ヴェルディ歴代外国籍選手列伝 第1回 | BBGのブログ

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新型コロナウィルスの感染拡大が止まらず、いよいよ「緊急事態宣言」が発令されることとなりました。
自分を含め多くの国民が自宅待機を余儀なくされ、各種スポーツも長い中断期間を強いられています。

こうした自粛生活において少しでも皆様の「助け」になれればと思い、今回より「特別企画」の更新を始めていこうと思います。


第1弾となる今回の企画は、「東京ヴェルディ歴代外国籍選手列伝」。
昨年SNS上で流行った「外国籍選手列伝」シリーズの東京ヴェルディ版です(笑)

昨年流行した時に自分も更新を試みたのですが、かなりの熱量が必要なことが分かったので断念したんですよね。
ちょうど時間が出来た今ここで挑戦してみようということで流行から1年遅れで更新することとしました(笑)

対象は2009年から現在までJ2で戦った選手に絞って合計32名。
周りの方の例に倣って少し厳しい意見やふざけたテイストを多めに入れた部分が鼻につくかもしれませんが(苦笑)最後までご覧になってもらえればと思います!


東京ヴェルディ歴代外国籍選手列伝(2009年~2020年)

レアンドロ (2008年~2009年)


J1に所属した2008年に加入するも、2009年も引き続き在籍したのでご紹介。

2008年は「退団したフッキの代わりに獲得したフォワード」ということで大きな期待を集めながら
「実際はストライカーではなくてプレイメイカー」という一同膝から総崩れのオチがついて降格の槍玉に挙げられる羽目に。
しかし、大方の予想を覆してチームに残留した2009年は一転攻撃の核として大活躍した。

サンパウロでも活躍したというそのテクニックはJ2では3段階くらいはレベルの違うものであり
抜群のキープ力を生かしてボールの拠り所になり、思わず唸ってしまう絶妙なラストパスで得点を演出。
前年には見られなかった得点力も発揮し、強烈なミドルシュートで幾多の歓喜ももたらした。
2チャンネルでのタイプミス(レアンドロ→レアン殿)がきっかけで「殿」という呼称を授かったが、まさしく「殿!」と呼びたくなるプレーぶりだったと言えるだろう。

一見すると「最低でも3人は殺りました」という風貌をしているが、ブラジル人らしい明るいキャラクターで一躍人気者に。
余談だが、昨年久々に引退後の姿をネット上で拝見したが「5人くらいは殺ってます」という風貌にバージョンアップされていた。


レオナルド(2009年)


複雑なキャリアの持ち主で、2007年に一度ヴェルディに入団。
そこからは入団即レンタルという形で2年間鳥栖でプレーし、2009年にヴェルディへと戻ってくることになる。

獲得した若手選手を即座に他クラブへ貸し出しというプレミアリーグの強豪クラブのような手法は当時にしては珍しく
「ヴェルディが鳥栖に若手選手を貸し出す」という構図と合わせて昨今のJリーグの移り変わりの激しさを感じることが出来る。

結局2009年の出場は3試合に留まり、プレーも何となく縦に速かったくらいの印象しかない。
その後は栃木と北九州を経て、以降はJSC→秋田→青森→マルヤスとマニアにはたまらないといった経歴を辿って長く日本で活躍を続けている。
秋田に在籍していた2015年に日本国籍も取得しており、今の名前は「盛礼良・レオナルド」だそう。


アデバヨ(2010年)


U-23ナイジェリア代表候補、代理人がボビー・オロゴンの弟アンディ・オロゴンという色物中の色物。
どう考えても活躍はできないだろという大方の予想通り09年に所属した柏では出場0試合に終わるも、何をどう評価したのか翌年レンタルで柏から連れてきた。
当時のヴェルディは財政的に最も苦しい時期だっただけに、何となく名前のアデバヨール感に誘われて飛びついてしまったのかもしれない。
出場0試合に終わったことは言うまでもない。


リ・チソン(2010年)


朝鮮高校を経て今や懐かしいジェフリザことジェフリザーブスへ進んだMF。
2年間で出場10試合、2年目に至っては出場ゼロという評価のしようがない経歴ながら、何をどう評価したのか翌年ジェフリザから連れてきた。
当時のヴェルディは財政的に最も苦しい時期だっただけに、何となく名前のパクチソン感に誘われて飛びついてしまったのかもしれない。
出場0試合に終わったことは言うまでもない。


マラニョン(2011年)


