諸般の事情で今夜の夕食はおにぎりでした。
ラップを剥がして、一口食べさせ、残りを手に持たせました。

ちょっと席を外し戻ってみると、もう一個のおにぎりを囓っていました。
おにぎりが口へ消える瞬間、ラップも一緒に入っていったように見えました。

まさかね~と思いながら、でも気になるので、しばらく様子を見ていました。
くちゃくちゃと噛んで、いつまでも、噛んでいます。
あちゃー(>_<) やっぱりラップを食べちゃったんだ...。

ラップを口の中から取り出そうと悪戦苦闘をしました。
口を開けさせようとしても開けてくれません。
ガムを噛むように、舌の上で回しながら噛んでいます。
時々、ちらっとグレーっぽい色のものが見えました。

意を決して、口をこじ開け取り出そうとしました。
開けよう、開けさせまいとする攻防戦が続きました。

首尾良く歯が開いて、指を突っ込めるときがあるのですが、敵もさるものひっかくもの..次の瞬間、ガギっと噛まれてしまいます。
血が出るかと思いました。

またやり直しです。
このまま飲み込んじゃったらどうなるんだろ..
平気なのかなぁ..そのまま排泄してくれるかしら..
私はかなりあきらめムードになりました。

でも、やっぱり危険を冒すわけにはいきません。
何度も何度も挑戦しました。
敵は私の指攻撃の合間を縫って、相変わらずくちゃくちゃと噛んでいます。

ふと思いついて、割り箸を持ってきて歯の間に差し込みました。
これで歯は閉じられなくなりました。
のぞき込むと奥の方に灰色の物体があります。
もう一本の割り箸で、注意深く掻き出しました。
敵は最後の抵抗を試みましたが、物体を歯と頬の内側の間に出すことができました。
もう私の勝利は見えています。
仕上げに指を突っ込んで、ラップの残骸を取り出すことに成功しました。

指、痛い...。

教訓:ラップに包んだ食べ物を放置してはいけない。

ランキングに登録してみました。
クリックして頂けると嬉しいです。
にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村
またベッドから落ちました(>_<)
これで3回目なのですが、いずれもお泊まりデイから帰った夜に落ちてます。
なにか落ちる要因があるのでしょうか..。
デイでは柵付きの介護用ベッドに寝ているので、柵があると無意識に思ってしまうのでしょうか。

前回落ちた時以来、低反発のマットレスをベッドの脇の床に敷いていたので、その上に落ちていました。
急いでいい加減に選んだマットレスでしたが、届いて敷いてみると、まるで誂えたかのように、ベッドと反対側の壁の間にぴったりと収まる幅でした。

薄い掛け布団を巻き込んで、体を丸めて、眠っていました。
掛け布団を引きはがし、体を楽になるように伸ばして、枕をあてがい、掛け布団を再びかけてあげました。

今日は入浴介助のヘルパーさん(男の人)が来てくれる日です。
ヘルパーさんが来れば起こしてもらえるので、今日は余裕です。
マットレスの上なので問題ないと思い、そのまま寝かせておくことにしました。

それにしてもこのマットレスを敷いておいてよかった...
どこも痛そうではなく、痣もありませんでした。
低反発マットレスはちゃんと仕事をしてくれたようです。


仕事といえば..。
誂えた靴もいい仕事をしてくれてるようです。

お泊まりデイから帰ってくると、いつも外反母趾の出っ張り部分が薄赤く変色しているのですが、昨日はほとんど赤味がありませんでした。
浮腫もなくきれいな状態でした。

靴を受け取りに行ったとき、実はちょっと気に入らなかったのです。
革靴という話だったのに、用意されていたのは、合成皮革のものでした。

こういう靴です。
若年性認知症の夫と二人暮らし-靴

脱着がしやすいようにというのを強調したため、介護用の靴を選んでくれたようでした。
考えてみると、万一失敗して汚した時は、合成皮革の方が水洗いできるので便利です。
それに何より軽いです。
足への負担も少なそうでした。
耐久性は劣るでしょうけど、まぁ仕方ないと思いました。

この靴に入っている中敷きが、夫の足形に合わせたもので、それにより歩行も楽になるようでした。
使い古して上が剥げてきたら修理もしてくれるとのことでした。


今日は注文していたフェルガードBが届きました。
早速夜から飲ませてみました。
当面、Newフェルガードを朝と午後、フェルガードBを夜に飲ませてみようと思っています。

ちょっと舐めてみたら、それほどひどくまずくはないので、これなら飲ませるのも楽かなと思いました。
いい効果がでてくれるといいんですけど。

楽しみです。
暴力が本格的に始まったのは、2011年3月からでした。
診断を受けてから4年半が過ぎていました。
主治医に依ると発病はおそらくその2年位前からだろうから、6年位経過していて、通常の進み方だと言われました。
その位の期間が経過すれば、暴力がでてくるのが当たり前みたいに言われました。

