7巻147ページより
翻訳者の月に関するコラム
今度の満月は29日 中秋の名月


古来より月にはウサギがいて餅をついていると言われるのも
月と食べ物の関係を示しているのだろう。
この話は、やはり食べ物に関係のある
インドのジャータカ神話に起源があると考えられている。
猿と狐と兎が善行をしようと決意し
猿は木の実や果物を、狐は魚介類を集めてくる。
ところが兎には特技がなかった。
そこで我が身を火で焼き、老人(帝釈天たいしゃくてん)に食べてもらった。
それで帝釈天が月に兎の姿を描いたという。
この兎は釈迦の前世である。
月見の行事をする「中秋の名月」は8月15夜
(新暦では秋分9月23日頃の前後一か月間で変動)であるが
日本では9月13夜にも月見をする習慣があり
これは収穫に関する儀礼と考えられる。
略
二十三夜待ちは、世界の終末と新しい世界の到来を意味するという説もある。
餅つきの「搗く」とは、穀物を杵や棒の先で強く打って押し潰したり
脱穀(精白)すること意味する。
月(つき)の語源は、満ち欠けすることから「尽きる」であるとも
あるいは、明るさが太陽に「次ぐ」からとも言われる。
だが、地球に衝撃を与えるという意味で
「搗く」や「衝く」も候補としてありうるのではなかろうか。
また、(宇宙船の)「船つき場」を意味する「津」も関係あるかもしれない。
伊勢湾に津市という地名があるように、「津」は
古代の主な交通だった海運の要所(港)を意味する。
本書のテーマであるムーン・マトリックスからすれば
太陽の光(振動)を中継する場所(器)という意味で
日を「継ぐ」「日嗣」ひつぎの「つき」だと解釈するべきだろうか。
常識的な理解でも月は太陽の光を鏡のように反射させて地球に届けているわけである。
なお、この食べ物というテーマでも、穀物神の意味を持つ蛇とつながっている。
略
現代では地動説が常識になっているが
やはり天動説が正しかったというコぺル二クス的逆転回もありうると私は思う。
それはカール・セ―ガンの次のようなメッセージからも推測できる。
「太陽系の中で、我々の惑星だけが楽園のようになっているのはなぜか?
それは我々がそうなるように望んだからだ。
我々の振動の錯覚は合成されており、それで我々全員が同じようなものを見ている。
我々は太陽が好きであり、光があるといい気分になる。
だが、実際には、我々が光を作っている。
可能なときにはいつでも光を求めるようにプログラムされているからだ。」
略
爬虫類人は人類に地球に閉じこもっていてほしい
宇宙に関心を持ってほしくないのだろう。
1960年代のアポロ計画から半世紀も経過し
さまざまな技術が発達しているというのに
あまり宇宙の調査が進展していないことは、実に不自然である。
例えば、よく話題になるスペースシャトルの国際宇宙ステーションの
周回軌道は高度380キロメートル(東京と名古屋の距離に相当)に過ぎない。
地球の衛星である月までの距離38万キロメートルと比べると
とても「宇宙」という言葉から連想されるような高度ではなく、完全に地球の枠内である。
古代から秘かに伝承された占星術や天文知識(宇宙と人体の連動など)を独占し
地球上の生命が広大な宇宙とつながることを阻止しようとする力が働いている
としか思えない。
それは冷酷な支配のためなのか、慈愛ゆえなのか、神のみぞ知るである。
略
月の語源に「津」が関係あるものではないかと先述したが
アイクは、月は異なる次元をつなぐ(継ぐ)出入り口であると述べている。
もはや言うまでもないかもしれないが、「竹取物語」のかぐや姫に限らず
これを裏付けるようなシンボル表現は日本にも多くある。
まず、月は「船」とつながっている。
略
例えば
「春日なる 三笠の山に 月の船出づ みやびをの 飲む盃に かげに見えつつ」
などがある。
結晶を媒体として月のマトリックスが地球を制御していることを考えると
磐(石)が船として機能することも納得できそうである。
墳墓に舟形の石棺があるのも、生死を司る月に帰るためと解釈できる。
