外国人妻の日本びっくり日記

外国人妻の日本びっくり日記

外国人の視点から日本でのびっくり体験を投稿します。

4歳の娘が保育園に行く必要のない日曜日。

朝起きて、テレビのスイッチを入れます。

日曜日の朝といえば、子供のゴールデンタイム。

ここで、私の娘はどのチャンネルを見るかといえば、これまではNHK教育2チャンネル。よほど幼児の心に響くのでしょうね。他のチャンネルは見てはみるものの、やはり最後はNHK教育2チャンネルなのです。

でも、今日は違いました。

日曜日朝8時半。プリキュアの時間です。

NHK教育2チャンネルではなく、「あっ、プリキュア!」と言って、このままプリキュアを最後まで見ていました。



今までも、プリキュアにはチャンネルを合わせていたのですが、なぜか全く興味を示さなかったのです。

それが今日になって突然プリキュアを見だしたとは???

保育園のお友達の影響かな?

いずれにしろ、同じ4歳児が興味を持つものに、娘も興味を持ち出したのだから、順調に育っているということにしておきましょう。

「おい、クリスマスプレゼントは、プリキュアのグッズを買うことになるから、予算を組んでおけよ。」と旦那様。

いやいや、クリスマスを待つまでもなく、これからモールに買い物に行った都度に、プリキュアグッズを泣いて欲しがると思います・・・OMG

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今の職場で働くようになって、良かった事の一つは、日本人がしゃべる自然な日本語に毎日接することができるようになったことです。

旦那様は日本人だけど、旦那様には甘えが出てしまって、会話がいつの間にか英語になっていることもありますからね。

最近、ふと気が付いたのは、日本語の「ちょっと」の別の意味。

日本語の「ちょっと」は、基本的に「少し」とか、少ない事を意味する言葉です。でも、「ちょっと」には別の意味があることに気が付きました。



例えば、こんな会話があります。

「明日、仕事帰りに外で食事でもしない?」
「明日?う~ん、明日はちょっと・・・」

この場合の「ちょっと」は、拒絶や不可能を意味しています。

でも、「明日は行けません。」なんて言うより、遠回しだけと失礼の無いようにやんわりと断っています。

つまり、「明日はちょっと・・・」は、「行きたいけど、都合が合わなくて、実際には行けないなぁ・・・」みたいなニュアンスで伝わるみたいですね。

それと、相手の行為が不愉快な時も、「ちょっと、止めてよ。」なんて言います。

この場合の「ちょっと」は、相手への抗議や非難ですかね? どの程度の抗議や非難かは、受けた行為の深刻さ次第という事になるのかな。

「ちょっと」は、使い方次第で、「丁寧なお断り」や「抗議・非難」として使える日本語表現だったのですねぇ!

これは実戦的な知識です。

いくら外国人とはいえ、いつまでも幼稚な日本語をしゃべってはいられません。大人の日本語になるまでには、まだまだ長い道のりなのでしょうけど。lol







船戸結愛ちゃんを虐待死させた父親、船戸雄大に懲役13年の判決が言い渡されました。

保護責任者遺棄致死という罪だそうです。

5歳の子供を虐待した挙句、死に至らしめた悪魔に、日本の法律は13年の懲役で決着させたわけですか・・・



懲役13年という法の裁きと犯した罪の重さとが釣り合っていると思う日本人がどれだけいるのか大変疑問です。

この事件、結果的には殺人です。でも、殺意が無かったという理由で、殺人罪は成立しないのですね。

日本の法律は、人間の命の尊厳をもっと重視するべきです。殺人犯を更生させるより、奪われた命に報いる方に重きを置くべきです。

人の命を奪う罪は究極の罪だし、犯した罪と相応の罰が必要です。

5歳だった船戸結愛ちゃんは、蹴とばされ、殴られ、体中に170ヶ所以上の傷を負い、食事さえも与えらず、じっくりとゆっくりと、なぶり殺しにされました。どれだけ辛く、どれだけ悲しく、どれだけ痛く、どれだけ怖かったことでしょう・・・

この結愛ちゃんの無念を晴らすのは法による裁きだけのはずなのに、この懲役13年という判決は、結愛ちゃんの苦痛と雄大被告の残虐性とを反映しているでしょうか?