胸スポンサーには飯田産業を迎えるなど、長らくの財政危機をようやく脱した2011年。
前年は「実質ゼロ人」だった外国籍選手も一転して華やかなものに。
その中でも課題だった得点力不足の解消役として特に期待され、開幕前のファン感謝デーで羽生社長がステージ上から渾身のどや顔で獲得を電撃発表したのがマラニョンだった。

2年前には甲府で19得点という、名前の響きだけではない確かな実績の持ち主。
この電撃発表にはサポーターも大いに沸き立ったのだが・・・
このマラニョン、とにかくチャンスに弱かった(©世界まる見え特捜部)

記録を見ると9得点と一定のスコアはマークしているのだが、それでもすべてのサポーターの頭から「チャンス×」の特殊能力が消えないのは逃した決定機が多すぎたから。
自慢の快足を活かしてゴール前に抜け出し、あとは決めるだけというチャンスでGKにぶち当てるのはお約束。
パトリック・クライファートのように「簡単なチャンスには弱いけど時折とんでもないスーパーゴールを決める」というロマン性を備えるわけでもなく、ただただ決定機を逸し続けるだけにサポーターからの評判もどうにも芳しくないままだった。


アポジ(2011年)


マラニョンの獲得だけに留まらず、開幕直前の2月末に突然獲得が発表されたサイドアタッカー。
名門クルゼイロからの加入。長い髪を侍のように結ってサイドを疾走するプレー集には得体の知れなさと合わせて妙な期待感が漂うも
獲得が遅かったこともあってチームへのフィットが進まず、当時の川勝監督からは最後まで戦力外の烙印を押されたままだった。

リザーブ主体で挑んだ天皇杯で浦和相手に得点を挙げるも、それ以外は目立った活躍は残せず。
ブラジルに帰国後は武器とする足の速さが世間を騒がせたりと幾度か名前を聞く機会があったが、そのスピードはヴェルディではあまり堪能できた記憶がない。
如何せん足の速さに他のスキルが追い付いておらず、サイドを突破するシーンはあまり見られなかった。
例えるならば「スタミナのあるバーチャット」と言った所。使い所の難しい選手だった。


キム・テヨン(2011年)


そういえばいたなぁ、こんな選手。
それまではJ2で4クラブを渡り歩き、各クラブでまずまずの実績を残していた守備的ボランチ。
しかし、残念ながらヴェルディでは1試合にも出場できないまま7月にレンタルを打ち切り。
そのまま保有元の岡山からも退団し、母国であるKリーグの大田へと去って行った。
記憶がないので特に感想はない。この時期の韓国籍選手は外してばっかりだったなぁ。


ジョジマール(2012年)


19歳で日本にやってくると、甲府と愛媛で実に6年間Jリーグでプレー。
派手さは無かったが、年間8得点や7得点などコツコツとした活躍を積み上げて12年にいよいよ首都上陸を果たした。

これまでの得点力を考えるとあまり派手な活躍は望めないと思われていたが、キャンプでは好調を維持し当時のエースであった阿部拓馬の相方の座を見事にゲット。
阿部からも「ジョジマールは活躍すると思う」とのお墨付きを頂き、その通り開幕戦で得点を挙げるなど華々しいスタートを切ることに成功した。

…が、その後が全く続かなかった。
残念なことにブラジル人ながら技術力に欠け、長身ではあるものの競り合いやポストプレーも不得手。
リザーブに降格になってからもジョーカーの役割は果たせず、あっという間に夏に退団となってしまった。
開幕戦のゴールも今となっては思い出せず、「アジエル!」と声をかけると「アジエルじゃネーヨ!」と丁寧なツッコミで返してくれた堪能な語学力だけが強烈な印象として残るだけの選手だった。


アレックス(2012年)


ジョジマールと時を同じくしてザスパ草津からステップアップを果たす形でやってきたFW。

当時はブラジル人ガチャの成功率に定評のあったザスパにて一定の活躍を残していただけに
「ザスパブランド」から加入当初はジョジマールよりも期待を集めたが、ヴェルディでは鳴かず飛ばず。
川勝体制では全く評価されず、出場機会すらろくに得られないままだった。
川勝監督の解任後、高橋体制では一転して出場機会が回ってくるも結局ほとんどノーインパクト。
FWとしては迫力不足で、「アジエル!」と声をかけても残念ながら鋭いツッコミが返ってくることも一度もないままだった。


ペ・デウォン(2012年~2013年)


2012年に練習生としてやってくると、当時コーチを務めていた秋田豊氏の目に留まりそのまま契約へ。
恩人の秋田氏は冬に退団となったが、三浦泰年体制に移行した2013年も契約延長を勝ち取った。

