2022/11/26 加曽利貝塚博物館 令和4年度企画展『あれもE、これもE (内房地域編)』より

 

加曾利 E 式 (縄文土器編年 / 縄文中期後葉、約4900~4500年前)

 

 

  • 加曽利E式土器は、4つの編年に分けられるが、アラビア数字(1/2/3/4)とローマ数字(I/II/III/IV)では編年区分に↓表のように違いがある。(知らなかったΣ(・□・;))
  • 加曽利貝塚博物館の加曽利E式土器編年は、『加曽利貝塚統括報告書』(千葉市教育委員会 2017)に準拠している。

 

 

1. 加曽利 EI初:

 
2. 加曽利 EI式:

  • 文様帯の構成が、口縁部・頸部・胴部の3段になり、頸部の無文帯胴部の懸垂文が出現する。
  • 加曽利E式の代名詞である口縁部の渦巻文が出現し、S字文クランク文波状文が特徴的。
  • 口縁部区画を沈線で埋めるものは東関東に多い特徴。
  • 地文に撚糸文を施すものは西関東に多い。

 

加曽利 EI式(草刈遺跡B区195号住居@市原市)口縁部文様帯は集合沈線で埋められている。
 
 
加曽利 EI式(北貝塚3区Aトレンチ@千葉市) 懸垂文なし。地文に西関東に多い撚糸文。
 
 
加曽利 EI式(草刈遺跡B区545号土坑) 口縁部に波状の隆帯が貼り付けられ、撚糸文で埋められている。頸部は無文帯。胴部に沈線による懸垂文。
 
 
加曽利 EI式(鹿島台遺跡B区 SI-212) 口縁部に隆線によるS字文。 頸部に隆線をめぐらせ、そこから胴部へ隆線による懸垂文が底部まで施される。
 
 
加曽利 EI式(深名瀬畠遺跡4号住居@南房総市) 口縁部に隆帯と沈線による渦巻文・クランク文が施される。頸部に3本の平行沈線がめぐらされ、そこから3本の沈線による懸垂文が胴部に敷かれている。
 
 
加曽利 EI式(草刈遺跡B区789号土坑@市原市) 口縁文様帯に隆帯と沈線による渦巻文、間を撚糸文で埋めている。頸部に僅かに無文帯区間があり、器形がすぼまる形で胴部に移行し、斜め撚糸文が施される。口縁部文様帯直下から3本の沈線による懸垂文が胴部全体に敷かれている。
 
 
 
3. 加曽利 EII式
  • 頸部の無文帯が消失し、胴部の懸垂文の沈線の間の縄文を磨り消す手法が出現。
  • 加曽利 EII式新段階;西関東の連弧文土器、東北の大木式土器などの非在地系土器やその影響を受けた土器が見られる。
  • 内房地域の特徴として、西関東の曽利式・連弧文土器の影響が強く、海を越えた交流が想定される。
 
 
 
 
加曽利 EII式(草刈遺跡B区524号土坑) 口縁部文様帯に太沈線により渦巻文、連弧文が施文され、地文に撚糸文が施される。頸部に無文帯はなく、口縁部下辺の連弧文から底部に向かって沈線による懸垂文が施されている。胴部の地文は、従位の撚糸文。口縁部に修復して使用したようで2つの孔が開けられている。
 
 
加曽利 EII式(草刈遺跡H区H0819@市原市) 口縁部に隆帯と太い沈線で渦巻文。口縁文様帯直下から底部にかけて3条の沈線による懸垂文が10条弱施されている。
 
 
 
 
加曽利 EII式(草刈遺跡東部地区P058@市原市) 口縁部文様帯に渦巻文、口縁部直下から 底部付近に向けて幅の広がった沈線と磨消し縄文による懸垂文が10条弱施されている。
 
 
加曽利 EII式(北貝塚3区Cトレンチ@千葉市) 口縁部文様帯に隆線による渦巻文。口縁部直下から底部付近まで2条の沈線と磨消し縄文の懸垂文が施される。
 
 
 
3-1. 加曽利 EII式新段階(意匠充填系土器/大木9式の影響大):

 

 

  • 頸部無文帯。
  • 胴部意匠(渦巻文)
  • 胴部懸垂文に渦巻文
 
 
加曽利 EII式(左/草刈遺跡東部地区P052@市原、右/川焼台遺跡111号住居@市原) 胴部に意匠(渦巻文)、大木9式の影響を強く受けている。
 
 
 