今の私ならば、当時7.5mgを処方されていたアリセプトを減らしてみると思いますが、その頃は何も考えずに、言われるままに薬を飲ませていました。

リスパ○ールという向精神薬を処方されました。
いよいよ向精神薬かと思いましたが、もう仕方ないのだろうと思い直しました。
精神病院で入院できるところの資料ももらいました。
説明を聞いて、とてもじゃないけど、入れたくないと思いました..。

クリニックからの帰り道、電車に乗るときに、また不機嫌になりました。
ここで暴力をふるわれても、誰かが助けてくれるだろうかと、ぼんやり思いました。
家にいるより、外にいた方が安心できるなんて...暗澹たる思いでした。
私自身の精神がボロボロでした..。

向精神薬は飲ませたくはないけども、一緒に暮らすためには仕方ないと割り切ろう..
一緒に暮らせなければ、どのみち入院先なり、施設なりで、薬は使われるのだし..
もし、在宅で薬がうまく効けば、お泊まりデイで凌ぐこともできそうだし..

家に帰って、リスパ○ールを乳酸飲料に入れて飲ませました。
味がおかしいのか、ちょっと変な顔をしていましたが、全部飲んでくれました。


翌日、食事の後しばらくして、急に服を脱ぎ出しました。
額に汗をかいていました。
リスパ○ールの副作用だとすぐ思い当たりました。
病院に連れて行った方がいいのかと悩みました。
その日はクリニックは休診日で電話は繋がりませんでした。

それから1時間位経った頃、落ち着きなく歩き回っていましたが、いきなり嘔吐して、テーブルの上にまき散らしました。
その後は多少気分はよくなったようでしたが、顔色が黄色みを帯びて、白っぽく血の気がなくなっていました。
今まで見たことのない顔色でした。
私は夫が死んでしまうのではないかと思って、半狂乱になりました。
ああ、とんでもないものを飲ませてしまった..どうしよう..どうしようと..

それまで救急車を呼んだことはありませんでした。
でもこれはダメだ、思い切って呼ぼうと思った時、問い合わせしていた薬局から電話が入りました。
昨日の夜に飲ませた分は、12時間後位に最高に効いてくるのだそうで、吐いたことによってかなり出しているし、このまま薬が切れてくれれば大丈夫じゃないかとのことでした。

もう少し様子を見ようと思い、救急車は呼びませんでした。
しばらくして、顔色が戻り、落ち着きました。
傾眠状態で、目を閉じて下を向いていましたが、話しかけると返事をするので、意識は問題なさそうでした。
下に連れて行ってベッドに寝かせました。
非常に穏やかで、ここしばらく感じていた恐怖は全く感じなくなり、以前の夫が帰ってきた気がしました。

無事一晩が過ぎて、普通の状態に戻っていました。
同時に、不穏状態も戻ってきました..。

その日は、あの大地震の日でした。
その影響もあったのか、いつも行っていた歯医者さんで、口を開けることができず、怒り出しました。ここではこれまで怒りを見せることはなかったのに..。

地震の後は、計画停電があり、障害のない人にも辛い日々でした。
夫にはそれも堪えたようでした。
排泄の失敗が頻繁になりました。
便器の中への排泄よりも、玄関や廊下、室内に放尿する方が多くなりました。

台所で放尿し、その上に乗ったスリッパで、びしゃびしゃと歩き回りました。
私は気が狂いそうでした。
スリッパを脱がせようとすると、怒り狂って、殴りかかってきました。

どこにも救いはありませんでした。
以前相談に行った交番のお巡りさんが、しょっちゅう電話をくれました。
まだ家にいるのか、早く病院に入れて、薬で暴力を抑えてもらいなさいと何度も言われました。
薬は怖い...私はこんな状態になっても、夫を病院へ入れる決断はできませんでした。
その度に私は言い逃れをしていました。
しまいには、そのお巡りさんからの電話に気が重くなりました。

誰かに相談しても、その助言を実行できない場合は、苦痛になってしまいます。
私は、相談することもできなくなりました。


お泊まりデイへ初めて頼みました。
送り出して、なんとほっとしたことか..
こういう気分は初めてでした。ああ、今日明日は楽になる..

一泊して帰ってきた夫は落ち着いて元気そうでした。
ところが、スタッフの話によると、スタッフを蹴ったり、利用者さんの椅子を蹴ったりしたそうでした。
あきらかに迷惑そうで、なるべくなら断りたいという気持ちが見えていました。
お風呂に入るのを拒否したそうで、お風呂に入れてもらっていませんでした。
リハビリパンツを履かせられ、取り替えたそうですが、汚れていました。

翌日、今まで通っていた普通のデイに行き、ちゃんとお風呂に入れてもらってきました。
こちらは普通のデイで、お泊まりの方は認知症対応と謳っているのにね..。

翌週、二泊三日の予定で、またお泊まりデイに送り出しました。
夜10時過ぎに、お泊まりデイから電話が来ました。
夫が暴れている、すぐ来て、引き取ってくれとのことでした。

一応姉に連絡してから着替えてタクシーを呼び、お泊まりデイに行きました。
男の人が二人いたのに、押さえられなかったとのことでした。
部屋の中からは夫の叫び声が聞こえてきました。
なにするんだ!バカヤロウ!!と...