日本の各地には「磐舟」いわふねとか「天鳥船」あまのとりふねといった
月の船を思わせる神社や祭神がある。
略
光速に近い宇宙船に乗って旅行をして地球に帰ると
何倍もの時間が経過することをウラシマ効果と呼ぶが
浦島太郎の物語も、月への旅行を表現したものかもしれない。
先述のように、海(水)と月はつながっており
海中の竜宮城は蓬莱山ほうらいさん(不老長寿のテーマ、月)への
次元間ポータル、亀は移動のための船とも考えられる。
月は、兎だけでなく、さまざなま動物と関係している。
月への移動手段の象徴と思われるのが「馬」である。
福岡県若宮市の竹原古墳の壁画には
天から降ってくる天馬とおぼしき怪獣と
着地して従者に手綱をとられた小さい天馬らしいものが描かれている。
これは葬られた人を、またはその人の霊魂を月世界へ連れて行こうとしているのだろう。
古墳の築造年代は6世紀後半とされているが
さらに古い時代から天馬が信じられるようになっていたらしい。
福岡県うきは市の珍敷塚(めじらしづか)古墳の壁画には
大きな葬送船の周囲にヒキガエル2匹と月と思われる円形が描かれている。
満月に狼男に変身する話は西洋の物語であるが
「オオカミ」は「大神」に通じ、日本でも信仰対象になっている。
略
天使の軍団を象徴するのか、「弓」も月のシンボルである。
ギリシャの月神アルテミスやローマの月神ダイアナは手に弓矢を持っている。
弓は月のシンボルである。タカミムスミは(略)月神であった。
アマテラスも古くは月神であった(略)
すると高天原の表象としてカゴ弓・マカコ弓は
(略)月弓と解してよいだろう。
同様にマカゴ矢・カク矢は月の矢または月光の矢であろう。
生け贄を差し出す家の屋根に立つ「白羽の矢」も
月の神々を暗示していたのかもしれない。
略
彗星も月と同様に宇宙船の可能性もあり
宇宙船に乗ったエイリアンが生命を移植したとも想像できるし
物理的な作用で直接的に彗星が生命をもたらしたとしても
さらには彗星が太陽と相互作用した結果
間接的に生命をもたらしたとも想像できる。
いずれにしても、彗星が尾を引いて旅をする様は、まさに蛇そのものであり
子宮(マトリックス)の中で、卵子(太陽)に向かって精子が泳ぐ姿である。
5巻のコラムで、「箒」ほうきという漢字には
「生命の樹」の暗号が秘められていること
「箒星」という彗星の別称、神体としての扇
死後の世界との橋渡し役をする「ハハキ神」
荒神(アラハバキ神)と蛇の関係について紹介した。
また、蛇は生命そのもの、竜は地球という大きな生命そのものであると述べた。
そうした関連性を地震理論から裏付けるように
佐々木氏は彗星と竜の関係をこう述べている。
「竜という架空の動物は、いったいどんな想像から生まれたのであろうか。
もともとの字形である「龍」の字を分解すれば「月に向かう雲」という意味になる。
月にも雲にも関係する動物ということである。
Y粒子がすべて生あるものの素であると想定すれば
竜を構成する動物たちすべてにY粒子がかかわっている、ということである。
Y粒子は月齢によって発生し、その発生した粒子は雲をつくる。
この雲はやがて雨になって植物をはぐくむ。
その植物を動物たちが食べる、そのエネルギーはY粒子の流れである。
このような概念から竜をみていくと、竜は生命の素
Y粒子のプラズマ状態を意味しているのではないだろうか。
シャク(電磁波と雲の発生のメカニズム、シャク(笏)とは
聖徳太子が持っている棒である)のよく観察できる
(長野県)佐久は、竜の遊ぶ場所でもある。
蛇石山と呼ばれるのも、空にY粒子のプラズマが観測されるからであろう。」
これは、なぜ蛇が「山の神」とされたのかの謎にも迫っている。
そして、こう言えるだろう。
雲となり雨となり地下水となる竜は水であり、生命そのものである。
我々の身体の7割は水、つまり竜なのである。
風呂の水も、炊事に使う水も、竜体の一部だったのだ。
その水を汚すことは何を意味するだろうか。さらにこう続く。
「絹雲が磁気プラズマ現象によって発生することは
