庭環境を充実させてあげたいと思いますニコ

それではまたイヒ
どうもしょーごですイヒ

今月20日、東京ではソメイヨシノの開花が確認されたそうです。

ともなれば、いよいよ花見シーズン到来となる訳ですが、昔から疑問に思っていることがありますうーん

花見といえば、友人や会社の同僚などと一緒に酒や食料を持ち寄って宴会みたいなイメージがあるんですが、あれは『花見』と呼ぶべき行為なのでしょうか?

花を見ることを口実に、ただ好きなものを飲み食いして騒ぎたいだけなのではと思ってしまいます。

僕は特に花に興味がある訳でもないので、『花見』という名目でホコリと排気ガスまみれの料理を食べようなどとは一切思わないのですが、もし僕が花が好きなのであれば、一人でゆっくりと眺めたいと思うであろうと感じるのです。

だって他人と一緒だと、好きなはずの花を自分のペースで見る余裕なんてないじゃないすか。

なので、別に好きでも何でもないどうでも良いものだからこそ、風情のある環境を平気で台無しにできるんじゃないでしょうかねー

多くの人は言い訳をしながらご都合主義で生きていると思っているのですが、その最たるものが世間で認知されている『花見』と呼ばれる愚行なのではないでしょうか。

純粋に花を楽しむ花見であるならば素晴らしい慣習だと思うんですけどね。

余談ですが、日本に存在する多くの桜はクローンで、接ぎ木で人工的に増やしたものがほとんどだそうですニコ

科学の力ってしゅごい!

それではまたイヒ
どうもしょーごですイヒ

ブログを書き始めてから半年ほど経つでしょうか?

毎日書いていたんですが、とうとう昨日はブログの更新ができませんでした。

というのも、ここ最近になって突然忙しくなったんですよ。

仕事もそうなんですが、特にプライベートでしょうかうーん

まぁ暇でゴロゴロしているよりは余程良いので、忙しいからといって毎日が嫌になる訳でもありません。

寧ろ充実した日々を送っていますニコ

そんな中、父から長文のメッセージが届きました。

簡単に書くと、『墓参りに行け』という内容でした。

字面的にはもっと柔らかい表現でしたが、あれは『行け』ということで間違いありません笑

細かい事情を説明するのもあれなので割愛しますが、現状、墓参りに行けるのが僕だけなんですよ。

厳密には他にも行ける人はいるんですが、行く気がないのでねー

そして僕はというと、ここ三年程、忙しい日々が続いており、なかなか墓参りに行く余裕が無かったんですね。

そして少しは落ち着いて来たかな?というタイミングでのそれという訳です。

僕が子どもの頃から時折一緒に墓参りには行っていましたが、父は、自分の母親(僕の祖母)を亡くしてからというもの、とにかく良く墓参りに行っていました。

なので、自分が行けなくなった今、墓がとても心配なのでしょう。

過去に少しだけブログに書きましたが、僕は父との間に余り良い思い出がありません。

その墓に対する熱意を、ほんの少しでも子育てに向けられなかったものか。

まぁそれは今でもそんなに変わりはありませんが…。

賛否が分かれる意見かもしれませんが、僕は今を生きている人を第一に優先して生きたいと考えています。

それは妻であったり子であったり両親であったり。

家族のために使ってあげられる時間を削ってまで墓参りをしようというのは違う気がするんです。

勿論、それが大切なことだと教えてあげるのも親として大切な務めだとは思いますが。

ただ、僕自身、子どもの頃に家族と行った墓参りよりも、人生でただ一度だけ父にしてもらったキャッチボールの方が鮮明に覚えている訳で…。

父に遊んでもらった記憶といえば、その一度のキャッチボールしかないんです。

もしかしたらもっと幼い頃、遊んでもらったことがあるのかもしれません。

でも僕の記憶のどこを探してみても、たった一度のキャッチボールしか残っていないのです。

だからこそ、僕は家族との時間を誰よりも大切にしたいと思うのかもしれません。

墓に眠っている人からすれば、墓参りに来てくれれば感謝もするでしょう。

しかし僕ならば、死んでからよりも生きているうちに感謝したいと思うんです。

死んでから突然親身に寄り添ってこられても…ねぇ?

敢えて言い訳と書きますが、僕が素直に墓参りに行けないのはそういった経緯も関係している気がします。

でも、そうやって父親の愛情を何も感じられなかったからこそ、今では自分の子ども達に目一杯の愛情を注いであげようと思える自分がいるというのもまた事実なのでしょう。

そういった意味では感謝もしてるんですよニコ

だからちゃんと墓参りには行きますよ。

平日、家族が誰も家に居ない時に一人で。

それではまたイヒ