氣多神社 富山県高岡市伏木一宮1丁目10-1
越中国(現在の富山)には一宮が6社(※雄山神社が3社)もある全国的にもめずらしい地域で、国津神を祀る神社が多く残る地域でもあります。
氣多神社
732年能登国一宮の気多大社より御分霊(大己貴命)を勧請され越中國一宮氣多神社となる。
とあります。
一説によると718年に僧行基が開基したとも言われています。行基は白山修行の祭に加賀の「山中温泉」「山代温泉」の源泉を発見したといわれる人物です。
御祭神
大己貴命(おおなむち命 大国主命と同一神)
奴奈川姫命(ぬなかわひめ命)
ぬなかわひめと大国主命のエピソード
ぬなかわひめが、大国主命に求婚され(求愛の歌とひめの返答の歌は有名です)大国主命の熱意に惹かれ結婚するというエピソードが描かれています。
しかし、実際の求婚の歌の意味は、出雲の王「大国主」が高志国女王「ぬなかわひめ」に「結婚(服従)を受けなければ民を殺す」と脅され、民を守るために結婚(服従)を受けたというエピソードとの説もあります。
本殿(国指定重要文化財)
氣多神社の清泉
鳥居の手前の坂道に清泉があり、同神社が建てられる前から、湧き出ていたといわれています。
気多の杜 高志のみはらし
高台に神社があり、天気の良い日の見晴らしは最高です。
御朱印です
大伴神社
気多神社の拝殿の横にひっそりとたたずむ神社
大伴家持は、越中国守として746年に着任されます。万葉集の編纂に携わった人物で、全4,516首中473首を占め万葉歌人のなかで最多数です。特に越中で暮らしていた5年間で223首よんだといわれます。
車で10分程走ると雨晴海岸があります。
万葉の歌人大伴家持が風景をこよなく愛し多くの歌を詠んだ地です。
義経岩 義経社
源義経が奥州へ落ちのびる途中、雨が晴れるのを待ったといわれる岩です。その上に義経社があります。
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