ほどなく連れてこられた夫は、私を見つけるとほっとしたように表情が緩みました。
用意していった厚手のコートを着せ、さ、うちに帰ろうねと言ったら、素直に靴を履いて、むしろ機嫌良くタクシーに乗ってくれました。

家に帰ると姉が玄関の前で待っていてくれました。
家に入り、しばらくゆっくりしてから、ベッドに寝かせようとしました。
まだ興奮が冷めていないのか、ふざけていて、上機嫌でした。
一旦ベッドに入ったのに、また起き出してきて、二階にきました。
もう一度寝かせようとしたとき、急にスイッチが入れ替わったかのように、怒り出しました。
姉がいたので、いざというときには110番してもらえばいいと思い、それほど恐怖感はありませんでした。
放置しておいたら、怒りが収まったようでした。

姉は1時半頃に帰って行きました。
その後は二人きりです。
この3日間、私は楽になると思って、あてこんでいたのに、とんでもない幕切れでした..。

ケアマネさんに、事の顛末を話しました。
プロらしい提案とか解決方法の提示はなく、困りましたねぇだけでした。
デイサービスは一人だけ見ているわけじゃないですからねとも言われました。
暴力行為が始まったお客には、どう対応しているのだろう..全く親身になってくれている様子が感じられませんでした。

そのお泊まりデイ以外はそういうサービスをしているところはないと言い切っていました。
暴力をふるうからいけないと言いたそうな口ぶりでした。折角見つけてあげたのにと言いたかったのでしょう。

ネットで探したら、他にも近いところで、2件そういうところを見つけました。
他にもあるみたいですよ?と言ったら、ほどなくして、ありましたから!と電話がきました。
早速訪問の予約をとりますが、いつにしますか?と今度はせっつかれました。
なんなんだろ..やっぱりこのケアマネさんは替え時なのかなと思いました。

荒れていないときの夫は、昔と変わらない優しい夫でした。
野菜炒めを作っていると、私から黙って箸をとって炒めてくれました。
昔はよくこうして一緒に食事の支度をしたものです。
そういう夫を見ると、病院へ入れるなんて、できっこないと思いました。

でも、その後、鏡や、魔法瓶を持って、部屋の中をうろうろ歩き回っていました。
夜も寝ないで歩き回っていました。
これが徘徊なのかな...徘徊も、いよいよ始まってしまったのかと思いました。

旅が終わり、後の楽しみは撮ってきた写真を現像して整理して眺めることでしょうか。





夫の楽しみは、スキューバダイビングで撮ってきたビデオを編集し、テープにまとめることでした。





20年か、25年前..、当時としては最新式のSonyの水中ビデオカメラを購入し、それを毎回ダイビングに持参するようになりました。


今では小型で軽量で性能もいいものがありますが、当時のは、大きくかさばって、ものすごく重たいものでした。


ただでさえ、ダイビングの器材は大きくて重いのに、それに上乗せでビデオカメラを持って行きました。





私たちのダイビングは大物狙いで、マンタや、まだらトビエイ、ギンガメアジや、バラクーダの大群、ウミガメを探して潜りました。


夫はサメが好きで、見ていてハラハラするほど、サメに接近してビデオで撮影していました。


ハンマーヘッドの大群に遭遇したときは興奮の極みでした。


スポーツダイバーは、潜れる限界が水深30メートルまでと決まっているのですが、45メートル辺りで追いかけ回して撮影していました。





家に帰ってから、土日を使って、楽しそうに編集していました。


できあがったテープにタイトルを入れ、BGMを入れていました。


そういうテープが何十本となくあります。


何回も、二人で見て、楽しんでいました。





夫が認知症になって少し経った頃、またテープを出してきて、二人で見ようとしました。


ところが、入っている筈のBGMが聞こえません。


前もこうなった時があって、その時は夫がデッキを何か操作したら、BGMがすぐ聞こえるようになりました。


認知症になってしまった夫には、もうその操作はできませんでした。


私は、その操作のやり方を聞いた筈なのですが、右から左に抜けてしまって、覚えていませんでした..。





BGMの入っていない映像は、なんか気の抜けたビールのようで、退屈でした。


それ以来、テープはしまいっぱなしになっていました。


そのうち、VHSのデッキが壊れてしまって、永久にそのテープを見ることができなくなってしまいました。





夫にもう一度、昔、自分が作った作品を見せてやりたい..