昔の人がこれを竜と感じ取っていたことで裏づけられるともいえる。
諏訪湖には諏訪大社の上社と下社があり、ちょうどフォッサマグナ上に位置している。
その周辺には、あたかも竜の手足やそれが持つ玉のように
諏訪大社の祭事を行う聖地が点在している。(略)
昔の人は磁気プラズマの現象を目のあたりにして
恐怖のあまりそれがあたかも竜神のように見えたとわかるのである。
略
諏訪湖は日本列島を形成する大きな竜脈(中央構造線)と
糸魚川静岡構造線の交差する日本のヘソである。
「天竜川」のように、日本各地の地名や寺社の名称の中に残っている「竜」は
地球の経路、磁気の通り道、磁気の渦(マグネティック・スポット、竜穴)であり
「竜の道」のレイ・ラインを構成しているという。
略
シャクは暦の起点である「朔」(新月)にも通じるという。
佐々木氏によると、諏訪のマグネティック・スポットから出現する
磁気プラズマは茨城県の鹿島(地震を抑える要石のある鹿島神宮)に連なり
関東地方中部の地震予知の鍵を握るレイ・ラインになっているという。
茨城県には月のシンボルであるガマガエルや歌垣うたがきで有名な筑波山があり
その名の起こりは「着く波」であるのは偶然の一致だろうか。
筑波山の麓には「サクラ」(桜)川が流れている。
もちろん、「月波」つくば「月庭」つくば
舟の「着く場」などと想像することも可能である。
諏訪大社には、太陽の活動周期約11年の半分に相当する
6年周期で実施される御柱祭(おんばしらさい)がある。
ミシャグチの依り代(よりしろ)とされる巨大な柱を
4つの宮の四隅(合計16本)に立てる神事である。
佐々木氏は、この御柱は「マグネティック・スポット(断層)から
漏れてくるY粒子(モノポール)を、空中に導くため」にあり
シャクを観測して気象変動のリズムを確認し
暦を作成することに神事の本質があると指摘している。
略
さて、月に関する日本の著作を調べていたところ
小笠原邦彦氏の「月の謎と大予言」を発見した。
この本には「月は人間の魂を支配する」という章もあり
アイクのムーン・マトリックス説のような精緻さはないものの
月は人工の天体(宇宙船)であることなど、本書と同様の解明が
1987年の段階で行われており、驚愕すべき内容である。
概要としては、月は2つあり、もう1つの月が2018年に到来し
地球に大変動をもたらして現在の月と交替するという話であるが
以下に興味深い内容を紹介しておく。
「・フェニックスと呼ばれ飛鳥と呼ばれ、またインドでラーフと呼ばれ
中国で羅睺(らご)と呼ばれた「もう一つの月」は、地球を滅ぼす
(大立て替え・大改造)ために、天の彼方シリウス星圏を基点として
スバル座(プレアデス星団)、オリオン座を経由して
はるばるこの地球圏にやって来るようだ。
おそらくそのとき、地軸変動を起こし天変地異をもたらす。
・仏教には「如来」「如去」という仏の称号とされるものがあるが
これは新旧の月を称したものではないだろうか。(略)
キリスト教では、「如来」に相当する言葉は「新しい天地」で
「如去」は「過ぎ去る天地」である。
・(ノストラダムスの)「20年の月の統治」とは、1999年に
恐怖の大王が天の有視界に至ってから20年の間、ということであるだろう。
つまり2019年に新しい世紀が始まるという私の推定ともピッタリ一致する。
・法華経の宝塔には多宝如来(如去)が乗っていたが
釈尊しゃくそん(ブッダ)もこれに乗って行き2人で並んで座った。
また巨塔には天人も乗っていた。
そして地上に多数会座(えざ)していた群衆も
その虚空に浮かぶ巨塔に移された。
そのため、この現象を虚空会(こくうえ)というのである。(略)
終末に月が宇宙船と化し、多数の地球人が月世界に優遇連行されること
その予言が「見宝塔品」だろう。
そして巨塔とは宇宙船内部、つまり月空洞世界のことではないのだろうか。
・月(正神)が月(悪魔)を退治するという
一人二役が仏典では語られているのである。
同様のことは、日本の月神スサノオが月の象徴でもある大蛇(竜)