しかし「秋田豊×三浦泰年」が見事最悪なマッチングを果たした結果、開幕前の練習試合にて対戦相手だったカマタマーレ讃岐の選手に「右足開放性脱臼骨折」というとんでもない重傷を負わせることとなってしまう。
試合は中止。三浦監督の試合中の悪態と合わせて批判に晒されたクラブはHPに謝罪文を掲載。
指揮官は2試合、そしてペは実に3ヶ月という長期の「自主的処分」を受けることになってしまった。

怪我を負わせたラフプレイは言語道断のものだったが、本人の性格は非常にシャイで大人しかった印象。
復帰後もこの一件を明らかに引きずっていた感は否めず、夏に町田へと移籍することになった。


ジミー・フランサ(2012年)


ジョジマールに見切りをつけたクラブが、同年に何としても昇格を果たすべくJ1の清水から緊急補強したストライカー。
と言っても清水では14試合無得点とほぼ鳴かず飛ばずだったのだが、デビュー戦で早速ゴールと幸先のいいスタートを切ることに成功する。

加えてその日のコンディションが「38度の高熱状態」だったというのだからおそるべし。
実際はそんな選手を平然と出場させた川勝男塾体制が一番恐るべしだったのだが、「平熱だったら一体何得点を決めるのだろうか」とファンの期待は瞬く間に最高潮に達した。

しかし、その後は結局1得点も挙げられず。
プレースタイルも「ジョジマールをひと回りゴツくしただけ」という感が否めず、収められない決められないと一転して前線でのお荷物に。
加えてSNS上では連日連夜空気を読まずエスパルス愛溢れる投稿を繰り返し、温厚なヴェルディファンをもさすがに怒らせる結果となってしまった。

半年の所属で何がそんなに気にいったのかはよく分からないが、ヴェルディを退団以降もSNSはエスパルスへの愛に溢れた投稿で埋め尽くされている。
昨年はいよいよ「J2bilo」という独自のハッシュタグを作成して磐田を煽りだすなど、引退後は清水の応援団体がオファーでも出してあげるべきだと思われる。


ニコラス・カタヤマ・ドス・サントス(2012年)


ペ・デウォンと大体同じくらいのタイミングで突然の中途採用となったCB。
「カタヤマ」の名の通り日系ブラジル人ということで、どことなく「田中マルクス闘莉王」っぽい名前の語感と合わせて一部ファンからは期待を集めたとか集めなかったとか。

フラメンゴから加入ということで今となっては中々のキャリアの持ち主だったのだが、残念ながら公式戦でその姿をお目にかかる機会は一度もないままだった。
どことなくリズミカルな名前の語感から、今でも一部ファンの間では酒の肴として名前が挙げられることがあるとかないとか。


キム・ジョンピル(2013年~2014年)


前所属の北九州ではボランチでプレーしあくまで準主力という立ち位置だったが
三浦監督がヴェルディに連れてくると、センターバックとして新たな能力が開花。

13年は終盤の大怪我もありあまり目立てなかったが、14年はレギュラーとして絶対的選手に。
39試合に出場し、オフには昇格した湘南へと見事ステップアップを果たした。

ヴェルディでは2年間コンビを組んだ井林との相性が抜群であり、降格を争うほど低迷した2014年は彼らの存在だけがチームのストロングポイントとなり残留最大の要因となった。

そんな井林とはピッチ外でも…というよりむしろピッチ外の方が好相性と言っていいほどの仲良しであり、国籍の違いを超えて常に井林と行動を共にしていた模様。
この後湘南と徳島でプレーを続けたが、井林がいない両クラブでは結局目立った活躍を残せないままだった。


カン・ソンホ(2014年)


リ・チソン以来の北朝鮮出身選手であり、加入直後から副主将を任される。
ボランチとして開幕直後は一定の出場機会を得るも、中盤で起用するには技術不足は否めなかった。
186㎝と長身だっただけにCBでの起用が正解に思われたが、井林とキムには太刀打ちできず結局半年の在籍で夏に金沢へと移籍。
そのまま同年限りで現役生活に見切りをつけ、その後は京都のフロントスタッフとして働いている模様。

残念ながらヴェルディでは大きなインパクトを残せなかったが、開幕前のファン感謝デーで実施された餅つきにおいて
同僚のキムに「北と南でコラボしようぜ!」という彼にしか許されないセリフで誘いの声を掛け、どんな助っ人もある意味敵わない大きな伝説を残してくれた。


ニウド(2014年)