ずっとそう願っていました。


でも、機械音痴の私に、どうすればそれができるのか..。


何人かの人に相談もしてみました。


これを解決してくれる人はいませんでした。


BGMは入っていませんよ..と気の毒そうに言われました。




テープにBGMが入っていたことを知っているのは、夫と私だけでした。


夫はもう何も話すことができません。


私は妄想で入っていると言い張っているのかと、我ながら疑心暗鬼になるほどでした。


もどかしいけど、どうすることもできませんでした。


夫の病状は無慈悲に進み、もう今更見せてもわからないだろうと思うにつけ、いつしか私はあきらめてしまっていました。






それを、またしても長男さん
が救ってくださいました。


温泉でお目にかかり、おしゃべりしていたときに、ビデオの話になり、私は失われてしまったビデオの話をしました。


長男さんはビデオやその編集に造詣が深い方です。


自分がやってあげましょうと言って下さいました。




お忙しい時間を割いて、VHSのテープからDVDに作り直して下さいました。


もちろんBGMがちゃんと入っています。


早速夫と二人で、見ました。


懐かしい映像が、目の前に展開しました。




夫は、最初、なんだかよくわからない風で、ぼーっとして眺めていましたが、次第に集中してきたかのように、画面から目を離すことはありませんでした。


かなり長いものなのですが、最後まで見ていました。




回想療法というものがあるそうです。


このビデオは、夫の失くしてしまった記憶のどこかに訴えかけることができたのでしょうか。


もう遅いとは思わずに、これからも度々見せてあげようと思っています。




長男さんには、感謝しても感謝しきれないです。


DVDにして頂いたので、画質がこれ以上劣化することもありません。


一生ものの宝物です。


本当にありがとうございました。








若年性認知症の夫と二人暮らし-ギンガメアジの大群
これもどなたかのブログで拝見して、ほぉ~と思って心に留めておいたことなのですが..



夫はひどい外反母趾です。
もともとその傾向はありましたが、一昨年の暮れに腰椎の圧迫骨折で3週間入院して以来、更にひどくなり、ついには足の指が重なるようにまでなってしまいました。
出っ張っている部分が、赤黒く変色して、褥瘡一歩手前まで行きました。

その頃、やはりある方のブログで、五本指靴下がいいとのコメントを拝見し、早速履かせることにして現在に至ります。
幸い、足の指の重なりはほぼ治り、今では、たまに調子が悪いときに出るくらいになりました。

でも、相変わらず、でっぱりの部分の変色は完全にはとれません。
いつもうっすらとピンク色に変色しています。
靴が当たって、擦れるのだろうと思います。

夫の足に合う靴を履かせてやりたいとずっと思っていました。
家にいるときは、外出の時以外は靴は履きませんが、お泊まりデイでは、朝起きてから夜寝るまでの間、靴を履きっぱなしです。

夫が病気になる前に、自分で買った靴は、履かせるのも脱がせるのも大変です。
お泊まりデイには、とてもお願いできません。
やはり介護する側が、脱着させやすいというのが条件になります。

夫を靴屋さんに連れて行って、試着させるというのも、困難を極めます。
そもそも介護用の靴を置いている靴屋さんもないですけど..。
やむなく、介護用品売り場で、適当に選んで買った靴を履かせていました。
脱着はしやすいけど、本人にとっては履き心地がいいものではありません。



整形外科で、靴が作れる!
これは目から鱗でした。
確かに、外反母趾は骨の異常です。
診察に値します。

私は、ネットを検索して、整形外科を探しました。
幸運にも比較的近いところで、探し出すことができました。

昨日、姉に頼んで、その整形外科へ連れて行ってもらいました。
レントゲンを撮ったり、骨密度を調べてくれたりした後、専門の靴屋さんに引き継いでもらいました。
靴屋さんは月に二回ほど、その整形外科に出張で来ているそうです。

足形をとったり、いろいろ測ったりして、靴を作ってもらうことになりました。
デザイン的にはあまり選択の余地はなく、色も黒しかないとのことでした。
そのままの形では、介護用としては脱着がしにくいので、多少加工して開口部を大きくしてくれるそうです。

値段は57,000円でした。
お高いですが、健康保険がききます。
靴の場合は、一旦全額払って、その後、市に申請して保険分が戻ってくる形になるそうです。

更に障害者医療証をもっているので、自己負担分も戻ってくる可能性も?
まぁ、これはやってみないとわかりません。

2週間後に靴ができあがってくるそうです。
夫の足に合った靴。
最近、足元がしっかりして、ちゃんと歩けるように戻ってきていますので、この靴でもっと楽に歩けるようになって、快適に過ごしてもらいたいと思っています。

