電波整体士 -14ページ目

電波整体士

とある医業類似行為者の混沌とした生命論。


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ああ青年よ。汝が男とは、只名のみなりし時、汝が痩せこけたる頬を富士颪に晒して、孤影悄然たりし時、汝が頻頻として、病魔の為に呻きし時、而して汝が「茅棒」と侮辱せられつつありし時・・・、誰か汝が、今日の強健體を想像し得しものぞ!?汝を生める母、汝を育てたる父、汝が周囲の人々、扨ては・・・・汝自身すらも。抑も・・・・・こは・・・・・何を?意味する乎???

病弱瘠痩の同胞諸君よ!!失望し給ふこと勿れ!!!如何なる體軀と雖も、不断の努力を積まば、全く、全く、全く・・・・改造し得べしとの確證これなり矣。



というとても熱いあっちーメッセージから始まる大正14年、肥田春充著「川合式強健術」と昭和11年同著者の「聖中心道肥田式強健術」を久しぶりに読んでみた。手元にあるのは何れも拡大復刻版。ずっと本棚にしまいこんでいて随分埃を被っていた。


「肥田式強健術」とは肥田春充氏が考案した心身鍛錬法で腹と腰を重視し、正中心いわゆる丹田を鍛えあげることを目的とする。健康を突き抜け、強健となり一個人の健康問題だけではなく心理社会的な健康とはなにか?人間とはなにか?を問う。悟り系健康術だ。ヨーガや気功にも通じるかもしれない。


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大正から昭和初期にかけては流行っていたらしく天皇陛下もお読みになったらしい。


創始者の肥田春充氏は幼少期の頃は病弱でひきこもりであったが、一念発起し健康に関する様々な本を読み漁り実践。ついに強健体と成り、早稲田、明治、中央という3大学、法、政、商、文と4つの科を卒業。肉体が強健になっただけではなく、IQまで強健に。後に体育家、思想家、哲学者、著述家として多方面に影響を与えたという。


その強健ぶりは透視や予知能力というオカルトか!?と思わせんばかりの方向もあるのだが、肥田氏は正中心を得れば可能と語る。肥田氏に言わせれば、世の超能力やら霊能力とやらは全て科学的に説明がつき、全てトリック。まるっとお見通しだ!


肥田式強健術というと超自然的なパワーばかりが注目されてオカルト誌にも登場するようだが、まず肥田氏にはジャンルを問わず膨大な知識があったことを知っておかなくてはならない。肥田氏は正中心を悟れ!そしたらOK!といったようなことばっかり垂れているが、これは色んな勉強して論理的に自分で考え身に着けなさいということであろう。国を憂い、国士としても活躍し、その最期は人類を憂うあまり絶食し亡くなった本人が人を縛り付けるようなことはせんであろう。


ところで何故私がこんなマニアックで超マイナーな健康本を持っているかというと、健康のことなどあまり関心のなかった学生時代に奇しくも通っていた学校の先生が肥田式強健術の副会長をやられていて、もの好きの友人の誘いで体験したことによる。武術の型のような動きと気合でこ、これはっ!?何か凄い・・・とその時は感じた。半年位だったが週一の間隔で美術室で教わった。先生はとても嬉しそうだった。初めて上京した時もその先生の紹介で本部道場の体験もさせて頂いた。


先生は4年程前に亡くなられたが、肥田式強健術との出会いが私の生きていく上での礎になったことは間違いない。東京という様々な人間と情報が流れ集まってくる日本の最下流で元来ひきこもりヲタク体質の私が精神崩壊せずにそこそこやっていけてるのもこういった体験があったからこそだと思う。積極的に生きる。強健になる・・・。肥田式は本当の体育だと思う。


人を全人格的に観るホリスティックというコンセプトと、強健というコンセプトは相通ずるように感じる。


積極的に情報を集め、活用する。ヘルス・リテラシーも最終的には頭から降りて行って、自分の腹と腰でキメなければいかん。そう正中心で!脳ばかりが人間じゃないんだよ?


強健術はコンセプト!!

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渾身是鐵!!筋骨柔軟飛鳥の如し!!


同胞諸君!!肥田式強健術の一読をお薦めするッッ!!


如何なる體軀と雖も、不断の努力を積まば、全く、全く、全く・・・・改造し得べしとの確證これなり矣!!



















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一応、普通に生活していれば鏡を見ない日はないと思う。


私は仕事柄もあるし、コンタクトレンズという医療器具がないとほとんど座頭市状態で生活に支障が出るのでレンズを装用するためにもほぼ毎日鏡を見ている。


この鏡。不思議に感じたことはないだろうか。


例えば右手を上げれば、鏡の中の自分は左手を上げている。左右が逆になっているのに、上下は変わっていない。


何故だ?


