二百メートルも来たか、天工(てんぐ)(ばし)だ。俺にとってお目当ての橋だ。駐車場探しに手前で戻りもした場所だ。

「ここが連れて来たかった橋だ。

  厳美渓が大槻玄沢に何か関係が有るのって聞かれて「有る」と言ったのは、この厳美渓の美しさであり、渓谷の呼び名であり、この橋にまつわる歴史だよ。

 今の橋が、何代目の天工橋になるのか分からないけどね」

 幅が三、四メートル、長さ五十メートルはあるだろう。結構傍を車が通るが、歩道が確保されているのが良い。

「大槻玄沢は、故郷、一関に戻ったのは四度記録されている。

 江戸遊学を終え、帰郷を余儀なくされたものの故郷で結婚をした天明二年と、

単身赴任して、父の危篤と病没。家督相続のために帰京せざるを得なかった二年後の天明四年。

 そして、単身赴任を解消するため、母、妻子、弟を呼び寄せるために帰郷した天明七年の三度目と、

 そうそう、天明七年は大飢饉に襲われ民衆が米屋を襲うなど江戸でも地方でも打ち壊しの有った年だ、松平定信が老中に就任し寛政の改革を始めた年だよ。

 それから実に二十五年振り。五十六(歳)になる玄沢が世にも有名な蘭学者になり、功なり名を成し遂げて故郷に錦を飾るが如くで帰郷した文化九年だ」

 語りながら松の木の側に在る石碑に千田と佐々木を案内した。一つの石碑に「厳美渓橋碑について」と有る。その傍に高さ三、四メートルも有る石碑だ。

「高いこの石碑は、復元された物だ。

 この辺りの川沿いの岩盤の上に、元の石碑が有ったらしいよ。

 昭和二十二年(一九四七年)の九月に、キャサリン台風とか言う台風が襲って磐井川がもの凄く増水した。

 大雨は山津波を引き起こし、土石や流木がこの辺りに怒涛のように押し寄せて来て、元々あった石碑を破壊、流してしまったらしいね。

 幸いに、一関市博物館に、元の石碑の碑文の拓本が残されているんだ。

 明日行って、見れると思うけどね」

「平成十年か・・・。

 この復元も、俺達が生まれる前の物になるね」

「厳美渓橋碑について」の石碑の最後の行を指さして千田だ。

「石碑と大槻玄沢の関係は?」

 佐々木の質問だ。

「それを言いたかったんだ。それでここに案内したんだ。

 この厳美渓は、元々、昔から五串渓(いつくしけい)と呼ばれていたらしいんだ。

 玄沢が山ノ目の中里村や一関市内で育った江戸時代にもそうだった。

 それが何で今の(げん)美渓(びけい)になったのか。厳美渓と呼ばれるようになったのか。

 そこに大槻玄沢の存在が有るんだ。

 とすればここにある「厳美渓橋碑について」の周知する表現、中身も、書き方も変わってくると思う。

  駅前の大槻三賢人の銅像だけでなく、厳美渓の名称は大槻玄沢によって今日に至っていると、この渓谷を紹介するに書かれて

    然るべき事だよ。

  大槻玄沢の次男、平次郎(六次郎とも言う。元服して平次郎と名を改めた)、後の大槻磐渓だけど、彼は十八歳(文政元年、 

 一八一八年)の春に初めて一関を訪れた。

 その時の彼の旅日記(戊寅遊記(つちのえとらゆうき))が今に残されている。

 そこに、今の厳美渓を言うに数字の()と串刺しの()、渓谷の()の字から成る五串渓(いつくしけい)(今日の厳美渓)が出てくる。

 江戸から平次郎に同伴したのは、大槻玄沢の芝蘭堂に学ぶ佐々木中沢(ちゅうたく)だ。

 中沢はその前の年、文化十四年(一八一七年)に一関藩の藩医と成り、大槻宗家の当主、七代目大肝入り大槻(おおつき)丈作(じょうさく)(大槻(きよ)(おみ)、大槻平泉の兄)の長女()和子(わこ)と結婚していた。