楽しみです。
夫がまたベッドから落ちました。
今回はドスン!と大きな音がしました..。

実は先週も、お泊まりデイから帰ったその日の夜、落ちているのです。
先週は午前3時半頃でした。
大きな音はしなかったので、滑り落ちたんだろうと思います。
普通な顔をして、床で眠っていました。
そこからなんとか起こそうとして、四苦八苦..。
結局腰が痛くなってあきらめました。

少し前から、排便の管理をしてもらうために、訪問看護婦さんに来てもらっています。
そこの看護ステーションが、24時間対応で、緊急の時には来てくれることになっていました。
床に寝そべって、起こせないような場合でも呼んでいいですか?とあらかじめ聞いてありました。

私は電話をかけました。
15分もしないうちに来てくれて、二人がかりで抱え上げ、無事夫をベッドに戻すことができました。
来てくれた看護婦さんは、更に、血圧、体温、酸素量を測ってくれ、聴診器で胸の音を聴いてくれました。
異常はないけど、もし頭を打っていた場合、2ヶ月位経ってから症状がでることがあると言われました。
介護ベッドにするか、ベッドに柵をとりつけるか考えた方がいいですねと言われました。


昨夜は0時半くらいに落ちました。
額にうっすらと傷らしいものがありました。 
サイドテーブルにぶつかったのかもしれません。
他には痣らしいものもなく、どこも痛いような素振りはしませんでした。

また電話をして、看護婦さんに来てもらいました。
先週と同じ人が来てくれました。
この人はとても感じのいい人で、いてくれるだけで、ほっとするような人です。
ベッドに再び落ち着いた後、夫は看護婦さんを見て、ニコっと笑いました。
夫には、気を許せる人とかが、わかるようです。


ベッドはウォーターベッドです。
途中、水を入れるバッグや、ヒーターを取り替えながら、30年も前から使っています。
冬はぽかっと暖かく、夏はひんやりと涼しく、ほんとに快適です。

朝一人で起きれなくなった頃、電動式の介護ベッドにしたら楽だろうなと思ったことがありました。
でも両側に柵があって、狭苦しそうだし、寝心地も悪そうだなぁと思って、そのままになっていました。
湯治に行って、実際に介護ベットに触れてみて、起こすためには全く助けにならないし、柵で布団はめくれあがってしまうし、やっぱりやめておこうと決めたばかりでした。

でもこんなに頻繁に落ちるのでは..。

落ちるのは仕方ない。落ちたらまた看護婦さんに助けてもらうとして。
落ちたときの衝撃を和らげればいいかと考えました。
夫を寝かしつけた後、私は再びパソコンを開け、低反発のマットレスを探しました。
適当に探し出して、早速注文しました。
たぶん、明日あたり届くかも?

これを毎晩、ベッドの下の床に敷いてみようかと思っています。
うまくいくかどうか..。
だめなら次の手を考えないといけないです。





滞在の終わりの2日前、遠路はるばる姉が来てくれました。
姉が来てくれて、私はとっても楽になりました。
助かったのは、朝、ベッドから起こすときです。
一人ではあんなに大変だったのに、二人だと簡単に起こすことができました。

姉がいてくれると、お風呂の後、食事部屋で、私が行くまで若主人に付き添ってもらう必要がなくなります。
夫を上がらせた後、私はゆっくりとお風呂に入ることができました。

3人で手を繋いで、いつものところへお散歩に行きました。
そこのそばに、古い洋館があり、コーヒーなどを飲むことができました。
暑い日だったので、夫にはかき氷を食べさせました。
のんびりと穏やかな時間が流れました。

寝る直前まで姉は私たちの部屋にいて、着替えやら、ベッドに寝かせるのやらを手伝ってくれました。

最終日の朝、3人でゆっくりと最後のお風呂に入りました。
朝食をおいしく頂きました。
宿の精算を終え、これまでのお礼を言い、荷物を詰めて、宅急便で出してもらうように頼みました。
介護ベッドの返却立ち会いもお願いしました。
若主人が、新幹線の駅まで送ってくれました。


ここまでは順調に来たのですが...。

東京駅に間もなく到着するという時、異臭が漂いました。
時計を見ると、後13分しかありませんでした。
私はどうしていいかわかりませんでした..。

滞在中の、下痢便がパンツにあふれていたのを思い出しました。
やはりこのままにしてはおけないと腹を決め、私は夫をトイレに連れて行きました。

幸い下痢便ではありませんでした。
でも大量に出ていて、べったりと肌についてしまっていました。
夜用の幅が広い尿取りパッドを使っていたので、ほとんどをそれで受けていましたが、パンツにも多少はみ出していました。
もうズボンを脱がせてパンツを替える時間はありませんでした。
私は尿取りパッドだけ新しいのに変えることにしました。

お尻周りに大量に便がついていました。
私は手が汚れるのも構わずに必死になって拭きました。
そうこうしているうちに、東京駅に到着してしまいました。
この電車は、車内清掃の後、折り返し運転になる電車でした。