を退治したことなどにもみられる。(略)
終末のとき、月極楽世界に救済される人々がいると同時に
不義な悪人たちが、極楽生活を支える苦役人として調達され
月人に酷使されることになるのだろうか。
・キリスト教も仏教も、そしてユダヤ教もイスラム教も
そのご本尊・ご神体は月である。礼拝すべきは月なのである。
しかし、現在、どこに月をご本尊・ご神体として礼拝する宗教があるだろうか。(略)
2018年をもって末法
(仏教で、仏の教のみが存在して悟りに入る人がいない時期のこと
または、釈迦の死後1,500年(または2,000年)以降の時期のことである。)
の時代は終わり、別の月の統治の時代が始まるだろう。
そして現在の月は別の宇宙へと如去するだろう。
その宇宙船の本領を発揮して――。
そしてそのときから、人類は新たな「月信仰」を持たざるを得なくなるに違いない。
それは太古の大地母神としての月女神信仰の復活に他ならないだろう。」
小笠原氏は、月の交替周期は7200年(60の120倍)であると推定している。
半分の3600年がオリオンの彼方の故郷と往復する際の片道所要時間である。
そして、その7200年の節目の「臨終」を2018年に迎えるという予測なのである。
略
真実の振動に波長を合わせることが、高次の意識との再接続
つまり、本来の世界に帰ることであるが
これは月のマトリックスからの「脱走」を促しているのではなく
月のマトリックスに束縛されている必然性を理解することで
もはや束縛される必然性がなくなる状態になること
(更生)を意味しているのだと、私は解釈しておきたい。
そして、そのように理解すれば
広大な宇宙にいくらでも存在するはずの高度な知識・文明を持った
「善良」なる生命体が「邪悪」な爬虫類人に支配・抑圧されている
可哀そうな地球人を「救済」しに来たことがなく
今後も来るはずがないことが分かるのである。
さらに言えば、一部の富裕層が宇宙に避難する技術を開発したり
北極圏などに種子の貯蔵庫を作ったりしているのは
人類(囚人)内部での悪あがき(大脱獄計画)だと理解できるだろう。
アイクが言うように、人類支配のピラミッド構造は多重であり
ピラミッドの中にピラミッドがある。
地球(ムーン・マトリックスが見せている惑星)という
大きな監獄の中の監獄の中の監獄の中……と複雑に多層化しており
囚人の中で他の囚人を支配して高い地位を築き
その地位を気に入って固守している人々が「裕福層」である。
なお、月が生死を司るということは
新たな囚人の受け入れや、地球で更生した魂を
宇宙へと送り出すポータルとして機能しているということではなかろうか。
そして終末とか、最後の審判とは、引き続き監獄へ残すべき魂か
広い宇宙に解放してよい魂かどうかの選別作業なのだろう。
その選別とは、天変地異だけでなく
「病気」を通じたものでもあることは、多くの識者が指摘している。
もっと言えば、政府とマスコミ情報、食品や医薬品に騙される人間かどうかである。
無知になるように操られていることもあるが
それだけではなく自ら無知であることを選んでいるわけだ。
自分自身が主役になって自らの奴隷状態を生み出している。
南京錠で閉ざされた彼らの心が、自らの人生を監獄の独房のような認知へとおとしめ
その外側の世界は何もありえないと考えているのである(第15章)
知性だけでは真実に辿り着けない。
地球の環境汚染や社会の不条理に心を痛める感性が強くなければ
そもそも真実を突き止めたいという動機が生じないのである。
例えば、癌の本当の原因を解明し、迫害を受けている医師の
チュリオ・シモンチーニには、このように感じる心があった。
「ひどく苦しんでいる人を見た。私は小児科の腫瘍病棟にいた。
どの子供も死んだ。化学療法、放射線療法で死んでいく
可哀想な子供たちを見て、私自身も苦しんでいた。」
もちろん(残念ながら)こうした感性を持つ「こころやさしい人」
であるだけでも不十分であり、これに加えて高度な陰謀の構造を理解できる
知性が兼ね備わっていて初めて真実に辿り着ける仕組みのようだ。
