2024年5月14日 水曜日
山田耕筰に音楽的才能を見出され、23歳で東京芸大に入学した滋野男爵、
しかし、愛妻の死をきっかけに渡仏し、パイロットになる。
パイロットの免状をとる卒業試験では、
自ら設計開発した飛行機、
滋野式わか鳥号で、優秀な成績で、パスしたそうな。
滋野式わか鳥号は、日本に持ち帰ったとき、陸軍が買い上げて、
軍の飛行界で采配をふるっていた徳川大尉が勝手に壊し
それっきり、
残念だな。
実物、見たかったな
徳川大尉、壊したら、直せばいいのに、
でもあれだな、
自分で作った飛行機じゃないから直せなかったのか?
それとも、直したくなかったとか?
図面は、残っているから、
誰か、再現しないかなぁ
飛行の歴史⑳(バロン滋野の生涯・・前編) | オバサン、52歳からのオートバイ挑戦日記 (ameblo.jp)