停車時間が短いので、ものすごく焦りました。
焦ってもなかなかきれいになりません。
絶体絶命の感じでした。
姉が荷物全部と、車いすを持ってきてくれ、ドアのそばで、辺りの人たちに事情を説明し、謝ってくれていました。
私一人ではどうにもならなかったことでしょう。
姉がいてくれて、本当に助かりました。

やっとトイレから出られたのは、発車6分前でした。
清掃の方達にはほんとにご迷惑をかけてしまいました。

その後、電車を乗り継いで、駅からは介護タクシーに来てもらい、家まで送ってもらいました。
姉も一緒についてきてくれました。
汚れををシャワーで洗っている間、体を支えていてくれました。
おむつをつけ、パジャマを着せ、寝室にある椅子に座らせるまで付き添ってくれました。

もう二階には登らせないで、寝室で簡単な食事を食べさせて寝かせました。



こうして私たちの湯治旅行は終わりました。

初めから無謀に近いというのはわかっていたし、いろいろなトラブルは覚悟の上でした。
それでも、その度にあたふたと慌てふためきました。

自分で処理できることは、なんとかやりました。
でも、自分の力ではどうにもならない事が多々ありました。
本当にありがたいことに、もうだめだ..と思った時に、いつも救いの手があり、助けてもらえました。

そして、この状態の私たちにしては、考え得る中で最高の時を過ごさせてもらいました。

JRの駅員さんを始め、出会った人たちはみんな親切な人ばかりでした。
若主人、宿の人たち、長男さんには本当にお世話になりました。


夫はもう何も覚えてはいません。
でも、きっと、その時々を楽しんでくれたことだろうと思います。


多くの方々の暖かい心に感謝、そして感謝です。




でかける前からの心配事の一つが排便でした。

かなり前から便秘の症状がひどくなっていて、便秘によく効いたヨーグルトもあまり効果がなくなってきていました。
ただこのヨーグルトを飲ませていると、例え1週間便秘しても、便が固くならないので飲ませ続けています。
下剤は、習慣性になると聞いていましたし、下痢便は当人も気持ち悪いだろうしと思って、飲ませていませんでした。

2ヶ月ほど前のことです。
10日間便秘したときがあって、そのときに熱を出してしまいました。
因果関係があるかどうかはわかりませんでしたが、いずれにしろ便秘は体によくないと思い、自然排便がないときは、浣腸をすることにしました。

医師に処方してもらった浣腸を使用するので、デイの看護婦さんと、訪問看護に来てくれる看護婦さんにお願いして、それ以来、週2回の排便を確保してきました。

旅行に行くにあたって、浣腸は使えないし、ここにきて下剤使用もなぁと思い、対処法が決まらないうちの出発でした。

出発の2日前に排便がありました。
旅館に到着してから、3日経っても排便がありませんでした。
連日おいしいごちそうを完食していましたので、おなかの中には相当たまってしまっているだろうと思いました。

旅館のトイレは、廊下からドアを開けると、前室になっていて、小さな踏み込みがあり、一段下がってタイルの床になっていました。
そこでスリッパを履き替えるのですが、夫はスリッパを脱ぐことができません。
手を引いて誘導すれば、スリッパを履くことはできるので、いつも夫には廊下に出るときにスリッパを履かせず、このトイレのスリッパをすぐ履けるようにしていました。

タイルの床の先に、個室のドアがありました。
ドアを開けると、また一段床が上がっていて、木の床になっていました。
前室はまあまあ広いのですが、個室は、ものすごく狭く、洋式の便器が設置されていました。
どのくらい狭いかというと、普通に使用して立ち上がると、自分の体だけで、便器と正面の壁の間がいっぱいになるくらいです。

毎日、このトイレに夫を連れて行くのが苦痛でした。
思うように動いてくれないし、段差の上がり降りもなかなかできないし、それより、便座の前に一旦立たせて、それから座らせるということが果てしなく難しかったのです。
そして立ち上がらせる時の困難さ..。
手前に引いて立ち上がらせることはできないので、横から持ち上げようとするのですが、なかなかうまくいかない..。
旅館の日中のお掃除の時間帯は、係の人が沢山いました。
時々、立ち上がりを誰かが手伝ってくれました。すいぶんお世話になりました。

それだけ苦労をしても、排泄が全くなく空振り状態でした。

旅館に到着してから4日め、私は意を決して、摘便することにしました。
前に一度、他の人に夫の体を支えてもらいながら、試みたことがありました。
そのときは、どこまで指を挿入していいものやらわからず、うまくいきませんでした。

その日も、お散歩からの帰り、部屋に戻る前にトイレに座らせました。
相変わらず、排便はありませんでした。
私は夫に、摘便してみようと思うけど、どうする?いい?と聞きました。
夫は頷きました。
私は持参した使い捨て手袋などを部屋から持ってきました。

