Googleアースに自宅の住所を入れると、

家の前に父と異母兄と夫と私と娘が写ってる。

たまたま、兄がいたこの期間に写真が撮影されたらしい。


なんで、よりによって真顔苦笑

ここは母の家。今は私の家なのに。


他人の兄が写りこんでいるのが受け入れられない。

はやく更新してほしいです…



  

   

 

 

 

この記事の続きダウン




仏壇前で聞こえた「何しにきたの?」


異母兄の長男Aの来訪初日。

家について10分くらいすると思い出したように兄は言った。



兄「(私の母の)お仏壇どこ?」


アキ「1階にあるよ」


兄「お線香あげさせてもらおうかな」



兄を母のもとへ案内し、仏壇に手を合わせる兄を背後から眺めていると…


「ありがとう。でも、何しにきたの?」

って言葉が聞こえたのだ。母の声が…泣き笑い


「そうだそうだ。気持ちがないならそんな(手を合わせる)パフォーマンスいらないよね」

そう心で答えた私泣き笑い


「悪いね、3日間がんばって…」

そう私を励ます母の声が聞こえた気がした。



さんざん迷惑かけて振り回している兄に、母はずっと寄り添い続けた。

例えどうしようもなくても、父が大切に想う息子だから。

そして、いつか遺される私が苦労しなくて済むように、ってこともあったんだと思う。

兄のことで泣いて、やけ酒して、父に言い返して、という姿も何度か見たけど、兄をずっと気にかけていた。


それなのに兄は「あなたは関係ない人だから」と普通に言い放つし、

2021年には私に「手紙を出したいんだけど、お母さんの名前、なんだっけ?」と聞かれたこともある。

よく異母妹にそんなこと聞くよな…


ほんと呆れる。





「・・・・・?!」言葉に詰まった。


ここから、前回の記事の続き。


夜ご飯のとき、何度も同じ話を繰り返し、ずっとお酒を飲み続ける陽気な父。

母がいなくても、兄や私(や夫や娘)が自分を囲んでくれるのが嬉しいんだろう。

本当に楽しそうだったにっこり


老健に入所したらこんなことももうできない。

そんなことを考えながら、そこに座って、その時間をやり過ごしていた。





そして酔いつぶれて、父が寝たあと(娘ももう寝てた)。


この時点で兄も相当酔っていた。

なかなか寝てくれないので、付き合って座っていた。



兄「やっぱり、同じこと何度も言うね」


アキ「覚えていられないからね」


兄「運転もお酒もやめられないんだね」


アキ「やめないね(ついさっきまでお酒あんなに進めてたのに何を言うのか…)


兄「困ったねぇ」


アキ「毎日迎い酒されて、正直きついよね。お父さんもつらいだろうし。それで朝からまた同じ話ばっかりだし、でもお酒飲んだことも覚えてないし」


兄「そうだよなぁ………でもさ、、みんな通る道だから


アキ,ユイチ「・・・・・?」


兄「みんなそうなるからさ!僕だって、君たちだって、あと何年かしたらそうなるんだから、ね!


アキ,ユイチ「・・・・・?!そうだね泣き笑い




言葉を失った私が辛うじて発せたのは、失笑しながらの「そうだね」の一言だった。 



私たちは、年を重ねることが困る、という話をしているわけじゃない。

認知症の父を恨んだり、悔やんだりしているわけじゃない。


アルコールはやめてほしいけど、いままでの好き勝手飲んできた人生。

なおさら認知症になって覚えられないのに、やめられるはずがない。



記憶が途切れ途切れで、継続されない。

ふとしたときに毎回「妻がいない」事実を突きつけられ、ただでさえアル中なんだから、飲まないとやってられないんだろう。



父が認知症じゃなかったら。

母が元気だったら。

二世帯で、孫も交えて楽しく暮らしてた。


仲良しの父だからこそ、施設に入れなくては生活できないこの現状が悔やまれる。



誰のせいでもない。

何のせいでもない。

だからこそ「なんで?どうして?」が止まらない。


   

それなのに。年に1,2回しか電話してこない他人に

「老いたらみんなこうなる」

「君たちもそうなるんだからさ」

と言われた。


 

「こうなるから、なに?」だ。


「いずれこうなるんだから、仕方ない」「順番だから、耐えろ」とでも言うの?

あなただって息子じゃないの?

どの口が言う?

・・・あなたがこの半年の何を知ってる?


いつか私が認知症になったとしても、私は娘にこんな想いはさせないように準備する。




兄の前では威勢よく、弱さを全く見せない父。

他人にするのと同じように、認知症であることすらパッと見ではわからない。

怒鳴ったりもしないので、荒れた姿も兄は目にしない3日間。



私のことを妹と言いながら、私の誕生日も仕事も、娘の誕生日も知らない。

他人以上に他人なのに、そういうところだけ年上ヅラする。


母のことも、父のことも、娘のことも、

全て同時進行でどれだけ心身翻弄されたかなんて、全く知らないくせに。


「いつもアキばっかりごめん」なんて言葉は期待してない。

そんなの求めないから、余計なこと言わないで…


酔っぱらっても、口にしていいこととダメなことはある。

これ以上、私の心を荒らさないでほしい。






そして、その日を境に、私と夫の会話の中では一時期

「いつか俺たちもこうなるから」がブームになった泣き笑い



ユイチ「今日も会話エンドレスだったね」 

アキ「まぁいつか私もあぁなるから」


アキ「今日も迎え酒したんだ」

ユイチ「まぁいつかみんなこうなるから」


といったように。 


続いて「あぁ、じゃしょうがないか」と苦笑するしかない。

怒りを通り越して、おちょくる域に到達した私たちひらめき


そんな調子で、3日間の兄滞在をどうにか終えた。

いよいよ翌日、片道1.5時間の老健に父を連れていくwith0歳児車



(次回の記事は、兄が来る日、父を消化器内科へ定期検診に連れていった話を鉛筆私の最後の望みだった、検診。)



 

  

 

 

 

私の経験談が、プレジデントオンラインに掲載されました。

 

このもしゅだきではまだ更新されていない、母の亡くなったあとの父のことも触れています。

 

「もしゅだきの更新が遅すぎるから待てない」

「いままでの経緯をざっと知りたい」

そんな方におすすめです合格

 

介護に携わる方、育児に翻弄されている方たちにとって、少しでもお役に立てますようににっこり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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