「いや、ちょっと待ってよ。今晩は俺も佐々木も小野寺ん(の)()にお世話になるけど、明日の夜は俺ん家だ。

 一関から俺ん(とこ)、大原(大東町摺沢)までは車で一時間ぐらいだ。折角来たんだから、佐々木、良いだろう?、泊れよ。

小野寺も明日は俺ん()に泊れよ。一緒に酒も飲めるし、その後に運転しなくて済む。飲酒運転はバツだからね。

 三日目は、(俺ん()の)近くに有る唐梅館の城跡を見に行くとか、(げい)鼻渓(びけい)の舟下りを楽しんでよ。

 否(いや)(あし)東山(とうざん)記念館に絶対に行こうよ。大槻玄沢や幕府の堀田正敦の意向を受けて仙台藩の養賢堂の再建、改革に乗り出したのは大槻平泉だろ。

 蘭学科の設置もそうだけど、俺達の(学ぶ、東北大学)医学部の前身を造ったのは大槻平泉だ。

 その平泉の活躍の前、仙台藩が学問所を整備するに、学ぶ者に身分の違いは要らぬ、武士の子に限らず、商人の子であっても農民の子であっても区別は要らぬ、席次は年齢順にすべしと、人間平等を説いた人物に俺の育った大原、大東町、東山渋民村出身の芦東山が居るんだ。

 その考えが仙台五代藩主、伊達吉村やその取り巻きの反感を買って、(芦)東山は実に二十四年もの間、宮城県の加美町(かみまち)栗原市(くりはらし)にある藩の目の届く屋敷内に幽閉されたんだ。

 だけどその幽閉中に、刑罰は人を(さと)すために有る、死刑や苦役(くえき)の処罰を科すだけでは人は改悛(かいしゅん)しない。世の中は良くならない、駄目だと書いた「無刑録(むけいろく)」を編纂している。

 近代的刑法の先駆者として今に評価が高くなっているんだ。

 二五〇年以上も前にだよ。江戸時代にだよ。凄くね(ない)ー?。

 高校生になって初めて知ったよ。それまでは近くに記念館が有っても、あっ、そう、って感じだった」

「小野寺。千田の言う通りにしよう。

 聞いているだけで、見習うべき人物って感じがしてきた。

 その記念館に行って見よう。

 歴史上の人物って、やっぱり、後世に伝えるべき何かを持っているね」

「うん、分かった。そうしよう。

 予定を変更するって、夜、(うち)に戻ってから親父、お袋に言うよ。

 今日の(車の)運転は俺がするけど、二人とも免許証は?」

「ああ、持ってきた。東京に帰れば親父の車を運転するけど、仙台では必要な時にレンタカーだね」

「俺も、(運転免許証を)持ってる。

 高校の卒業式の終わった後、限られた三月中に(免許証)取った。

 嬉しくて、嬉しくて。当初は親父の車で家の周りを運転し回ったよ。

 だけど、仙台に出てから運転していないからな・・・。

 親父お袋が、折角医者の卵になったんだ、(医師の)国家試験に受かるまで、正規に医者になるまで、仕事で車が必要になるまで運転はするなってさ。

 俺も必要な時に、隠れてレンタカーを利用している」

「ハハハ、三人が三様。自慢の出来る(運転の)状況にないね。

 無理せず、今日も明日も安全運転で行こう」

 良い天気だ。看板どおり茶店と理解して良いのか、パン屋と呼んだ方が良いのか、入る前よりも青空が広がっていた。

 駅入り口とコインロッカー等を右に見ながら進むと、駐車場は満杯の表示になっていた。