(大)肝入り丈作は玄沢が田舎に()る小さい頃、まだ赤ん坊だ。農業にも川遊びにも、また、秋の山菜取りや冬の狩猟(かり)にも何かと面倒を見て呉れたのは丈作のお父さん、平泉のお父さん、専左衛門(大槻清雄)さんだ。

    故郷を引き払った玄沢にとって、大槻宗家は今や故郷そのものだった。

 そのことも有ってだろう、小さい頃から身体のひ弱だった平次郎の初めての長旅に、行先が一関、同伴者に中沢、玄沢にとっては打って付けだった」

「ゴメン、肝入りって何?」

 千田の質問だ。

「江戸時代、大肝いりは村の自治組織の頂点に立つ存在だった。

 領主からの命令を村人に伝達したり、年貢の徴収や村の治安維持などの役割を担っていたんだ。

 庄屋様とか名主様と呼ばれて居たと言った方が分り易いかな」

「分かった」

「平次郎と中沢(ちゅうたく)の二人は途中仙台にも寄った。

 医学部の独立、講堂の整備など養賢堂の学頭にもなって活躍している大槻平泉に四、五日世話をして貰っている。

平泉は、丈作の弟なんだ。

 それからに一関に到着している」

(二人は、文政元年五月六日に江戸を発ち、仙台に十三日から十八日まで滞在。二十一日に一関中里村の大槻宗家に到着している)

「それで、何で(げん)美渓(びけい)が大槻玄沢なの?」

今度は佐々木の質問だ。

 

 

[付記・1]:いやー、良かった。上手くなったもんだ。昨日のサッカー、日本対チュニジア戦を観戦してその感慨が第一に感じられることでした。

 スポーツ観戦は大好きです。放映される大リーグは何々かをしながらも朝早くからの放映にあろうと毎回見ています。海を渡った選手を応援しています。 

 サッカーはワールド杯関連だけを見ているのですが、これほどに海外に出て活躍している選手がいるんだー、とそれも驚きの一つでした。

 何でそこでボールを奪われるんだよ、浮いたボールを見ながら、何でゴールポストから外れたボールばかり打つんだよ。観戦する度にそう思って居たのですが、先日のオランダ戦も昨日の試合も今までの小生のサッカーに対する印象を覆す物でした。

 

 頑張れ、日本。今度の金曜日のスウエーデン戦、絶対勝て。

 

 サッカーが野球同様にプロ化した当時、職場で、あんなサッカーの何処が面白いんだ、野球より面白い何て考える人がいるのか、そんな話が飛び交った時もあったのです。それから数十年、年寄りの自分でさえ、今は応援したくもなります。

 野球やサッカーだけではないんですよね。今やバスケットにバレーボール。テニス、卓球などなど、スポーツと言えば野球だけで育った吾々の世代と違うなァと改めて思います。年寄の自分だけど、プロ化したスポーツーつ一つを今では応援したくもなります。

 

[付記2]:今日のこの投稿を以って、今年一杯、投稿をお休みさせて頂きます。令和九年1月3日からブログ投稿を再開させて頂きます。

 長くもなった「小説・大槻玄沢抄」に、玄沢は何をした人?、との倅(二女の夫)と老妻の言葉から反省し、急遽、書き足している「第29章、大槻玄沢を語る」です。

 読んで下さる皆様ご承知のように、東北大学医学部の前身が、大槻平泉や大槻玄沢、江戸幕府の若年寄であり仙台藩主の後見人である堀田正敦等による仙台藩養賢堂の医学部門です。

