2022年『埼玉県の四大貝塚』富士見市立水子貝塚資料館編集・発行

 

平成30年度(2018)企画展「あれもE これもE』ー加曾利E式土器(千葉市内編)- 千葉市立加曾利貝塚博物館 編集・発行

 

加曾利 E式 ; 分布範囲 / 関東地方、(加曾利貝塚@千葉市)

縄文時代中期後葉(5000年前)の関東地方に広く分布する土器形式。 深鉢型を主体とし丸みのある口縁とくびれた頸部、そして膨らみを持った胴部からなる曲線美が特徴的。 特に上部の膨らみは時期を経るにつれ明瞭になるため底部の不安定さが目立つ。 器形のバラエティが少なく深鉢と浅鉢に限定される。 過度な装飾表現はせず、隆帯と沈線による比較的簡素な文様が特徴。 形や模様により細分されE IかE IV式に分類されるのが一般的。

加曾利貝塚博物館

 

加曾利貝塚博物館

 

加曾利貝塚博物館

加曾利 E1 式:丸みのある口縁部とくびれた頸部。筒状の胴部から口縁部に向けて広がる深鉢型で、これに対応して文様帯は口縁部と胴部に分かれ、口縁は渦巻き、胴部は撚紐を縦方向に転がす縄文

 

 

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加曾利 E 2 式 : 隆帯と撚紐による比較的簡素な文様

 

217 加曽利E2式 深鉢 (神奈川県当麻遺跡)高54.2cm

加曽利E2式は、口縁部、頸部、胴部に3帯の文様帯を持つもので、とりわけ頸部の無文帯の形成がメルクマールとなっている。口縁部の文様帯が隆帯によって完全に区画化されており、2式土器の中でも最も新しい段階。

 

 

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加曾利 E 3 式 :胴部の沈線間の縄文のすり消し(磨消縄文)が発達し、さらに口縁部文様帯の衰退と胴部文様帯との一体化が進む簡素な装飾。

 

 

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加曾利 E4 式 : 口縁部文様帯の衰退と胴部文様帯との一体化が進む簡素な装飾。

 

 

カソリーヌの被る加曾利E II 式土器:丸みのある口縁部とくびれた頸部。筒状の胴部から口縁部に向けて広がる深鉢型で、これに対応して文様帯は口縁部と胴部に分かれ、口縁は渦巻き、胴部は撚紐を縦方向に転がす縄文。胴部の沈線間の縄文のすり消し(磨消縄文)が発達。

 

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加曾利 E 1 式 : 口縁部の装飾性、胴部と差別化が強い。

 

加曾利貝塚博物館

加曾利 E 2 式 :  隆帯と撚紐による比較的簡素な文様

 

 

他の地域と接するような地域ほど伝統的な技法やデザインにこれまでになかった要素が取り込まれる傾向が強いことから、近接する地域の人々との間に頻繁な交流があったことが推定される。 加曽利 E 式土器は、中部地方や関東西部で作られていた勝坂式土器に東北南部の大木式の様子が取り込まれることで成立し、広がっていったと考えられている。 分布域は関東全域と広く、曽利式や大木式の分布圏と重なる地域では互いの土器の様子が混じり合い地域ごとに特色のある加曽利 E 式土器が作り出されてきた。その後縄文時代後期になると西日本地域の影響を受け成立した称名寺式土器が関東全域に広がってくることで加曽利 E 式土器はその姿を徐々に消して行く。 千葉県では他地域と比べ、より新しい年代まで加曽利 E 式の伝統が継続し加曽利 E 式土器が作られ続けていていたことが明らかになっている。

 

 

着目ポイント:

  • 口縁部・頸部 / 横方向に区画された文様帯と渦巻文様が徐々に変化し最終的にはなくなる。
  • 胴部 / 縦方向に縄文を指で撫で消す技法がE II 式で登場し、E III式以降どんどん幅が広くなっていく。
  • 底部 / 大きさが徐々に小さくなっていく。

 

 

 

 

平成30年度(2018)企画展「あれもE これもE』ー加曾利E式土器(千葉市内編)- 千葉市立加曾利貝塚博物館 編集・発行


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加曽利E1式(狭山市丸山遺跡) 頸部に2本の隆線を廻らし、そこから胴部全体を底部まで2本の隆線で垂線(T字貼付文)を付している。

 

 

2022/5/3、 加曾利貝塚公園。風薫る五月、まさに五月晴れ。