じゃ、立ってねと言うと、なんと夫は自分ですっと立ち上がりました。
摘便をしている間も、夫はおとなしく立っていてくれました。

私は驚き喜びました。
温泉に入り出してから、なんとなく夫の反応がよくなっていると感じていましたが、これほどまでに私の言葉を理解してくれるとは。

無事、排便がありました。
大量の排便の後、夫はすっきりしたのか、いい表情をしていました。
でも、終わった後、便座から立ち上がるのが、またできなくなっていました。
さっきのはなんだったんでしょう..。
まぁでも目的は達成したし、これでよかったと私は思い直しました。

滞在中、更に2回摘便をしました。
その時も同じように、すっと立ち上がってくれました。
排便が終わった後、立ち上がれないのも同じでした。

旅館に来てから9日めと10日めに、胃腸に疲れがでてきたのか、下痢便をしました。
この2回は、散歩中に臭いがして、トイレに連れて行ったみるとパンツの中にいっぱいにあふれて腰のあたりまで汚れていました。
ちょうどお掃除の人が、これからトイレを掃除するところでした。
私はちょっと待ってもらって、必死に処理しました。

なにしろ狭いし、身動きがとれないし、どこかに便をつけないで処理するのは絶望的に思えました。
ここに来てからずっと紙パンツを使っていたので助かりました。
紙パンツならば、横から破いて取り去ることができます。布パンツなら大惨事になっていたところでした。
奇跡的にどこも汚さず処理することができました。

その後、どうしても立ち上がらせることができませんでした。
お掃除の人が来て、手伝って立ち上がらせてくれました。
二重のビニールに包んであるとはいえ、汚物を快く受け取って処分してくれました。

介護関係の施設なら当たり前のことでしょうが、ここは普通の旅館です。
夫のような人が泊まったのは、おそらく初めてだったのではないでしょうか。
それゆえ、私は、不快な思いをさせるのではないかと、心配しました。
でも、そんな心配は杞憂だったようです。
ここの人たちは、まるで当たり前の事のように、暖かく手助けしてくれました。
私はこれまでの人生、人を介護したことはありませんでした。
まして、認知症の介護については、全くの無知でした。
夫が認知症になってから、いろいろな本を読みあさりましたが、どれもその時点の私の心配、疑問を解決してくれるものではありませんでした。

そもそも、夫がこれからどうなっていくんだろうということすらわかりませんでした。
主治医の先生に聞いても、単にステージ別の症状を教えてくれるだけでした。
次のステージにいかない、いくのを食い止めるという発想は、先生には全くなさそうでした。

その時々でいろいろな心配事がありました。
相談する相手がいない私は、ネットでいろんな方のブログを読んで参考にさせていただきました。
ブログそのものはもちろん、そこについているコメントも、生の実体験に基づいたコメントなので、とても参考になりました。
勝手に、そしてありがたく、そのお知恵を拝借させていただいてきました。

例えば、裏側防水ナシの尿取りパッドの存在を知ったのも、どなたかのブログで、おむつの話題が上がっていたときでした。
毎朝のベッドの洪水に悩まされていた私は、早速入手して使用してみました。
以来、ずっと便利に使用を続けています。

こうした介護のヒント、アイディアは、数限りなくブログから頂いております。

夫は早い時期から言葉を失っています。
ブログには、同じような症状、段階なのだけど、まだご自分のことを話せる方がいて、それを書かれているのを拝見すれば、ああ、そうか、夫はこういう状態なのだなと理解することができました。
これもまた、ほんとにありがたいことでした。

ブログは私にとって、知識の宝庫です。
願わくば、この拙い私のブログでも、いつの日か、どこかにいるどなたかのお役に立てれば嬉しいと思っています。



そういった私の、最も敬愛するブログの一つ、認知症という希望のオーナーが、長男さんです。

今回の温泉旅行先に訪ねてきて下さり、本当に心のこもった手助けをして下さいました。

旅館に着いた当日の夜、無事着いたことを報告しがてら、私一人では夫をお風呂に入れられなかったこと、若主人が、平日は手伝ってくれることになったことを話しました。
なんと長男さんは、日曜日に来て手伝って下さるとのことでした。

メッセージのやりとりでは、親しくお話をさせて頂いていたとはいえ、見ず知らずの方です。
そんなご負担をかけていいものかどうか、私はためらいました。
でも、日曜日も夫をお風呂に入れられる!
私はありがたくお言葉に甘えることにしました。


最初の日曜日、長男さんは約束通り旅館を訪ねてきて下さいました。
とても誠実そうな方で、すぐ打ち解けてお話しすることができました。
背が高く、見るからに頼りがいがありそうなイケメンの方でした。

