First Man | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 

 

 きのう、飛行機好きの友達と「昨今の日本のロケット開発事情」について他愛ない雑談をしていた時の事。

 「あ……忘れてた」

 唐突に、以前に観たいと思っていたのにすっかり忘れていた映画を思い出した(スタッフ、キャストの皆さん、ごめんなさい)。

 ライアン・ゴズリング主演、デイミアン・チャゼル監督の2018年米映画(日本公開は2019年)、『ファースト・マン』である。

 結論から言うと……。

 これまでチャゼル監督の映画は少し苦手だったのだが、この『ファースト・マン』は堂々たる仕上がりで、かなり驚いた。

 成功の最大の要因は、映画全編を貫く、

「抑制力」

 にあると思う。

 

 ゴズリング演じる主人公が、人類初の月面着陸であまりにも有名な、アポロ11号のニール・アムストロング船長だから、当然実話の映画化で、原作となったノンフィクションもある。

 物語は1960年代初頭から始まり、「技術に強い(メカに精通している)パイロット」としてニールが様々な試験飛行をしている過程と、彼の家族・妻、幼い娘と二人の息子の日常を紹介的に、悪く言えばごく無難に描き始める。

 だが、この映画の肝は既にこの初期段階に仕込まれていて、幼い娘のカレン(ルーシー・ブロック・スタッフォード)は病を得て亡くなってしまう。

 失意のニールはその悲しみを振り払おうとするかのように仕事に没頭し、時は折しも米ソの宇宙開発競争の最中、彼は「技術に強いテストパイロット」としてNASAのジェミニ計画に参加していく事になる。

 このジェミニ計画とは、言わば後のアポロ宇宙船を月に送り込むための前段階の計画で、地球の大気圏外まで一旦試験用ロケットで飛び、いずれ月を目指す際に行うであろう様々なミッションを実験していくというもの。

 今ならデータ上で綿密に計算した上で無人機によって実施されそうなものだが、何しろ時は60年代、この、「いつ命を落としてもおかしくない」数々のシミュレーションを、ニールを始めとするパイロットたちが身をもって実験していくのである。実際死者が何人も出、ニールも絶体絶命の危機に立たされる局面もある。

 映画は、そうした過酷極まりない実験の日々の合間にニールの家庭模様を折に触れ挿入する形で進行し、やがてそのジェミニ計画が、現場のニールたちですら「嘘だろ……」と仰天するほどの、無謀ともいえるアポロ計画に移行していく様を丹念に追っていく。

 

 ニール・アームストロング船長と彼の率いたクルーによる月面着陸成功は歴史上の既成事実だし、そこに映画的新味はない。私たちの年代は小学生の頃テレビで実際に着陸やニールが月に降り立った瞬間を見ているから感慨深いものがあるが、とはいえ映画的にはよく知っている「歴史的事実」でしかない。今の若い方々は詳細はご存じないかもしれないが、ちょっとその気になって検索すれば当時の様子はいくらでもわかるから、月面着陸ミッションそのものは映画としての「新たな武器」にはなり得ない。

 では、チャゼル監督とゴズリングは、この、ある意味「誰でも知っている難しい題材」をどのように成功に導いたのか。

 それが、「抑制力」である。

 

 まず脚本が実によく出来ている。

 執筆したのはジョシュ・シンガー(『スポットライト 世紀のスクープ』『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』)で、私はこの脚本に唸った。

 今回の映画の上映時間は約2時間20分。そのうちの、実に1時間20分強を、彼は「アポロ計画」ではなくその前段階の「ジェミニ計画」に費やした。「アポロ11号による月面着陸という歴史的ミッションをライアン・ゴズリングで映画化する」と聞かされれば、誰もがアポロ計画の全貌が主軸になるだろうと思い込む。私もそうだった。

 だが、シンガーはそうはせず、前段階の最も過酷だったジェミニ計画に主眼を置き、そこを実に丹念に追っている。だから1時間20分もかかっている訳だがこれが大正解で、その苦労の連続の積み重ね描写が延々とあるからこそ、月面着陸の際の劇的さが際立つという構成になっている。

 そう、月面着陸自体に新味はないのだから、そこをいくらほじくりかえしてもそこそこの盛り上がりにしかならない。だが、シンガーはアポロ計画自体は大幅に短縮し(これは企画内容を考えればかなり勇気のいる事だが)、あえてジェミニ計画にベクトルを振り切った。その着眼点が脚本家として見事である(またはプリ・プロの段階で既に多くの人々の意見を集約した結果そうなった可能性もあるが)。

