たくさんの弔問客が来て、幼い頃から会っていなかった人たちにも会えて。
母が亡くなったばかりで悲しいはずなのに、なぜだか心がとても温かくなった日でした。
今でも不思議です。
夜遅くに来た母の友人家族(以下参照)を、夫と娘も一緒にコインパーキングまで見送ったあと、5日ぶり(母の緊急入院の月曜日夕方ぶり)に空を見上げました。
とてもきれいな中秋の名月の日でした
これからもきれいな満月を見るたびに、母の亡くなった日を思い出すはずです。
(今日もきれいなお月さまでしたね)
おひさしぶりです
仕事と保活再び(2年連続)と幼小受験の情報収集に翻弄しておりました
更新の間があきすぎて、申し訳ありません
その話はまたいつか…
気を取り直して!(?)この記事の続き
鳴りやまないスマホ
母の友人たちにLINEを送ったあと。
連絡先として記載していた私のスマホは20分に1回は着信していたと思う。
そして私のLINEには「新しい友だちが追加されました」という通知がばんばん。
母友人「あ、アキちゃんのお電話ですか?」
アキ「はい、そうです」
そして、たいていこう続く。
「キョーちゃん(誰?)です。あの、高校で一緒だった、、、あーちゃん(誰?)に聞いてびっくりして、、、」
「ケー(誰?)です。あの、○○(会社名)で一緒だった、、、」
「アキ?!ユーコだよ!!ねぇ、そんなに悪かったの?!」
幼なじみ、小学校友人、中高友人、大学友人、会社1同僚、会社2同僚、私の幼稚園のときのママ友、私の小学校のときのママ友、私の中高のときのママ友…さらに、私の2歳のときに通ってたリトミックのママ友とか。
さらに、まりこさん、まりさん、まーちゃん、とかいるの。
電話出ても「えっと、いつのお知り合いでしょうか、、、あぁ!よーちゃんのご友人の!」とかなるわけ。
あのさ、、、友達多すぎなのよ、お母さん。
普段から「今日○○と会ってさ、娘さんの△△がね」とか母から聞いてたけど、その人がどこのときの友人で、どの友人とつながってるコミュニティで、とかは詳しく覚えていなかった…
というか友達多すぎて、覚えるの放棄して右から左に聞き流してた
それからしばらくは、
私のスマホと
母のスマホと
A4のコピー用紙と
ボールペン
を常に持って歩き回ることになった…
そしてほとんどの方が
「明日までならキミエに会えるのよね?弔問伺いたいんだけど…なっちゃん(誰?)と一緒に○時頃に伺ってもいいかな?」と続くのだ。
そう。夫は完全に見誤ったのだ。
私が「家族葬で大丈夫かな?」と尋ねたあの問いかけに「いまどきコロナだからそんなに弔問はない」と言った夫。
あまりに電話とLINEが鳴るもんだから、
「ねぇ、お塩とか準備できないけど、お茶くらいいるよね?ペットボトル、箱で買ってきて」
「ねぇ、芳名帳いるよね?来る人の住所聞いとかないとお返し送れないよね。すでに今日来る人、10人超えてるんだけど」
と義弟に言って、急遽おつかいに行ってもらったりもした。
ご連絡くださった方には、もう途中からは「他にもいらっしゃる方がたくさんいるので、○○さんのご都合のよい時間にお越しください」と伝えてメモするのもやめた
弔問ってこういうことなのね、と感じたこと
玄関にアルコール消毒液を準備し、芳名帳(売ってなくてCampusノートに罫線引いた)に名前を書いてもらい、1組ずつ入ってもらった。
結局、2日間で30人以上が母に会いに来た。
時間によっては外に2組くらい待っているときもあった。
なんなの、お母さんは有名人かなんか?笑
喪服の人が出入りするのを見て、向かいの家のおばあちゃん(私の祖父の代から我が家と仲良し。モモの出産祝もくれた)が異変に気がつき
「アキちゃん、どういうこと?!なんでキミエちゃんが?!私この前しゃべったわよ?!なんでぇぇぇぇぇぇぇ。私が代わりに先に行くのに!なんで!」と泣かれ…
「ご自身の子どもと同じ世代の人を見送るのは辛いだろうなぁ」と思った。
最初に来たのは、幼なじみのAちゃんと他2人
部屋に入るなり「キミエぇーーー!キミエぇーーーー!!!もうすぐ私も行くからね。待っててね!あぁぁぁぁぁぁん」と叫びながら大号泣。
「おぉ、弔問ってこういう感じか。メンタルやられる…」と最初に思ったのを今でも鮮明に覚えてる。
続いて、母の親友のNさんとご主人
「ねぇアキちゃん。私はさ、何でも話せるのはキミエしかいないの。後にも先にもキミエだけだったの。これから私はどうやって生きていったらいいのかな…」と。
とにかく静かに呆然とするパターン。
弔問客で一番遠い人は、母の中学時代の同級生
毎年誕生日プレゼントを贈り合う仲だった方。
昼に連絡して、そのまま新幹線に飛び乗り、兵庫県から我が家(東京)にやってきた。
母に抱きついて泣く姿を見て「どんな気持ちで新幹線の時間を過ごし、会いに来てくれたんだろう」と考えた。
一番遅い時間に(22時過ぎ)きた人は、母の大学時代の同級生
その娘たち(私にとっては姉的存在)とは小さい頃から交流があり、私を妹のように可愛がってくれた。
ママ(母の同級生)と娘たち全員とその夫たちとその子どもたちも連れて、一家勢揃いで車でやってきた。
「キミエにもらったネックレスしてきたよ」
「これキミちゃんに成人祝にもらったピアスなの~見てみて」
涙をいっぱいにした目で、でも明るく私にそう話す一回り上の姉たちを見て、
