• 唐草文系土器:縄文中期後葉に長野県中部および南部各々を中心として分布する土器の総称。
  • 本型式土器群中に沈線および隆線で大柄渦巻文(唐草文)が施文されるものがあり、「唐草文系土器」または「唐草文土器」と呼ばれている。
  • 2地域で似て非なる発展過程を示し、松本・諏訪地域を中心にした「中信唐草文系土器」と南部伊那谷に栄えた「下伊那唐草文系土器」とに大別される。両者の境界は伊那市街を流れる小沢川と三峰川付近に仮定される(三上2002)。

 

 

 

1.研究史

  • 1979年、中部高地縄文土器集成グループが『中部高地縄文土器集成』を刊行。そこで「唐草文系土器」の名称を提唱。「唐草文系土器群は4段階編年で区分され、諏訪湖盆・伊那谷北部・松本平を核にして、(中略)伊那谷南部では分布密度は薄くなり、土着して変化した土器も多い」

 

 

2.下伊那唐草文系土器

  1. 下伊那唐草文系1段階;縄文中期中葉末の様相を残す。ほとんどが櫛形文や細かい隆線文で施文される「細隆線文土器」。曽利I式併行
  2. 下伊那唐草文系2段階;細隆線文土器の系統がほとんど途絶え、周辺地域の手法が一気になだれ込む。「下伊那Aタイプ」、加曽利E式類似、東海地方の中富II・III式酷似の土器群。
  3. 下伊那唐草文3段階;多種多様な土器の存在。II式の下伊那Aタイプ結節縄文土器0期相当の加曽利EII式類似土器群、隆線唐草文施文の樽形土器、口縁部が円・楕円で区画され綾杉地文で腕骨文をもつ土器群(下伊那Bタイプ)。(将来的に2段階以上の細分が可能か)
  4. 下伊那唐草文系4段階;地文に縄文と1~2単位の結節縄文のみが施文される土器群。

 

 

 

2-1. 下伊那唐草文系1段階

  • 細隆線文タイプが主体となるが、前段階からきわめて漸移的に推移しているので区分根拠があいまい。『前段階の様相から、頸部文様帯の喪失および幅狭と口縁部文様の一部沈線化をI式の画期』とした(吉川2004)。

 

  • 細隆線文タイプ(↓三尋石、出土土器など)は、中信の褶曲文系に類似するが、違いは粘土紐貼付文で、断面が三角形を呈している点。しだいに文様の一部が沈線化してゆく。本タイプは褶曲文系(↓三尋石、増野新切遺跡B遺跡)と懸垂隆帯文系(↓大門原、増野新切遺跡B、増泉寺付近遺跡)の2タイプがあり、各隆帯間に縦横斜位に沈線を施す。
  • 頸部下~胴部には依然として櫛形文が残存するのもが多い。

 

下伊那唐草文系1式 褶曲文系深鉢 (26号住居址 三尋石遺跡 @飯田市); 口縁部文様帯に褶曲文。頸部~胴部上部に櫛形文。

 

 

下伊那唐草文系1式 褶曲文系深鉢 (伊久間遺跡 28住@喬木村 喬木村歴史民族資料館); 口縁部文様帯に褶曲文。頸部に沈線文あり。

 

 

下伊那唐草文系1式 細隆線文(褶曲文系&懸垂隆帯文)深鉢 (伊久間遺跡 23住@喬木村 喬木村歴史民族資料館)

 

 

下伊那唐草文系1式 深鉢(帰牛原遺跡十万山特区B 4住@喬木村 @喬木歴史民俗資料館), 口縁文様帯に懸垂隆帯文とその間に縦横斜位の沈線を施文。無文の頸部に胴部上半に櫛形文。

 

 

唐草文系1式 深鉢(懸垂隆帯文)(7号住居址 増泉寺付近遺跡@飯田市);口縁部文様帯に懸垂隆帯文。各隆帯間に縦横斜位に沈線。頸部は幅狭で無文。胴部上部に櫛形文。

 

 

唐草文系1式 深鉢(懸垂隆帯文)(30号住居址 大門原遺跡@飯田市);口縁部文様帯に懸垂隆帯文。各隆帯間に縦横斜位に沈線。頸部は幅狭で無文。胴部上部に櫛形文。

 

 

下伊那唐草文系1式 深鉢(懸垂隆帯文)(30号住居址 垣外遺跡 飯田市, 飯田市考古博物館),  ※ 懸垂隆帯文・無文で幅狭の頸部の器形に加え、共伴土器に勝坂3式、櫛形文土器があるので1式とした。

 

 

下伊那唐草文系1式の土器群(懸垂隆帯文&褶曲文)(24号住居址増野新切遺跡B @高森町) ※ 調査報告書に「井戸尻3式土器の好セット」の記述あり。

 

 

 

下伊那唐草文系1式 深鉢(懸垂隆帯文)@月見松遺跡/伊那市小沢。(伊那市創造館)