この頃のクラブもかなりの極貧状態であり、1月も末になって突然中島翔哉のFC東京移籍が発表されるなど
サポーターは「たとえ新体制が発表されたからといって気を緩めてはいけない」という悲しい現実を開幕前から思い知る羽目となった。
そんな荒んだサポーターの心を少しでも癒すべく、開幕直前になってクラブが急遽加入を発表したのがこのニウドだった。

合流が遅れたこともあり加入当初は三浦監督と練習中に衝突するなどフィットに時間を要したが
本人の努力もあって5月に初出場を果たすと、そこからは完全にボランチとしてレギュラーに。

決して大柄ではないが長い足を活かした中盤でのボール奪取を一番の持ち味に、リスクを恐れぬ大胆な持ち上がりで攻撃面でも貴重なアクセントを加える存在に。
「大胆」を「無謀」に置き換えてもあまり違和感はないプレーも多かったが、当時のチームはとにもかくにも得点力不足だっただけにニウドの攻撃的姿勢はサポーターのフラストレーションを晴らす意味でも大きな役割を担っていた。

全体的に「考えるより先に動く」タイプであり、24試合に出場してイエロカード12枚という驚異的な記録も達成する羽目となったが
こうした不器用さとどこか可愛らしい見た目も相まって、サポーターからは中島に代わる新たなる7番として大いに人気を集める存在となった。

…だったが、オフにはあっさりと同じJ2の札幌へと移籍。
活躍した選手の移籍は避けられないという悲しい現実をまたしてもサポーターは突きつけられるのであった。


ギリャルメ(2014年)


ニウドと全く同じタイミングで同じ所属先であるアヴァイーからの加入が発表されたCB。
加入当初はニウドと共に「両方ハズレ」という印象だったが、思わぬ掘り出し物となった相棒に比べて彼は最後までハズレのままだった。

何せ1試合も出場しなかったのでプレーの印象もクソもないのだが、8月に退団が発表された際に
「僕はブラジルに帰りますが、ニウドが残ってプレーしますので皆さんニウドへの応援をよろしくお願いします」
という何とも相棒思いなコメントを発表し、「とりあえずイイ奴」という印象を残すことにだけは成功した。


アブダ(2014年)


降格に向けていよいよケツに火がついてきたクラブが、ニウドとギリャルメの友情を断ち切ってまで夏に獲得したブラジル人ストライカー。
2012年にFC岐阜が「ストライカー募金」をもとに獲得した選手の一人だったが、その際の成績は12試合で1得点とだいぶお察しではあった。

しかし、当時のヴェルディはそんな選手にでもすがりたくなるほど得点力を欠いており
あまりの得点力不足からサポーターはついつい「Youtubeのプレー集」というマッチを擦った先の夢に可能性を見出してしまったのであった。

結果は言わずもがな…というか加入直後から怪我ばかりで結局出場すらほとんどないままだった。
西が丘サッカー場にてサポーターからの大喝采を浴びながらピッチを一周した加入挨拶がヴェルディでのピークであったことは間違いない。


ウェズレイ(2015年~2016年)


SC相模原からマリノスへという予想だにしない移籍が思わぬ成功例となったファビオに倣い、2匹目のドジョウを狙ったクラブが同じ相模原から獲得した大型センターバック。

しかし、時にボランチとしてもプレーする技巧派の一面を持ち合わせた1匹目とは異なり、こちらのドジョウは能力値がほとんどフィジカルに「全振り」だった。
技術の低さはCBとしても致命的なレベルであり、サッカーIQも低いためゴール前で失点につながるミスを頻発。
フィジカルも相手を圧倒出来るほどのレベルではなく、J2の舞台は残念ながらハードルが高かった感は否めない。

一方で「これぞブラジリアン」という大変陽気な性格の持ち主で、出場せずとも試合後はスタンドで太鼓を叩くなどサポーターからは愛される存在に。
太鼓を手にする姿があまりに様になっていたのでそのままサポーターに転向するのもアリかと思われたが、サッカー選手としての成功を諦めきれず現在はいわきFCにて自慢のフィジカルを更に鍛えている模様。


コ・ギョンジュン(2015年)


退団したキム・ジョンピルに代わる井林の相方としてウェズレイを獲得した首脳陣が
キャンプを終えた段階で「これはマズイ」と慌てて緊急補強したセンターバック。

前所属が香港リーグという経歴は相当ミステリアスだったが、とりあえず甘めのマスクと187㎝という上背の高さ、キムで成功した「韓国産CB」ということでやんわりと期待は集める存在に。
しかし蓋を開けてみれば「ウェズレイを更に粗っぽくさせたCB」という、ガチンコファイトクラブもビックリな予想だにしない展開が待ち受けていた。

