「心はなぜ腰痛を選ぶのか」(J・Eサーノ著/長谷川淳史監訳/浅田仁子訳)
慢性的な問題を抱えている方もそうでない方も一読をオススメする。
心と身体には相関関係がある。精神と肉体を分けて考えるのには無理がある。
私達は脊椎動物であり、哺乳類であり、ヒト科の動物でその根幹はミトコンドリアが産生するエネルギーで動いている訳だが、大脳が少しだけ大きいというのが特徴だ。
その大きさの分だけを、”人間”という。
脳が少しばかり発達しているから色々ある。私にも色々あるW
心が弱いから痛みが出るのではないし、心が強いから痛みが出ない訳でもない。
まして筋トレをしないから痛みが出るわけでもないし、鍛え方が足りないから痛みが出るわけでもない。
心に強弱などない。自然しか無い。人間は自然が生み出した存在だから。
慢性的な痛みは内側からのメッセージであるということだけは確か。何かに気がついてほしいのか、重大な問題から注意をそらすために存在しているのか・・・。
私の場合、左手首に数年間の痛みが存在している。年単位だから立派な慢性疾患だ。医学的には全く問題ない。だけど痛みはある。事の発端は武術の稽古の時だ。
左手首に関節技を掛けられた時、イラッときた。痛かったという単純な理由だけではなしに、稽古なのに、まして敵ではない同門なのに何故そんなにムキになって執拗に掛けようとするのか元来戦闘に向かない気弱で拙い私は理解できずついイラッときてしまったのだ!なんという愚か者WW!
技を掛けた門弟は勿論ただマジメだっただけなのだ。そもそも武術稽古だから。お互い達人ではないのだから技も粗くなる。それなのに私は必要以上に攻撃を受けたと思い込みながら左手首の痛みを必死で我慢し続けた。その日を境に何かというと左手首に鈍い痛みが出るようになった。
怒りと被害者意識という呪いを左手首に自分自身で掛けてしまったのだ。
さらにタチの悪いことに自分の左手首は弱くなったと決め付け、テーピングして臨むようになった。
そんなある日テープをせずに稽古することにした。何故って?テープを巻かねばできない自分が嫌だ!と内なるゴーストの囁き。それに死ぬわけでもないしな・・・大丈夫だと覚悟をキメ臨むと、稽古中何ら問題もなく、稽古後も続いた。
それから意識が変わった。左手首の呪いが完全に無くなった訳ではなく、ストレスを感じるとたまに顔を出すが、今は痛みの消失レベルまで十分コントロールできるし、自分にとって重要なストレスチェッカーとして機能しまた身体に携わる者として少しは呪いが存在していてもいいねと思い、やつを楽しく飼っているのだ!
呪いといったが今では重要なヒントをもたらす光のリストバンドとなっている。激痛というプレゼント与えてくれた?門弟とも仲良く稽古している。
私の場合は道場という非日常の空間で、痛いことするよという同意の上で行われる場ですら起こった現象だ。
連続する日常生活の場で、怒りや攻撃感情がどれだけ心身ダメージを与えるか計り知れない。
地球上どこにいようが”人間”が存在すれば感情の働きはある。場所は関係ない。
こころとからだには相関関係が大いにあると確信している。