 そこで、東北大学医学部に学ぶ現代の学生3人を登場させて、大槻玄沢その人の功績、活躍と人生をなぞる場面の執筆に取り組んできました。

 これまでの文献調査で書ける範囲に有ると高をくくって現代人を登場させ書き出したのがこの4月半ば。しかし、取り巻く現代の社会事情を織り交ぜて三人を書かねばならない、それでまた語る周辺の関係資料の調査が必要になる、知る必要が有ると気付いた小生です。

 

 今日までに、400字詰め原稿用紙凡そ300枚書いても、まだ書きたい所の70パーセント。昨年の夏に、一関の山ノ目駅、龍澤寺、平泉中尊寺、毛越寺を再度訪れたもの、厳美渓を訪れた最後は7年前です。執筆しながら、昨日今日の厳美渓を観ながら感じるところで書かねばと思う所です。

 それ故、厳美渓をブログ投稿中ですが、ここで、思い切ってお休み頂こうと決心した次第です。何分にも、目が霞み、パソコン画面を見るにも苦労している自分の一面も有るのです。

 この夏にも、74歳と68歳になる妹弟と話し合い、誰も住んでいない故郷にお墓参りに行くことにしました。その際、厳美渓に寄ってみようと思います。小生自身は、途中からパソコン一つを抱えて老妻、妹弟、娘たちと行動を別にし、外に一関、仙台の関係個所に暫し逗留しようと思ってもおります。

 

 4月10日以降、ブログランキングに参戦させていただきました。月曜日から金曜日までの投稿の殆どはベストランキング入りしているとアメーバ事務局から通知をいただいて居ります。

 この間もまた、数十人の方がフォロワ―になり、そしてその取り消しをしておりますが、それでもお読み下さっている方々に大きな変化が見られました。

 以前は、読んで下さるのは男性97パーセントだったのですが、今は女性が10パーセントになりました。また年齢層も70歳以上が実に90パーセントを占めていたのですが、今では60歳代、30歳代、40歳代、50歳代と読者層が広がり、70歳代以上が70パーセントです。

 お読み下さる時間帯も圧倒的に朝の5時頃から午前中が90パーセントを占めていたのですが、今ではお読み下さる時間帯は18時から19時が第1位、20時から21時に読む方も増えていて、時間帯が広がっています。それらのデータをご連絡頂き、小生は執筆の励みにしております。

 

 また、この凡そ2カ月、小生の作品の読まれている第一位は処女作「サイカチ物語」と連絡があって少しばかり驚きもしています。登場する高校生5人が、その後どの様に有るか、それを書いたのが作品「それぞれの道」です。小生が休ませていただく間に併せてお読み下されば幸いです。

 

 多くの方から励ましのコメント、いいねポイント等を拡大して得る事が出来ております。今では書道師範の番長さんから書いて頂いた「初志貫徹」を机の前に貼りだして励みの一つにしております。

 また、ちちんぷいぷいさんの4コマ漫画に面白さを感じ、昔の小生の日本赤十字社勤務の時を思い出しもました。コメントによるお返しのつもりがリブログをクリックして、ご迷惑をおかけしたかもしれません。お詫びいたしますとともに、しばしの休息で再度ブログ投稿に戻って来て下さい。期待しております。

 

 お読み下さる皆様、元気に再会しましょう。勿論、小生はお休みの間に大槻玄沢抄を上梓しようと思っております。

 

 最後までお読み下さり。有難う御座います。頑張んべー。

 

令和8年6月吉日

                                                     藤沢 勉

 

追伸:我が家の小さな庭でも、キュウリ、ナス。ピーマン、ミニトマトが収穫できるようになりました。また、巨峰の初収穫を楽しみにしています。サクランボは上手く受粉出来ませんでした。(佐藤錦は自家受粉出来ないとかで二本目の樹を植えてみましたが・・・、数年したら切り倒すようになるかもと不安を抱きながら引き続き試してみます)・・・。庭に来るスズメ、キジバトのツガイ。これらもまた小生を励ましてくれる材料です。