ひとしきり、昔行った旅行のこと、水中を撮影したビデオのことなどおしゃべりしました。
夫が言葉が話せたら、きっと話に加わりたいと思ったことでしょう。
夫の趣味は、長男さんと共通するものがありました。

あらかじめ長男さんにも水着を持ってきて下さるようにお願いしていました。
夫をお風呂にいれてもらい、3人でゆっくりと湯船に浸かりました。
いつもは、シャワーをかけた後すぐに浴槽にいれるしかなかったのですが、この日は夫の頭をシャンプーし、体も石けんで洗ってやることができました。

長男さんは、次の日曜日もまた来て下さるとのことでした。
早めに来て、お昼にも連れ出して下さるとのことでした。
私はすっかり甘えてしまって、即答でお願いしてしまいました。


楽しみにしていたその翌週、長男さんは、今度は奥様も連れてきてくださいました。
花のように明るくて、かわいらしい素敵な奥様でした。
ほんとにお似合いのご夫婦でした。

早速長男さんの車で出発しました。
夫を助手席に座らせてもらい、ドライブ中の景色がよく見えるようにしました。
新緑の中の、それは楽しい素敵なドライブでした。

泊まっていた旅館が、県境に近いところだったので、なんと隣の県まで連れて行って頂きました。
家を出発した時点の夫の体調では、旅館に来ること自体不安があったのに、今や、更に足を伸ばして隣の県までドライブしている!
私は嬉しくてたまりませんでした。

長男さんは、あらかじめ、おいしいおそば屋さんの席を予約しておいてくれました。
混んでいたけどすぐ席につくことができました。
板そばという、おそばの玉が、板状の器に並べられているものを食べました。
5人前なのに、4人でぺろりと食べてしまいました。
大根おろしをたれに入れて食べました。これがとんでもなく美味でした。
おそば自体がおいしいのはもちろんのこと、それに大根おろしがからまったこの味!
この大根は普通の大根ではない!と、長男さんが、お店の人にどんな大根を使っているのかと聞きに行きましたが、企業秘密なのか教えてもらえませんでした。

わいわいがやがやとほんとに楽しい食事でした。
夫は、介助こそ必要でしたが、ちゃんときれいに食べてくれました。
上手におそばを啜っていました。
私は夫が認知症患者であることを忘れ、仲の良い友達と4人で食事をしている錯覚にとらわれました。

満腹で満足し、私たちは更にドライブを続けました。
途中、大きな川の河原で、一休みしました。
お天気がよくて、暑い位の日でした。

その後旅館へ戻り、長男さんは、また夫をお風呂にいれて下さいました。
本当に、何から何までお世話になりました。
思いがけずお会いでき、本当に親切にしていただきました。
ありがとうございました。

感謝の念でいっぱいです。
温泉旅館の楽しみの一つは、なんと言っても食事です。
この旅館の食事は、本格的な和風料理で、味もよく毎日おいしいね~と言いながら食べました。
土地柄、山菜のお料理も沢山でてきて、特にてんぷらで出してもらった時は絶品でした。
とれたての柔らかなタケノコもいろいろ調理方法を変えて毎回のようにでてきました。

私たちが長期滞在なので、飽きないようにと、宿の方で工夫を凝らしてくれて、毎日違ったメニューの食事を出してくれました。
何か食べたいものはありますか?とか聞いてくださいました。
煮魚が食べたいと言いましたら、キチジの煮付けを出してくれました。

3日か4日めを過ぎた頃から、他のお客さんとは違ったメニューでした。
例えば、お肉食べたいでしょうからと陶板焼きを出してくれたりしていました。

若年性認知症の夫と二人暮らし-キチジ
若年性認知症の夫と二人暮らし-陶板焼き


朝食もいつも色とりどりで、食べきれないのではと思う位、沢山のおかずを出してくれました。
おいしいので、夫も私もほとんど完食していました。

若年性認知症の夫と二人暮らし-朝食


夫はまだお箸を使うことができていました。
全部を食べられないにしろ、最初だけは自分でお箸を持って、食べ物を口にいれることができていました。

ところが、ここに来てから、全く自分では食べようとしなくなりました。
家では混乱がないように、大抵の場合、一枚の大きな皿に食事を盛りつけて出しています。
旅館の食事は、小鉢やらなにやら沢山あって、しかも飾り付けがあって、食べ物かどうか判断つかなかったのではと思います。
お箸を持たせても、そのまま置いてしまってだめでした。

やむなく全介助で食べさせました。
夫に食べさせながら、自分も食べました。
夫は、口に食べ物が入っていると、それをよく噛んで飲み込むまで、次の一口を受け付けません。
その間を利用して、自分が食べました。
時間はかかりましたが、夫が食べ終わる頃、私も食べ終わっていました。

夫は、大きな口を開けて、おいしそうに食べてくれました。
それを見ていて、私は、おいしいものを食べさせてあげられたことに喜びを感じていました。