デビュー戦で黄紙2枚で退場という事実が明確に物語るように、実力不足をとにかくハードなプレーで補おうという良くも悪くもまさにコリアンファイター。
出場停止明けも4試合でカード2枚とこの悪癖はまるで治る気配がなく、怪我の影響もあって6試合出場であっさりとフェードアウトとなった。


ブルーノ・コウチーニョ(2015年)


一見するとイタリア人かのような欧風の顔立ちが特徴的なブラジリアン。

写真で見ても明らかだが間近で見てもとにかくイケメンであり、これで186㎝という高身長。
加えて左利きの技巧派司令塔ということでまさに「ロマンの塊」だったが、最後までそのロマンは塊のままピッチの上で分解される場面は見られなかった。

技術の高さは要所で覗かせたものの、プレーがどことなく淡白で10番としてはあまりに迫力不足。
性格もこれがウェズレイと同じ国の人間とは思えないほど物静かであり、そのせいか周囲とのコンビネーションも最後まで築けないままだった。
当時の2トップが高木大輔&杉本竜士という「とにかくガッツ」というカラーリングだったことも彼のフィットを遠ざける要因となっただろう。

シーズン終盤には「実家が資産家だからお金に困っておらず、そのせいでハングリー精神に欠けている」という出自不明の謎な噂がゴール裏では飛び交ったが、その説に何となく合点がいってしまうようなタイプの選手だった。
容姿だけを見ればクラブ歴代ナンバーワン選手でもおかしくはないだけに、活躍が伴わなかった点が非常に残念だった。


アラン・ピニェイロ(2015年~2018年)


2013年に川崎に在籍した際はノーゴールに終わったが、再来日を果たした2015年は開幕戦でセレッソから得点を奪うなど5試合で2得点と好発進を切った。
しかし、3点目を挙げたのは何と41節。残念ながら期待に全く応えられなかったと言っていいだろう。

復活を期す2016年は途中出場ながらまたしても難敵コンサドーレを相手に開幕戦で得点をマーク。
強引なドリブル突破からの見事なフィニッシュで「今年こそ」とサポーターを沸かせたのだが、この年も次の得点は実に8月まで生まれることは無かった。

大方の予想を覆して迎えた所属3年目、またしてもホーム開幕戦にて得点を決めた際は「さすがにもう騙されないぞ」と多くのサポーターが期待をグッと堪えたのだが、一転してこの年は大活躍。
名将ロティーナのもとストライカーとしての才能を開花させ、ドウグラス・ヴィエイラとの2トップで素晴らしい関係性を築き年間17得点と得点力を爆発させた。

しかし、エースとして期待された18年は怪我の影響もあって年間6得点に終わる。
前年比マイナス11点はチームにとっても大きな誤算であり、厳しい言い方をすれば昇格失敗のひとつの要因となった感は否めないだろう。

このように常にサポーターの期待値の裏をかき続ける選手だったが、終わってみれば4年間在籍。
あのペレイラを超えて外国籍選手としては在籍日数クラブ歴代最長の座に輝き、ヴェルディの歴史に名を残す存在となってみせた。

19年からは千葉に移籍。
26試合2得点という大変寂しいスコアながら今季も引き続き残留を果たしている。
助っ人外国人としては明確に物足りない成績でも何故かクビを切られないあたり、可愛い顔の裏には案外ダーティーな政治力を秘めている可能性も有り得るだろう。


ドウグラス・ヴィエイラ(2016年~2018年)


近年のクラブ史上最も「優良助っ人」と言っていい選手ではないだろうか。

加入初年度となった2016年は怪我が多く、18位に沈んだチームの中で自身も得点数を伸ばせず。
それでも長身を生かした堅実なポストプレーはチームの攻撃の大きな助けとなり、彼の存在が無ければ降格の可能性も十分にあり得ただろう。

有能な指揮官を得た翌年からはいよいよストライカーとしてその才能を存分に発揮。
2017年は序盤戦こそ出遅れたものの、夏場から調子を上げると8月からの17試合で11得点と大爆発。
10月の4試合で5得点を挙げるなど、チームをプレーオフ圏内に押し上げる立役者となってみせた。

スコアラーとしての活躍ぶりもさることながら、前線での献身的な守備も厭わず前述通りポストプレーも得意とする。
エゴイスティックな部分の非常に少ないまさに「優良」な選手であり、一方で時に感情むき出しでプレーする点もサポーターからは大いに人気を博した。