月は地球よるもはるかに古い宇宙船だという。
ということは、現在の地球支配のような惑星支配を無数に経験し
ノウハウを積み重ねてきた熟練の支配者なのである。
地球人ごときに簡単に見破られるような稚拙な支配をするわけがない。
砂漠化が進んで茶色になっているとはいえ、この美しい星
地球が監獄であるはずがないと思われるかもしれない。
だが、地球の外の宇宙は殺伐とした空間が広がるだけで
生命が存続できるはずがない、地球は最も美しい場所だと
月のマトリックスによって思い込まされているとしたら、どうだろう。
日本であれば、日本は特別な国であると思いたいところであるが
こうした発想は往々にして安直な民族主義に結び付くだけになる。
だが、地理的にユーラシア大陸と隔絶していることや
比較的自然と調和した文化を築いてきたことなどからして
日本という国には一定の役割があるように思えるのも事実である。
邪教に惑わされ、元寇(げんこう)の襲来という国難がふりかかっても
最後の一線は神風で守るという苦渋の判断を看守役の月は行ったのではなかろうか。
第二次世界大戦でアメリカに負け、実質的には今もアメリカの占領下でありながらも
表面的には独立国の形態を維持できているのも
そうした「神慮」しんりょあってのことなのかもしれない。
そうした役割を、日本は世界のリーダーであるとか
世界の救世主であるなどと表現すれば、諸国の反感を買うかもしれない。
だが、地球全体が監獄なのであるから、こう表現してはどうだろうか。
日本は「模範因」であると。
日本・日本人の独自性を何に求めるかであるが
肉体(遺伝子)の性質に独自性を求めるのは難しく
日本の風土で育った人々、日本語を話す人々と定義すべきなのかもしれない。
あえて遺伝子的な日本の特徴を言うならば
世界中の民族の特徴をまんべんなく兼ね備えていることではなかろうか。
その一例が血液型である。
略
日本のように、4種類の血液型が比較的まんべんなく分布している国は
世界的に観ればむしろ珍しいのです。
略
もちろん、本書の読者であれば、遺伝子の移入がたまたま発生したのではなく
そのような遺伝子操作がなされたのだと読み替えていただけるだろう。
男系のY遺伝子からも、日本文化の特徴・アイデンティティが
「多様性」にあることが分かる。
弥生の人々は、比較的平和のうちに縄文人と混じりあったのであろう。
キリスト教の名の下の収奪を繰り返しつつ
現地に根付いていったアメリカ大陸における白人とは、だいぶ様子が異なる。
現在のアメリカンインディアンが「アメリカの発見」の500年後におかれている状況と
縄文人が弥生人の来航2300年後におかれている状況を見れば
移住に関する彼我(ひが)の方法の違いは歴然たるものがある。
日本に存在するY染色体は、ほとんどが大陸の落ちこぼれである。
窓際族同士、仲良く半分ずつ
それも自然の法則にしたがって、シェアをわかってきたのである。
こうして考えると、日本人は特定のY遺伝子を持つので
特別であると主張するのが日本文化なのではなく
弱肉強食のユーラシア大陸では生き残れないような
遺伝子をも受容して存続させる多様性(懐の深さ)にこそ
日本文化の本質があるのだ。
また、そうでなければ、世界に模範因として示す文化にはなりえない。
それは次のような西洋的二元論・優生学思想を超越・克服できる価値観である。
「あまり価値のない人間、あるいは有害な人間よりも
価値のある人間が相対的に確実に増えるようにすることが
文明の最大の課題である。」
漢字かな混じり文や、鉄砲の伝来から瞬く間に国産化を成し遂げたことなど
古来より海外の文化・技術を貪欲かつ急速に吸収する能力を「日本人」は示してきた。
大陸で常に闘争にさらされてき民族のように
自分が最高・ベストとアピールするのは日本の文化ではない。
日本の右翼運動を日本人がやっていないのはそのためである。
日本の国号そのものも含め、太陽の国・日本のイメージは
仏教の影響によって出来上がったもののようだ。
