「え?」となる瞬間。

 

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病院は好きではなく入院なんて真っ平ごめんだった父。でも自力で立てなくなってしまった。深夜、トイレにどうしても行きたくなってしまったら、隣で寝ている母を起こして手を借りなきゃならない。 でも間に合わない。これが続いてしまった。 この時の父の心情を思うと今でも胸が苦しくなる。父は入院を決めた。

 

入院先の病院までは、家の車で行った。道すがら「春先には、ここは桜で満開になるよね」と母。

 

「もう(家には)戻ってこれなくなるのか」と穏やかに笑う父。「え?何言ってんの」と笑って返すぼく。

 

父が癌の宣告を受けたのは実は20世紀のおしまい頃。そこから随分と経つ。信じられないくらいに仕事は続けて居た。知らない人から見たら単純に元気だった。見事な生命力だったと思う。 病を身に抱えて二十年近くで、取り乱したり気持ちが荒れたりすることは-あくまでも-知る限りでは無かった。 どうにも避けられずいつか来てしまうその日を忌み怯えながら「本当に癌なのか?」とずっとずっとずっと思って居た。そんな恐怖を和らげてくれるくらい逢う時には元気だった。 

 

異国の古い童謡になぞらえて-ちょっとだけ違うけれども- ぼくが生まれた時から実家には振り子時計が掛けられている。その振り子を人の鼓動・脈動と結び付けるなら、父は無上に律儀に誠実にその音と共に生き抜いてくれて居た。  その父がついに入院を決めた。

 

 

 

 

亡くなった際に医師が教えてくれた。

「身体中痛かった筈です。それにもかかわらず我儘も文句も言わず私たち医師や看護師を逆に気遣ってくれてました」

こういうところは、どうやらぼくの血をちゃんと受け継いで居たらしい(笑) 凄いな、。。

 

 

 

入院して一週間、父を見舞った。

この時は少しだけぼくは参ってしまった。病は確実に悪い方向へと進行していた。自力で身体を起こすことがもう出来なくなった事よりも、言葉が聞き取りづらく ろれつがまわらなくなって居た。ほんの数日前には普通に喋れた父が言葉を発することさえにも全身全霊で必死だった。見舞ったぼくと病院内を散歩したいと言う。 母にも看護師さんにも「また今度にしましょうね」と諭された父。   今にして思えば、ぼくが小学生の頃夏休みに遊びに行ったときの爺ちゃん(父の父)と‘全く’一緒だった。父は間違いなく爺ちゃんの血をひいていた(笑)。 別れ際に「また来る」と言って父の手を握った。信じられないくらい長い時間、そして強い力でぼくの手を握り続けた。

 

 

 

それがぼくと父の最後の会話だった。

 

 

 

 

 

二日後。

父が入院してから母は毎日見舞っていた。

家族内では、父がこれから緩和病棟に移る手続き - なかなかその席(空き)がなく、それでもなんとか目途がつき、お金の話など - について確認を進めている矢先だった。 入院してから一番というくらいに穏やかな顔をしていたという。 「また明日来るね」と告げて母は病室をあとにしたという。 母がエレベーターを降り病院の外に出たまさにその時、母の携帯が鳴ったそうだ。  父は誰にも看取られずに一人で幕を閉じた。

 

 

その時がついに来てしまった。

母から電話を受けた。2018年、平成30年12月5日、午後四時半。小さく「え?」だった。 急いでタクシーをつかまえた。運ちゃんに状況を告げ、出来るだけで構わないので急いでほしいとお願いした。  この時に涙がこみ上げてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

----- それから。

 

それは深夜。

 

特に何もせず何も考えていない時、それは不意に訪れる。

 

父がぼくの名前を呼ぶ。

今まで3回。

はっきりと聞く。「え?」となる。

 

書いたように何もせず何も考えずなものだから本当に魂消る(たまげる)。

書いたように何もせず何も考えずなもんだから、余計にはっきり聞き取れる。

 

空耳ではない。幻聴ではない。。。と強く思うからこそ、やっぱりそれこそが空耳であり幻聴なんだろうとも思う。 でもなあ…  はっきりとぼくは聞いたと言える。 …からこその空耳、幻聴なのでしょう。。。

 

 

ここからは先は精神年齢ひとけたの疑問 ‘父は今、どこでどうしているのだろう’と思ってしまう事が本気である。 父がひっそりとこの世を去った後から一番つらかった瞬間は、父の元へ駆けつけた時よりも、そこから数日後の火葬場でのまさに「その」瞬間だった。 焼かれてしまうことがなんとも言えず施しようがないくらいに辛かった。これで本当に今生の別れとなると突き付けられたからだ。でも前世も来世もそんなものは全く信じても居ないし願ってみてもいない。 父が本当に居なくなってしまう事がただただ寂しかった。 でも、父は自分の思い通りに動かせなくなってしまった身体とその痛みに苦しみ、それを我慢しなくても もうよくなったのだ、父を苦しめた身体から解放されて穏やかになれるように送り出すのだ、と、なんとか折り合いをつけた。

 

 

そして

 

今まで3回、父の声を聞いた。ぼくの名を呼ぶ声だ。

 

な、もんだから「父は一体いまどこで何をしているのだろう」だなどと思ってしまう。灰になるだけさ、とはなってくれない。 焼かれて確かに灰となり、また一方大気中に舞い上がり吸い込まれ漂って、、、というのはよく分かる。大きな言い方をしたら地球の一部にまた戻ったのだ、そこから年月を経て別の生命の構成物の一部となるというのも、物理的にはよく分かるし腑に落ちている。

 

で、

 

ところで

 

魂は、父の気持ちは、どこいっちゃんたんだろう、、、となってしまう。まあ、焼かれて完全に消えちゃったんですよね。こればかりは。

 

でもなあ、声が。

 

そんな事はあるわけないし、そういう事もある。

 

 

 

 

 

異国の古い童謡になぞらえて ぼくが生まれた時から実家には振り子時計が掛けられている。いまだに今日も時を刻んでいる。さすがにもう、気が付くと -ゼンマイの分はまだ残っているのに- ひっそりひと休みしている時があるらしい((´∀`*))。だから手助けしてあげている。そしてまた時を刻む、有り難い事に。 休んだあとまた動く、まだ動ける。

 

 

 

ありがとうございました。感謝申し上げます。