何故、左右だけが逆に映るのだ?


実はこれが思い込みなのだ。


鏡は何も嘘をついていない。自分が右手を上げれば、鏡の中の自分は右手を上げているのだ。


その鏡を見ているのは、自分ではないか。自分以外の誰がいる。


鏡は前後だけを反転して映すという。


鏡を見た場合、その鏡に映っているのは自分と、自分の後ろにある背景だから。


車のバックミラーに前が映らないじゃないか!と文句を言う人はいない。


バックミラーに映る後ろの車が左のウインカーを出していたら、左に曲がるだろう。決して右に曲がってはいけないっ!


鏡を地面に向けて見てよう。何が映っている?地面だ!


鏡を天に向けて見てみよう。何が映っている?間違いなく天だ!


自分は地面を見ているのに、天が映っている、不思議だというのはいらん思い込み。


鏡はちゃんと天を向いている。


鏡は何も嘘をついていない!鏡は真実のみ映す。


左右も上下もない世界。ただありのままに映す。決定された世界があると思い込んでいるのは人間側なのではなかろうか。


チンパンジーやネコや犬も鏡を見て不思議がる節がある。お前は誰なんだと。しかしすぐに飽きるようだ。そもそも彼ら彼女らは鏡を見る習慣がないし、ヒトほど自意識が無いからかもしれない。あ、何か映ってる。映ってるなあ~程度だろう。鏡を必要としない彼らは、ありのままの鏡に近い存在かもしれない。


ヒトはヒトが鏡だという。ヒトは自分を映す鏡。自分を投影した自分の背後にある存在。自分しか自分の目には映らない。自分が何者であるかと知るには周りをみればいい。自分の行動や言動がそのまま相手のリアクションになる。ありがとうといえば、ありがとうと返ってくるだろうし、バカ!といえばバカ!と返ってくるだろう。まさに鏡だ。


そして目の前のヒトが良いヒトだと思えば、そのいい部分が自分であり、悪い人だと思えば、悪い自分がいるのだ。


故に、日々鏡を磨くように心を・・・なんていいますがこれまた難しいことですね。と、思い込んでいるのもまた自分なのだ!


鏡は古来から真実を映す道具として神聖化されてきた。その事実から考えると古来からヒトは色々と見誤ってきたのかもしれない。


鏡は真実でありまた虚像だ。と考えた時、本当の自分がそこに映る。


やはり、鏡は嘘付かない!








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 「マンガで分かる心療内科」の第9巻を購入して読んでみた。


相変わらず下ネタ満載ながらツボを押さえた心理学の紹介が面白い。


結構売れているようだ。ということは皆、なんだかんだいって結局下ネタが大好きだということか。


否、心の悩みを持った方が右肩上がりで増加しているのか。


その真偽はわからないがこのマンガが面白いということだけは言える。


このマンガで笑える内は、まだまだ心のパワーが余っているということかもしれない。


下ネタ・・・。なんて素朴なのだ!下ネタを下品などと眉をひそめる高貴ぶった輩がいるが神社に祀られている陰陽石は何なのだ。初めて発見したヒトは何故こんな場所に何故こんな大きなものがっ!とさぞかし腰を抜かしたことだろう。


我が宮崎で行われる伝統的な祭事である”日向ひょっとこ踊り”のあの腰つき。中には大根とじゃがいもを使用してご丁寧に吊り下げている者も見たことがある。大きすぎる!モザイク必至だ。 


日向神話の重要なクライマックスである”天岩戸開き”はウズメがセクシーな半裸で踊り、それを見た神々が笑った事がきっかけで世の中が明るくなったという話になっている。


図書館に置いてある春画。私は図書館で発見した時、こ、こ、こんなものが子供も訪れる公共の施設にあるなんて!とわざわざ哲学のコーナーに持って行って一人ひっそり楽しんだことがある。哲学のコーナーでニヤついている男はさぞ不気味だったに違いない・・・。


古来から続く下ネタという素朴な笑いには本能的にヒトを回復させる力があるのではないか。しかし露骨な表現はヒトを不快にさせてしまうだけだから、下ネタというのはさじ加減、まさに劇薬だ!


たかが下ネタで笑えるというのは重要な健康のバロメーターだと思う。


知的な下ネタとかあったらそれこそ気持ち悪くて笑えないでしょう?


それ以上でもそれ以下でもないヒトの土台、根本的な笑い、ギャグが下ネタなのだ!


「マンガで分かる心療内科」が聖学院大学にて精神医学の教科書に認定されたらしい。


勿論、下ネタを学ぶためではなく精神、心理を学ぶためだ。


マンガを読む限りでは、精神の病など存在しないかもしれない。