 これは、「いかにも主題になりそうなアポロ計画をあえて『抑制』し、他のアプローチでかえって劇的に見せる」という、周到に計算された「抑制」のなせる術だ。

 

 次に大変良いのはライアン・ゴズリングの演技。

 ニール・アームストロングという歴史上の有名人を演じるにあたり、彼が選択したのは脚本同様「抑制」だった。

 彼の演じるニールは、

「怒らない、怒鳴らない、ちょっとしかしゃべらない(まして冗談なんかほぼ言わない)」

 というキャラクターで、全編これ「抑制のかたまり」の如き演技を繰り広げる。だが考えてみれば、こうした抑制力のきいた演技はゴズリングの得意とするところで、その強靱ともいえる「抑制力の効いた演技」は、『BLADE RUNNER 2049』で花開いたものだ。それまでもそうした演技はしばしばやっていたのだが、その抜群の雰囲気のよさの割に作品に恵まれていなかった彼は、『BLADE RUNNER 2049』で彼の神髄を世界に見せつけた(詳しくは、当ブログ2017年12月14日の「BLADE RUNNER 2049』をお読みください)。

 そして『ファースト・マン』では、彼の抑制力にはさらに磨きがかかり、ほとんどずっと無表情と言ってもいい彼の顔つき、物静かなたたずまい、振る舞いの随所で発揮されている。

 さらに最も肝心なのは、彼がこうした抑制力を全面に押し出してきた背景には、ニールが幼い娘カレンを病で失ったという悲しみをずっと背負っている人物で、その悲しみが折に触れて自然と滲み出てしまう面があるという事。

 「生きるか死ぬかのミッションの最中」にあっても決して取り乱さないその様は一見冷静な人物に見えるが、ただそれだけではなく、幼い娘を助けられなかったという彼の言い知れぬ悲しみが、ある意味「静かなる原動力」となって彼を月へ月へと推し進めていく、つまり、死んだ娘に常に背中を押されているような面があり、ゴズリングはそれを、得意の、かつ、さらに進化した「抑制力」で見事に表現している。

 『BLADE RUNNER 2049』の彼は大変見事だったが、彼の演技がさらに進化し続けているのは間違いない。これもまた、この『ファースト・マン』の成功の大きな要因の一つだと思う。

 

 最後に、チャゼル監督の今回の演出。

 冒頭に書いた通り私はこれまで彼の演出が苦手で、例えば彼を一躍有名にした『セッション』では、せっかくいい題材なのに(そして映画全体もJ.K.シモンズの名演もあってよく出来てはいたが)、時折妙に劇画的な、まるで日本のアニメの派手なアクションシーンをそのままコピーして実写に放り込んでしまったようなシーンが散見され、それが全く題材に合わずに浮いていた(お断りしておくと、日本のアニメの派手なアクションシーン自体が悪いという意味ではない。それを考えなしに実写に放り込んでしまうのが無謀だという話)。

 また『ラ・ラ・ランド』は、お好きな方も多い映画だろうから気を悪くされるようなら申し訳ないのだが、(以下、あくまで私の私見だが)「ミュージカル映画マニア」と自称している彼が、過去の名作ミュージカルの美味しいシーンをひっかき集めてきて串刺しにしてつなげているだけにしか見えず、ゴズリングのあの静かな味わいがなければあそこまで評判になったか、はなはだ疑わしいと今でも思っている。

 が……。

 『ファースト・マン』のチャゼル監督は、ニール・アームストロングという人物ときちんと向き合い、実に「抑制を効かせた演出」を展開し続けている。ラストの、地球に帰還後まだ検疫中でガラス越しにしか面会できないニールと妻のジャネット(クレア・フォイ)が、これまで二人が体験してきた数々の苦難を思い起こしながら(この状況を二人の表情芝居だけで見せきっているもいい)、ガラスを通して静かに、無言のうちに手の平を重ねる幕切れも、極めて抑制が効いた演出になっているが故にかえって劇的である。

 これもつまりは、「抑制力」の賜物以外のなにものでもない。

 

 盛り上げようと思えばいくらでも盛り上げる事ができ、壮大な音楽を大音量で乗せて劇的にしようとすればいくれでもできる題材にも関わらず、彼らはそれをしなかった。

 むしろその逆をいく「抑制力」で全てを貫き、逆説的にアームストロング船長の偉業をあぶり出しのように盛り上げた彼らは、本当にいい仕事をしたと思う。

 

 『ファースト・マン』、

 

 今さらではありますが、まだ未見の方は、一見の価値ありです。