 

 

 

下伊那唐草文系1式 深鉢(懸垂隆帯文)@月見松遺跡/伊那市小沢。(伊那市創造館)

 

 

 

2-2. 下伊那唐草文系2段階

  • 中信土器群同様、主要構成型式が出現。中信土器群や加曽利E式、東海土器群の影響を強く受けたものが多く、それに各地域の土器構成要素を組合わせて構成されている。

 

  • 細隆線文タイプは前段階(1式)から当期まで継続。

下伊那唐草文系2式 細隆線文タイプの深鉢;平畑遺跡@飯田市, 飯田市考古博物館)1号住居址から出土。器高は日縁の突起を含めて70cm、口縁30m・口辺の最大幅で45cm、 胴部の最小幅28cm、底部の直径は15cmを測り、現在のところ飯田・ 下伊那地区最大の埋甕。 口縁には 6個のやや退化傾向の角状突起が付いていたもので、甕の取り上げ・ 運搬中に削り取られた模様。口辺から胴底部にかけて隆起線文による渦巻き・ 垂線・蛇行線で構成され、その区画内を強めの条線文状の描線で埋めてある。器形はキャリバー形で内湾する口縁。頸部は左右に小さな把手を付け、横の隆起線の中に交差と縦線による区画が作られ中央に縦の描線が施され、その上に大形の飾り把手が付けられている。 このような飾り把手は4個付くが、大きいのは1個で他の3個は小さく形態が夫々同じではない。底部にかけても同様の施文ではあるが描線が主体になる。施文・ 器形から見ると諏訪地方の曽利 I式に比定される土器。

 

 

  • 下伊那Aタイプ(≒入組文土器 or 下伊那Aタイプ):器形を中信円筒形土器、頸部文様帯を加曽利E式、胴部上の入組文を東海の中富式を範形とする。

下伊那唐草文2式 下伊那Aタイプ 深鉢(9号住居址 栗屋元遺跡 飯田市), 頸部文様帯を加曽利E式、胴部上の入組文を東海の中富式から取り入れている。

 

 

下伊那唐草文2式 下伊那Aタイプ 深鉢(9号住居址 栗屋元遺跡 飯田市), 頸部文様帯を加曽利E式、胴部上の入組文を東海の中富式から取り入れている。

 

 

下伊那唐草文2式 下伊那Aタイプ 深鉢(2号住居址埋甕、 御殿場元遺跡 伊那市富県)伊那市創造館,

 

 

 

下伊那唐草文2式 下伊那Aタイプ 深鉢(3号住居址埋甕、 御殿場元遺跡 伊那市富県)伊那市創造館,

 

 

 

下伊那唐草文2式 下伊那Aタイプ 深鉢(15号住居址 増田遺跡@飯田市, 飯田市考古博物館)

 

 

 

  • 中富式系土器は胴部地文が本来の撚糸文から条線文に置換される。

下伊那唐草文2式(中富式系)深鉢(9号住居址 増田遺跡@飯田市, 飯田市考古博物館), 4単位の波状口縁で方形をなす。頸部に沈線による入組文。

 

 

  • 加曽利E式系は、頸部上部が無文(加曽利EI式)となり忠実に模倣しているが、細部にわたり差異がみられる。胴部には双曲線文などが施文される。

下伊那唐草文系2式 深鉢(加曽利E式系)(12号住居址 大門原遺跡 飯田市), 頸部上部が無文化(加曽利E1式の特徴), 胴部に双曲線文。

 

 

  • 下伊那北部Bタイプは、長胴器形の土器群で下伊那北部を中心として分布しており、全域ではみられない。

下伊那唐草文系2式(下伊那北部Bタイプ/長胴器形)(増野新切遺跡 高森町)

 

 

 

関連Links

下伊那唐草文系3段階;唐草文系土器(縄文中期後半 ≒ 5300~4500 calBP)

下伊那唐草文系4段階;唐草文系土器(縄文中期後半 ≒ 5300~4500 calBP)

 

 

 

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2023/2/28、本日も雲一つない快晴。

早朝、道の駅南信州とよおかマルシェ裏の段丘上から伊那谷を北に俯瞰。ナウマンゾウやオオツノジカを追いかけて遊動生活を送りながら伊那谷を渡った旧石器人。後氷期の温暖な気候にあわせて広葉樹が繁茂、ドングリやクルミなどの堅果類を土器で調理し、この谷に定住した縄文人。

 

今日は伊那谷の縄文人に意識をとばして博物館・資料館巡りだ。

 

まずは飯田市考古博物館。

日本中で人口爆発(と言っても26万人推定だけど)した縄文中期の遺物が見にとまった。これがきっかけで伊那谷の唐草文系土器(縄文中期後葉)を知りたいと調べ始めた。

 

前期旧石器時代?の竹佐中原遺跡の石器も展示している。これについてはまた今度。