2018年の参入プレーオフ2回戦ではロスタイムの決勝弾で感情を爆発させすぎ、勢い余って選手からサポーターに転身する場面も見られたが
こうした素晴らしい思い出を提供してくれた点も合わせて歴代屈指の助っ人外国人と言っていいだろう。

惜しまれつつも2019年はJ1の広島へ移籍。
ゴールラッシュとは行かずともパトリックから定位置を奪うなど、J1でもその「優良」ぶりを存分に発揮しているようである。


イム・ユファン(2016年)


降格に向けていよいよケツに火がついてきたクラブが(2年ぶり2度目)、アブダでの失敗から「まずは攻撃より守備」と学習し夏に獲得してきたセンターバック。
しかし前年のコ・ギョンジュンの失敗をすっかり忘れてしまっていたようで、出場3試合目で華麗にキムチをゲットするとそのままフェードアウトというコと同様の結果に。

退場はやや不運なものでもありコ・ギョンジュンのようにラフプレーが目立つ選手ではなかったが
その後は何故だか「突然連絡が取れないまま練習に不参加」というアウトローな行動を取って9月にあっさりと帰国してしまった。

家庭に問題を抱えていたようだが、連絡なしでの練習不参加は残念ながら庇いようがない。
プレーぶりには一定の期待感があっただけに、こうした理由での退団となってしまったことがより残念だった。


カルロス・マルティネス(2017年~2018年)


何とか夏の外国人補強を成功させたいクラブが「やっぱり攻撃を」と17年の夏に指揮官ロティーナと同郷のスペインから連れてきたストライカー。
「スペイン3部では毎年得点を量産」「大学時代には弁護士資格を取得」という経歴はいずれも何とも評価に困るものだったが
そんな中でサポーターを最も期待させたのは「イニエスタと友達」という経歴だった。

当時はまだ神戸に加入する前、イニエスタの数少ないInstagramのフォロー欄に「Reo Messi」や「Luis Suarez」と並んで表示される「Carlos Martinez」の名前にはどんな得点記録よりも心ときめくものがあったが…
結局名前倒れ、いや正確には「友達の名前倒れ」の結果に終わってしまった。

スペイン人らしい技術の高さはプレーの端々からも伺えたが、FWとして特に秀でた一芸を持っておらず助っ人としては明らかに実力不足。
周囲との連携で得点を奪うタイプのFWであったのだろうが、守備意識が低い上に結果に見合わない出場機会を与えられたことからチームメートの信頼を得られず前線で孤立する羽目に。
ほとんどノーインパクトのまま毎試合出場だけを続け、結果的に17年は1得点に終わった。

サポーターの前では温厚なナイスガイだったが、真面目で非常におとなしい性格がよりチームへのフィットを遠ざけた感は否めない。
イケメンだったことも手伝い、ブルーノ・コウチーニョの失敗と合わせてこの頃から「欧米系のイケメン選手には手を出すな」という風潮がサポーターの間では囁かれるようになった。

指揮官と共に2018年も残留となったが、18年は出場機会も遠のき夏に家庭の事情を理由に帰国。
神戸加入に伴い来日したイニエスタと共に東京ドームでの記念行事に笑顔で同席していた様子がこの年のハイライトとなった。


リ・ヨンジ(2018年~2019年)


名将ロティーナが讃岐でのプレーを高く評価し、自ら獲得に乗り出して連れてきたDF。
アニメが大好きということで同じ趣味を持つ井林と共にアニオタCBの形成が期待されたが
蓋を開ければDFとしては評価を得られず、最終的に長身を生かした攻撃の切り札として使われる結果に。

が、これが予想外にハマり2018年は大事な場面で貴重な得点を連発。
彼の特異なメンタリティがゴールを呼び寄せるのか、ここぞの場面で決定機が回ってくるケースが妙に多かった。

翌年のギャリー・ジョン・ホワイト体制では満を持してCBに復帰するも、もはやCBとしてプレーする方が違和感がある感は否めず永井体制では再びFWとして扱われる結果になった。
今年から移籍した琉球での登録はDFながら背番号は9と早くもどっちつかずの扱いを受けているが、開幕戦ではCBとして出場した模様。


レアンドロ(2018年~)


イニエスタ加入により神戸から押し出される形でやってきた2016年のJ1得点王。

イニエスタの加入をカルロス・マルティネスが友人として後押ししていたこともあり、「カルロス最大の大仕事」と一時は「カルロス評」がうなぎ上りだったが
如何せんこのレアンドロの活躍度合が微妙だった為に結局カルロス評もまた地に落ちてしまった。