釈迦族は太陽神の子孫であったらしい。
これは想像であるが、天武・持統王統は法師から「金光明経」の講説を受けたとき
王身も仏身も同様に朝日が輝くようであること
それが理想であると会得したに違いない。
このあたりにも月信仰から太陽信仰への転換の機運があったと思う。
しかも、仏教は国教である。
伝統的に日本ではあまり肉を食べないものと考えられているが
肉食禁止の勅令が出たのもこの天武天皇の時代であり、仏教の影響である。
人間や動物の生け贄や人柱の習俗が、代替物を使った模倣に変わっていったのも
殺生を避ける仏教思想の影響と考えられている。
日本の神話を読めば分かる通り
神々というのは基本的には人間と変わらず
喜怒哀楽に翻弄される存在であり
模範となるような高尚な存在ではない。
「神ながらの道」とは言うものの
例えば古事記にあるスサノオの行動を人々がそのまま実践すると
犯罪だらけの社会になるだろう。
日本の文化として多様性を受容し、調和した社会を築くための
道徳・倫理は仏教が示してきたのではなかろうか。
面白いことに発祥国のインドでは仏教が廃れ
今も盛んなのは、日本、タイ、スリランカなど一部の国に限られている。
今さら仏教かと思われるかもしれない。
だが、私がイメージしているのは
葬儀で金儲けするための仏教ビジネスではなく、哲学としての仏教である。
戦後の日本でおそらく最も真剣に日本とは何かを考えた人物に三島由紀夫がいる。
三島は、1970年に45歳で自決したが
その最後の作品としてこの世に残したメッセージが
「豊饒(ほうじょう)の海」4部作である。
そもそもタイトルの「豊饒の海」が月の海の名称に由来しているが
第一巻の主人公の「清顕」という名前、第二巻の「奔馬」というタイトル
第三巻の主人公、タイの「月光姫(ジン・ジャン)」
第四巻の「天人五衰」というタイトル、「月修寺」(聡子の出家先)など
至るところに隠しテーマとして「月」(そして仏教)が入れ込まれている。
略
三島はその直感により、月のマトリックスの真相に近付いていたのかもしれない。
略
三島は、UFOの研究にも関心を示しており
宇宙からやってきたことを自覚する家族を描いた「美しい星」という作品がある。
その中で宇宙人たちは、人類の救済について議論をしている。
略
三島事件の当時、彼の自殺の理由を理解しえた人はほとんどいなかっただろう。
だが、世界支配の陰謀が日常生活に明らかに現れている今
そんな今でもそのことに気付こうとさえしない人間が
圧倒的に多い現状を目の当たりにすれば
彼が自殺を選んだ理由も察することができそうだ。
略
一方で三島は、「人間の生命というのは不思議なもので
自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬというほど人間は強くない」
人間は「自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう」
という言葉も残している。
監獄惑星での服役を確実に終えて出所する方法は簡単である。
月のマトリックス(生命)を超越すること
つまり、肉体の生命維持(サバイバル)に固執しないことである。
だからといって自殺すればよいというものでもなかろう。
心(マインド)で思考すると、理屈で考え抜くと
合理的な行動は自殺しか選択肢がなくなるだけだ。
本当に超越するということは、月のマトリックスが生み出す
「時間」という錯覚を超越すること、すなわち、生きる意味も、死ぬ意味も
考えなくて済むほど、「今」に集中できることではなかろうか。
7巻おわり、4巻へ戻る
今日は、昼と夜の長さがほぼ同じになる秋分の日

メキシコのチチェンイッツァ遺跡では、年に2回
春分と秋分の日に「ククルカンの降臨現象」が起きます。
「ククルカン」とは、羽を持つ蛇の姿をした農耕の神のことで
「ククルカンの降臨現象」とは、ピラミッド下の蛇の頭部と
ピラミッドの影が合体して、巨大な蛇のように見える現象です。
この現象を見るために、世界中から観光客が多く訪れるようです。