加曽利 EII式新段階(潤ヶ広遺跡A130号住居@市原) 口縁部・胴部の境界が不明瞭。口唇部に交互刺突文。胴部に沈線と磨消し縄文による懸垂文。
 
 
加曽利 EII式新段階(市原市) 口唇部に連続刺突文。 懸垂文中に渦巻文(大木式の影響)
 
 
栃木市の中根八幡遺跡出土の加曽利 E式土器。左下は、加曽利EII式新段階(連弧文&刺突文)。
 
 
3-2. 連弧文土器(西関東を中心に加曽利EII式新段階併行):
  • 加曽利EI~EII式期の短期間に西関東を中心に分布した土器。
  • 口縁部や胴部に弧状のモチーフを連続して描く文様が特徴的で、立体的な装飾が少なく線刻だけで文様を描くシンプルな手法や文様構成は加曽利E式土器と大きく異なる。
加曽利 EII式(北貝塚3区47号住居@千葉市) 口唇部の交互刺突文。口縁部に沈線により横位連弧文が施される。
 
 
連弧文(深名瀬畠遺跡4号住居) 口唇部に三角交互刺突文。口縁部および胴部に太い沈線による連弧文と渦巻文が施される。地文は縦の撚糸文。
 
 
連弧文土器(南房総市) 
 
 
 
3-3. 曽利式(西関東を中心に加曽利EII~EIV式併行):
  • 縄文時代中期後葉、加曽利E式土器が関東地域で流行していた頃、甲府分地から中部高地を中心に流行した土器。
  • 頸部がくびれ口縁部が大きく開く器形と、器面に縄文ではなく線刻や粘土紐を重ねて毛様を描く手法が特徴的。
  • I~IV式に分けられ、III式以降は周辺地域の影響を受けて器形や文様が変化。
  • 甲信地方を分布の中心とする土器であるが、周辺地域にあたる関東地方でも多く出土することから、縄文時代の地域間交流を探ることができる例の一つとなっている。

 

  • 房総半島では、加曽利 EII式期に多く、重弧文や斜行文などの曽利II~III式土器が全域で出土。
  • 君津・安房以外では出土しない曽利式要素を含む加曽利系土器があることから、三浦半島から東京湾を越えた土器の情報伝搬が考えられる。

東京湾浦賀水道の湾横断最短ルートで曽利式土器は西関東から房総半島に運ばれている。

 

 

曽利 II式(鹿島台遺跡Dku SI061) 口縁文様帯は無文。頸部に3本の太い線刻門が引かれ、その上下に細い紐線が連弧状に貼付されている。 胴部は縦の線刻門が施されている。

 

 

曽利 II式(北貝塚2・3区遺構@千葉市)

 

 

曽利 III式
 
 
 
 
 
4. 加曽利 EIII式
  • 加曽利EII新段階から懸垂文の磨消部が幅広くなり、口縁部文様帯の区画が崩れ始める。
  • 加曽利E式の代名詞である渦巻文などの口縁部文様帯が消失し始める。
  • 前段階から変化した意匠充填系土器や、連弧文土器の影響を受けて横位連携連弧線文土器が多くみられるようになる。
 
 
加曽利EIII式(加曽利貝塚 西外縁部4次調査) 口縁部文様帯が消失し、頸部・胴部の文様と一体化している。磨消しの懸垂文の幅が広くとられている。
 
 
 
加曽利EIII式 横位連携連弧文(武士遺跡428号住居@市原)
 
 
加曽利EIII式(横位連携連弧文土器)(武士遺跡154号住居@市原市)
 
 
加曽利EIII式(横位連携連弧文土器)(武士遺跡108号住居@市原市)
 
 
 
5. 加曽利 EIV式
  • 前段階(EIII式)の横位連携連弧線文にあったU字文やV字文の磨消し部(無文部)がさらに広がり口縁部まで伸びて、波状口縁の単位と一体化する土器の出現。
  • 文様は、沈線や細い粘土紐を貼付ける微隆起線で描かれる。
  • EIV式の流れを受け継ぐ土器は西関東で成立する後期小尿時に大きな影響を与える。
 
 
 
加曽利EIV式(武士遺跡20号埋甕@市原) 胴部に横位連携連弧線文。無文部の幅が広がる。
 
 
加曽利EIV式(武士遺跡24号埋甕@市原) 磨消(無文)部が口縁に抜ける。
 
 
加曽利EIV式(山小川遺跡遺構外) 磨消(無文)部がさらに広がる。
 
 
加曽利EIII式(武士遺跡10号住居@市原) 微隆起線の渦巻文。