念の為

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にぎやかなことが好きで

目立ちたがり屋のくせに

女がいると酒の席でも

無口になるあいつ

まだ若造のくせに

酔いがまわると誰も彼にも

説教するあいつ

近頃じゃ正義さえも

うすっぺらなやさしさで

でっかい愛がどこにもないと

こぶし叩いたあいつ

 あいつの馬鹿さ加減を肴に

 朝まで飲もうか

 しんみりやるのは似合わないからな

何だか分からないうちに

大人になった俺達を

遠い国から見下ろしながら

きっと笑ってるだろうな あいつは

 

格闘技なんかが好きで

いつも体を鍛えていて

酔いどれた朝のホームで

空にほえてたあいつ

最近の若い女には

良妻賢母がいなくなったと

この国の明日までをも

憂いていたあいつ

 あいつの馬鹿さ加減を肴に

 乾杯しようか

 しんみりやるのは似合わないからな

何だか分からないうちに

大人になった俺達を

遠い国から見下ろしながら

きっと笑ってるだろうな あいつは

 

「あいつ」中村雅俊 2001年シングル

作詞:工藤哲雄

作曲編曲:都志見隆

 

 

この後に続けるのは父の話。

 

 

愛媛に行きました。

去ること4月19日20日21日、50周年アンコールツアーが佳境を迎えたTULIPのコンサートで愛媛県 松山に身を委ねていました。

いくら好きだと言っても、ただそれだけで関東在住の僕がそこまで足を運ぶのは、我ながらあくまで自分事としては、尋常でない評価です。自分を考えた場合。自分の場合。

 

 

なぜ愛媛

いつになくチケットが取れない状況にこの度TULIPはなっていました。足を運ぶ範囲を広げてコンサートに参加出来る可能性の上昇に努めました。

 

「どうせなら」という事で、僕が幼少時代を過ごし父の故郷である愛媛県を候補の一つにしたのでした。

当初は岡山県と広島県でエントリーしていました。 岡山も広島も父が定年後、単身赴任で赴いていた土地だったのです。今になってその時の父に最大限の敬意を感じないではいられなかったのです。

 

でも「あれ?いや待て。岡山広島行くのが想定内ならそれを拡張して愛媛だ」と一念発起したのでした。心に浮かぶ順番が、初めから優先順位通りではない僕でした。 こんな事でもなければなかなか愛媛まで行く背中押しは無いだろうと気持ちを堅め結果を待ちました。

そして愛媛行きが叶ったのでした。

 

 

 

 

今日の本題です

 

大体のところ季節ごとくらいで父のお墓の掃除に行ってます。まわりに他の人は居ませんから「また来たよ」と墓前で挨拶をして掃除に入ります。そのあとしゃがんで目を閉じ手を合わせます。

願う事というかお願いはいつも同じ。「あの時はごめんなさい」と謝るのもわりと恒例。こどもですね。一通り済み「また来るよ」と声をかけお墓を見つめます。また次の季節まで。

 

これっていったいなんなんですかね(笑) 

 

墓前で手を合わせている時、そこで父が静かに眠っていると僕は思っているっぽいです。

今振り返ってみますと。

 

最後、父の身体は焼かれてそしてなくなりました。灰と煙になって大地と天空へ。

自然に抱かれています。

 

焼かれてしまうこれからをいよいよ火葬場で迎えた時。 身を引きちぎられる辛さに覆われました。 けれども、父を激痛で苦しませたその身体からもう離れられるのだと思い直しました。

 

でも、心であるとか気持ちであるとか、その総称の魂は、今何処で・どうなっているのか永遠の謎です。けれども、これについて僕は全然答えを求めていません。

 

な、ものですから。このような自分であるものでしたから・・・

あともう少しこの文にお付き合いください🙇)

 

僕がこどもの頃、四国と本州(記憶にあるのは岡山)の移動手段はフェリーでした。村下さんに「松山行きフェリー」という歌がありますよね。 

 

人の着想と、それを実現してしまう情熱と技術と尽力に舌がぐるぐる巻きになります。橋が架かり電車で海上を渡れるようになりました。

 

ガタンゴトンと鉄橋を渡る音が耳に心地よく響き(けたたましくだったかもしれません)眼下にはまさに目が覚める洗われる海の青濃い青重厚な青。そして白波をのぞかせながら渦(うず)巻きがあちらこちらに← →本当にあちらこちらでグルグルしていました。まさに🍥でした、鳴門海峡🍥

 

※いつもそうかもしれませんが、いつになく小学生の作文みたいな風味ですね💦

 

ここで!!

その画像を何枚か、あるいはハイテクノロジーでショートムービーを貼り付けるのがアメブロガーとして気が利いてると思います。

観たいですよね

 

しかし、この時ぼくは・・・

 

その景色がその目に見えるよう父の写真を両手で持って構えていたのでした。

 

よくよく考えてみると父は確かにお墓で静かに眠っているっぽいです&魂だから -僕の拙いイメージでは- 魂が今もあるとするなら(無いようにも思われますが)父が希む場所なら、ましてや故郷であれば自由にいつでも行ける感じがします。

だから・・・

 

これっていったいなんなんですかね(笑)

 

 

 

これは帰りの新居浜駅を車窓から

父の生家が新居浜なのです。

(今はもう誰か他の人の土地)

この景色を父も見ていました。

 

いま読んでくれてるあなたにも

そして僕自身にも

海の写真を撮っとくべきでした(笑)

今は記憶の中だけです。

 

 

 

 

エンディング

今日は父の話でしたが。

雅俊さんの「あいつ」が聴きたくなった気分でした。

(公式)

 

ここまでありがとうございました。

偲び話しかける、慕う

(了)

 

 

 

 

 おまけ

このブログを書いてる人の死生観らしきもの

それが垣間見える過去記事

 

本稿とあわせて矛盾するかもしれませんが、

基本的にも応用でも発展でも、結論として

死後の世界があるだなんて思っていません。

ただ魂だけが謎です。

 

 

 

 

 

ここまで拙い僕にお時間割いてくれまして

本当にありがとうございました。