「民意とは?
」という漠とした命題に、私なりに答えてみる。
民意とは、あなたが欲しいもの。政治に何をして欲しいか。国家に何をして欲しいか。政治家に何をして欲しいか。
みな好き勝手な思いを持つはずだ。工事を持ってこい。補助金をくれ。保育所が欲しい。年金をくれ。税金を安くしろ。国家は国民を幸せにするための機関だから、国民が望むものを合理的な範囲で実現することが国家の最大の目的だと思う。この「合理的な範囲」を多数決で決めようというのが民主主義だ。
欲しい服を選ぶときどうするか。日本人の成人を20~30代、40~50代、60以上の3グループに分ける。それぞれを男女別にして、6グループごとに平均サイズを出す。各グループが好みそうなデザインと色を一つだけ決めて、合計6着(グループごとに1デザイン1サイズ)の官製洋服を用意する。「さあ、この6着の中から、どれでもお好きな洋服を1着だけ選んでください。」
こんな回り道をして服を選ぶ人は今の日本にはいない。多くの人が、「好みの服がない。合うサイズがない。」と文句を言うだろう。だが選挙の投票では一部例外を除き、この服選びと同じことをやっている。だから選挙に行かない人がいる。
日本の行政は、官僚や政治家が「これが農業従事者の理想的姿」「これがサラリーマンの理想的な生き方」といった「平均の民意」を先に決めて、それを国民に提示して選ばせる、という政治を続けてきた。マイカーを持とうとか、マイホームを持とうなどといった、わかりやすい共通の目標を出せれば、行政はやりやすい。しかし今や全国一律に国民が持てる共通の目標などない。一方で地方には、「国税をこの地域に還元します」というわかりやすい目標が残っている。地方での政治家の選挙活動には、全国放映に差し支えのない国民向け美辞麗句と、地域限定オフレコの地区有権者向けのわかりやすい「約束」との2通りがあり、「平均の民意=全員の幸せ」となる地区と「平均の民意=誰の幸せでもない」地区とのねじれが生じている。概して投票率の高い地域は前者であり、投票率の低い地域は後者なのだろう。
先の服選びの例はそれほど非現実的ではない。大量に同じものを作って安く売る商売では似たような状況だ。ファッションに無頓着な人が多い場合には、この方が儲かるし効率的だ。しかし今の日本では幅広い年代でファッションにこだわりを持つ人がいるので、数少ないデザインや自分だけの組み合わせや体型に合うオーダーメイドを求める人が多くいる。「私だけが欲しいもの」を主張する。そのため少量限定生産の方が儲かるし無駄も少ない。消費者の求めるものが一律なら大量生産が相応しいし、好みが多様化すれば判を押したような大量生産は不要になる。大工場から、小規模でも腕のいいショップへの移行が生じる。
日本人の生き方はすさまじいスピードで多様化している。価値観が多様化したとき、「これが日本人の理想的な一生」という官製の民意は意味を持たなくなる。もはや昭和30年代のような大量生産型の行政は役割を終えた。政党がかかげる「民意」にも、肥大化した行政にも、労働組合が語る労働者の権利にも、多くの日本人が疑問を持っている。「私が欲しいものと違う。」と。
漠然と疑問や諦めを持っていた国民が、「郵政民営化に賛成か反対か」というわかりやすい民意の示し方を提示されて目覚めた。これが今回の選挙の一番大きな意味だったのではないか。これまで官製のユニフォームしか着てなかった人が、いきなりデザイナーズブランドの服を手にして驚いた。それが好みに合ったかどうかはわからない。しかし一度覚醒した人は、次にもっと自分の嗜好に合うものを探すだろう。
自民党小泉は国民が手にとってみようと思う「郵政民営化」を提示するのに成功した。民主党岡田の提示した「年金」は旧来型の官製民意の域を出ず、国民の興味を引かなかった。労働組合が国民をとりまとめられる時代は終わったのだから、労働組合が納得する平均民意がそのまま国民に通用すると思ったのが間違いだろう。
政治に詳しい学者さんたちが「馬鹿な国民にも理解しやすいものを示した小泉の勝ち」と言っているのと、ここで私が言おうとしているものは根本的に違う。私はもっと商業的な目で見ている。消費者(国民)のニーズの変化を読み、製品に反映させたのが小泉で、消費者ニーズを汲み上げ損ねたのが岡田だと思っている。
参考記事
政治は簡単か複雑か
政界再編成が来るか
民主党の次の一手