加入初年度はコンディション不良からかほとんどが途中出場であり、得点もたったの1得点のみ。
局面局面では玄人好みの唸るプレーも多かったが、17年に負った前十字靭帯損傷の影響は明らかで往年の身体のキレは全く見られないままだった。

2019年もそんな調子でのらりくらりと時折の途中出場を続けるばかりだったが、夏に永井秀樹監督が就任すると立場は激変。
1トップ(永井用語ではフリーマン)が務まる人間は他にいないと絶大な信頼を受けると、そこからはほとんどの試合に先発出場し「意外とコンディション面には問題が無かった」という事実を示してみせた。
しかし3つのPKを含めての6得点、守備で穴となるケースも多く評価には困るのが正直な所である。

日本での生活はこれで14年目ということで日本語はだいぶ堪能な様子。
一方でブラジル人選手の中でも特に香水の料がエグいのが特徴で、握手しただけで手から数分残り香を楽しむことが出来る。


ネマニャ・コイッチ(2019年)


指揮官に英国人のギャリー・ジョン・ホワイト氏が就任したこともあり
ベンテケやアグボンラホーなど各自が思い思いに英国系浪漫派ストライカーの獲得を思い描いたのだが、蓋を開けてみれば何故だが英国でもプレー経験のないセルビア人ストライカーがやってくる羽目に。

セルビアきっての名門クラブであるパルチザンでそれなりの活躍を残していたものの、プレー集からは「デカいけどサイドに流れがち」というJリーグ外れ助っ人あるあるの代名詞となるプレーが散見。
結局この嫌な予感が的中し、「タッパはあるけどヘディングは苦手」「ポストも不得意」と案の定な結果のまま半年で日本を去ることとなってしまった。

東欧系の選手と言うと何となく物静かだったり堅物だったりという印象が強いが、ブラジル人選手も顔負けの陽気さだけが「予想外」だったか。
好クロスを連発した試合で奈良輪のことを「奈良輪マシーン」と呼んでいたのが得点よりも印象深い。


ヴァウメルソン(2019年)


ブラジルでは聞いたことがないような下位リーグのクラブを転々とした後に、突然アルメニアへと移籍。
アルメニアリーグで3シーズン合計16得点という凄そうで凄くないちょっと凄い成績を手に今度は日本へとやってきたさすらいのドリブラー。

アルメニアでのプレー集は確かに華々しく映ったが、さすがにアルメニアってそれどうよ。
まずどこにあるのアルメニア…という地理の知識を授けてくれたことが結果的に最大の功績だった。

現場でもほとんど評価を得られなかったようで長らく出場自体がないままだったが、ようやく先発出場となった天皇杯の法政大学戦で大学生相手にほぼ何も出来ずに途中交代。
残念ながら近年稀に見るレベルの低い外国人選手であり、いったいどのような判断基準でこんな選手を連れて来てしまったのか強化部はきちんとレポートを出して頂きたい所。

この年の補強はセルビアからコイッチ、アルメニアからヴァウメルソンと過去にないルートからの補強が多く、恐らくはよほど質の悪い代理人に関わってしまったのではないかと思われる。
もしこれからアルメニアリーグからの補強を考えるJクラブがあった場合は、「30試合40得点」くらいを獲得の基準として欲しい。


カン・スイル(2019年)


ギャリー・ジョン・ホワイト体制が激しい行き詰まりを見せていた7月の半ばに加入が発表されたコリアンストライカー。

17年にザスパに所属した際はヴェルディとの対戦でも得点を挙げるなど、降格したクラブでひとり気を吐く存在として強烈な印象を残していただけにその期待値は非常に高井ものがあった。
17年のザスパはもうひとり気を吐いていた選手がいたような気がしたが…気がしただけだろう。

しかし、加入直後に指揮官が交代となってしまいカンにとってヴェルディでのキャリアは不遇を極める結果となってしまう。
新監督の永井氏のもとではほとんど戦力として扱われず、出場はたった3試合で終了。
ベンチ入りは契約条項だったのか、大半の試合でベンチには入るものの全く出場できないという屈辱を味わう羽目となってしまった。

0-3で負けている試合で自分を残しDF登録の選手が3人途中出場となった際はベンチで監督をヘッドバッドくらいまでは許されたであろうが
どんな状況でも最後まで真摯に練習に取り組み、サポーターの前では笑顔を絶やさないある意味クラブ史に残るナイスガイであったことは間違いない。