「私の知らない母の姿を知ってる人たちがたくさんいるんだなぁ。こうして友人の子どもも私と同じように愛する母だったんだな」と。
さらに「友人一家みんなが揃ってるこの風景を、母が生きてる間に叶えてあげたかった」と思ったら涙があふれてきた。
そしてその姉たち。
「ねぇキミちゃん、マツエクしてる?!」
「え、まじ?!相変わらずの女子力…」
「さすがすぎるわー、キミちゃん。マツエクの概念変わった」
「アキさ、キミちゃんにリップくらい塗りなよ。口紅塗らないで人に会わせるなんてって絶対怒ってるって」
美意識高い母。この姉たちにおすすめの化粧品を広めていたのは母だったのを思い出させて、私を爆笑させてくれた。
弔問2日目には、私の高校時代の親友たち3人
ダブルケアというかトリプルケアをしていることを知っていた数少ない友人たち。
幼なじみが来たときもそうだったが、母の友人ではなく私の友人の顔を見たときだけ涙があふれたのが自分でも不思議だった。
ピンとはっている気持ちが緩んでしまうんだろうなぁって冷静に分析できた。
母に会ってくれたあと「時間あるなら少し上がっていかない?」とプチ引越直後のごちゃごちゃした2階にあげた。
親友たちになら何でも見せられる。
2階のリビングに入った瞬間に親友たちは「わぁー懐かし!そうそう、こんなだったよね!」と昔話に花を咲かせた。
A子「ねぇ私がつけた傷は?まだある?」
高校時代の新築当初に遊びにきた友人が、ディスプレイしていた置物を落として床につけた15年以上前の傷のことだ
アキ「そんなの忘れてたわでも、まだあるよ~
ここここ!」
A子「ぎゃー、ごめんー!!!マジで落ち込む!」
アキ「あの日の夜、A子のお母さんから(私の)お母さんに謝罪の電話あったよね」
A子「え、そうだっけ?!でもマジでヤバイって思って家帰ってお母さんに言ったのかも」
あぁー賑やか。少しの時間笑って話せて、ただただ嬉しかった。
そのあと、C子からコンビニのビニール袋を差し出された。
C子「そこのコンビニで買ってきた。ちゃんと栄養取りなね」
アキ「え、なにこれ」
A子「忙しいとアキ食べないじゃん。だめだよ、アキがいま倒れたら困るんだから」
中に入ってたのは、栄養ドリンク4本当だった。
私の特性を理解してくれるお土産。
お供物よりも(正直にすみません)本当に嬉しかった
(テーブルに置いておいたら、夜のうちに1本父に飲まれていた「なんで父がエネルギーチャージする必要があるのよ…」と思ったが、置いておいた私が悪いな。反省。)
そして、友人らしい問いかけはまだ続く。
B子「ねぇ、昼ご飯は食べたの?今のうちに食べなよ」
C子「モモちゃんおいでー!はい、おばちゃんたちと遊ぶよー!」
A子「おばちゃんって!モモちゃん~、お姉さんだよねーーー??」
B子「お姉さん?!無理あるわぁ爆笑」
20年以上前からの仲で、そのときからみんなのママたちも全員知っている。
この友人たちも、みんなもう母親。
「介護をする年代になったなんて。人生って短い」そう思った。
(この女子会の間、夫はひっそりと私を放置しててくれた)
連日の郵便屋さんとお花屋さん
訃報の連絡をした翌日からは、1週間ほどは毎日数件の現金書留(香典)と供花が届き続けた。
そこにお手紙が添えられていることも多々。
届くたびに、そのお手紙のお返事を書き…を繰り返した。
それにまたお返事が来て、、と中には文通が何度か届いた方もいた。
その後、高校卒業ぶりに再開した母のママ友(と同級生)もいた。
母だけでなく、私と娘を気づかう、愛情のこもったお手紙をたくさんいただいて、毎回励まされ、泣き、を繰り返した。
驚いたのは、職場に母の訃報をメールで知らせ、すぐに学内に掲示で共有され、その翌日から育休中にも関わらず、私の同僚から届いた現金書留の数。
驚きだった…
もちろん母が若かったこと、私が育休中で気の毒に思ったからという理由が多かったと思う。
でも母と同じく、私も人を大事にできているから想ってもらえているのかな、と感じた思い出だ。
最終的には1ヶ月ほどで50件近い贈り物をいただき、
葬儀が終わったタイミングで一気にExcelに打ち込み、
「志」の返礼品を選んでひたすら送り続ける。
この方はご夫婦暮らしだからこの返礼品かな、
この方はお子さんがいるからこの返礼品かな、
この方はブランド好きだからこの返礼品かな、
と考えながら、丸2日かかった苦笑
贈り物を考えること、嫌いではないみたい。
亡くなった直後から一周忌までに届いたお供物の中でも、印象的なのがお線香。
「線香屋やるの?」って夫が言ったくらいの量…(これ全部お線香ね。)
高価なお線香は、明らかに香りが違って、火もつきやすい
予期せず、そんな豆知識を得た。
私の経験談が、プレジデントオンラインに掲載されました。
このもしゅだきではまだ更新されていない、母の亡くなったあとの父のことも触れています。
「もしゅだきの更新が遅すぎるから待てない」
「いままでの経緯をざっと知りたい」
そんな方におすすめです
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掲載記事はこちらから!!!
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