私は個人的には、この船戸雄大という人間のクズには、終身刑(日本には無いけど・・・)か極刑が適切だと思っています。

人を殺すようなクズは、自分が殺される恐怖と苦痛を最後に思い知らせてあげればいいのです。そして、このようなクズに更生してもらわなくても誰も困りません。同情の余地などありますか?

子供の虐待は、日本では社会問題化しています。

厳罰化しても命は帰ってこないという意見は偽善です。

無力な子供を虐待死させるという事件を抑止する意味からも、虐待に対する厳罰化が絶対に必要です。

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旦那様が焼き鳥が食べたいというので、昨夜は、居酒屋さんに行きました。

先日オープンしたばかりの居酒屋さんなのですが、前回行った時に美味しかったので、同じ居酒屋さんで2度目の食事です。

注文した焼き鳥がコレ!美味しかったですよ!



ところで、私の焼き鳥好きは学生時代からです。

アメリカに留学していた時、住んでいた学生寮のカフェテリアで、1年に1回、留学生が母国の料理を作って寮生で食べるイベントがあったのです。

色々な国から来た留学生が、それぞれ自慢の自国料理を作ります。その中で、日本の留学生が作ったのが焼き鳥だったのです。

数ある料理の中でダントツに人気があったのが、日本の留学生が作った焼き鳥。焼けども焼けども、寮生が後から後から列を作るものだから、キッチンから運ばれてきた瞬間に、焼き鳥が無くなってしまうのです。

私は、やっともらった焼き鳥を見て、串がたった2本。「たったこれだけ??」と思いました。でも、食べてみると、本当に美味しかったことを今でも覚えています。

甘い醤油のタレは、スーパーで売っているテリヤキソースとは全然違います。醤油が焦げて、何とも言えない香ばしい匂い。ほんのり甘い醤油なんて、初めての食感でした。

みんなが列を作るわけが理解できました。

当時は、美味しいという理由だけが人気の秘密かと思いました。

でも、それだけが理由ではないことがわかってきました。多くの外国人の反応をよくよく思い起こしてみると、素材の鶏肉にも秘密があったのです。

世界には、宗教の戒律で、食べてはいけない物があります。宗教によっては、豚肉や牛肉を食べることを禁じています。

また、ベジタリアンは基本的にお肉を食べません。

でも、宗教の戒律で、鶏肉を禁じている宗教はあまり聞きません。(私の知識不足もあると思いますが・・・)

また、ベジタリアンでも、赤い肉は食べないけど、鶏肉は食べるという人もいます。

つまり、焼き鳥の素材である鶏肉は、他の種類の肉に比べて、寛容に受け入れられている食材だったのです。

幅広く受け入れられる食材に、独特の甘い醤油タレを付けてグリルしているのですから、人気が出で当然だったのでしょうね。

あの時食べた焼き鳥は、日本の焼き鳥屋さんで食べるような完成度ではなかったものの、焼き鳥との劇的な遭遇でした。lol

何の縁か、今は、その焼き鳥をいつでも食べられる日本に住んでいるとは、あの頃には想像もつきませんでしたけど!lol

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先週末、すごく天気が良かったので、子供を連れて大きな公園に行きました。

公園の中に入るなり、遊具の方へ走り出した娘。

最初は、一人だったのですが、同じくらいの歳の子供がたくさん遊んでいます。

そしたら、「ねぇ~、遊ぼうよ~!」と言って、全く知らない子供に声をかけるのです。

こうなると、周りの子供たちの反応は2つに別れます。割合的に若干多いのが無視で、残りは一緒に遊びだします。



娘の性格は、かなりイケイケ。親が教えたわけでも何でもないのですが、大人や子供に限らず、それに場所を問わず、誰にでも「こんにちは!」と声をかけます。

ですから、娘の社交性には、少し恥ずかしく感じることもあります。でも、それがいけない事とは全く思っていないんですけどね。

大人になれば、どのような立場の人であっても、社交性は無くてはならない資質。大人になってから、口下手や恥ずかしがり屋が良い評価を受ける事などありません。

今は、娘の社交性は理解されないかもしれません。でも、大人になってから、娘の社交性は必ず彼女の財産となるはずです。

私も旦那様も、娘に挨拶をするように厳しく躾けたわけではありません。これは娘の天分です。

このような長所は、褒めてあげ、伸ばしてあげ、見守ってあげたいと思っています!