クレビーニョ(2019年~)


ストライカーを獲ってもダメ、センターバックを獲ってもダメと何をやっても上手く行かない夏の外国人補強が続く中で
だったらとクラブが意識したのかはわからないが、19年夏に加わったブラジル出身の右ラテラル。

永井監督が指導者の武者修行としてフラメンゴを訪れた縁をきっかけに獲得に至ったようで
当初は「体よく不良債権を押し付けられたのではないか」という不安もあったが、素早くチームにフィットしその不安を払拭させた。

プレーを語るよりも前にまず真っ先に目に付くのが「ケツ」であり、身長164㎝と小柄ながらブリンと突き出したそのケツの存在感は圧巻。
「フッキのケツも凄かったからクレビーニョも当たり」という謎なケツ理論にも思わず頷いてしまう強烈な下半身を武器に、ピッチの上でも馬力あふれるプレーで積極的に攻撃に絡んだ。

フィジカル強い、めちゃくちゃ陽気と「これぞブラジリアン」というタイプの選手であり
プレースタイルもご多分に漏れず攻撃大好きで守備がおろそかになりがちなのがネック。
そうした理由もあってか19年は大半がインサイドハーフでの出場となったが、出来ることならやはりサイドバックで機能させたい所である。

ピッチ外では加入直後から若狭をおもちゃにするなど、チームメートの人間性を素早く見抜く確かな目も披露し久々に夏の補強での「当たり助っ人」となった。
すっかり日本が気に入ったようで、コロナ騒動にもめげず「あと何年もこの国でプレーしたい」とサポーター泣かせのコメントも残してくれた(ヴェルディでとは言っていない)


ジャイルトン・パライバ(2019年)


カン・スイル、クレビーニョを補強しもうこれで夏の補強も打ち止めかと思われた中で、8月末という時期に突如加入が発表されたブラジル人FW。

前年度はトルコ2部で28試合2得点という実績はハズレであることを裏付けるにはあまりに雄弁で
中国リーグを転々としている謎キャリアはコイッチ、ヴァウメルソンの失敗と非常に重なるものがあったが…デビュー戦で2得点という強烈なデビューを飾る。

小柄ながらまさしく鋼の身体と言うべき強烈なフィジカルと、圧巻のスピードという漫画の主人公のような身体能力が一番の武器。
「初顔合わせ」となった山口の守備陣をまさしくちんちんに切り裂き西が丘サッカー場は興奮のるつぼと化したが…その後はデビュー戦ほどのインパクトを残すには至らず。
よーいドンでは抜群のスピードを誇ったが、相手を前にしての突破力には欠けるのが大きな欠点だった。

残り10試合では2得点。
デビュー戦でうっかりクラブが作ってしまった「パライバ爆誕」のシャツは未だ着用者を見ないままである。

…とはいえ、アシストは4を記録するなど攻撃のキーパーソンとなったことは間違いない。
多くのサポーターが残留を希望したが、たった4ヶ月の所属であっさりと退団し自身の去就に関するスピード感もまた圧巻であった。


マテウス(2020年~)


上福元という絶対的守護神の代役として獲得したクラブ史上初となる外国人GK。

名門コリンチャンスに長年所属し、U-23代表招集経験も持つという経歴は申し分なし。
育成年代ではあのエデルソンと同じ代表チームでプレーしていたというインパクトも強烈だったが
ブラジル国籍ながらデ・ヘアを彷彿とさせる整った欧風の顔立ち、そしてサッカー以外の特技が「投資」というインテリ感が過去のハズレ助っ人(ブルーノ・コウチーニョとカルロス・マルティネスの欄参照)とダブるものがあり…
案の定開幕戦では柴崎の後塵を拝してベンチスタートいう嫌な予感が的中する結果となってしまった。

性格も明らかに真面目で大人しいという印象で完全に「コースに乗った」感があるのだが、レアンドロあたりが良い兄貴分となって何とかチームに溶け込ませてあげて欲しい。
完全移籍で獲得した結果がセカンドGKでは、彼の特技になぞる所の投資価値としても最悪。
長い中断期間を活かし、何とかチームにフィットして自身の「回収率」を高めて欲しい所である。




さすがに更新疲れましたね(笑)
文字数もまさかの制限ギリギリということで、もうあまりコメントを残すことが出来ません(苦笑)

助っ人はまだ15年分残ってはいますが(笑)ひとまず「特別企画」第1弾はこれにて終了。
次回はテイストを変えた企画をお届けしたいと思います!お楽しみにお待ちください!!