GODZILLA×KONG THE NEW EMPIRE | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 

 以下の記事には現在公開中の映画『ゴジラ×コング 新たなる帝国』のネタバレがあります。

 未見の方は、ご鑑賞後お読みいただく事をお勧めします。

 

 

 

 

 

 

 

 正直、2年前の『ゴジラVSコング』は、具体的に何がどう良くないという訳ではなく、全体としてどうも意気が上がらずもっさりした印象で、テンポが悪くお世辞にも良い出来とは言えなかった。

 なので、きのう新宿の映画館に新作『ゴジラ×コング 新たなる帝国』を観に行く道すがら、「今度は大丈夫なのかな」という心配の方が先に立っていた。

 だが、この映画、私にとっては大当たりで、最初から最後までたっぷりと堪能した。しかも、懐かしさまでこみ上げてきてなんとも幸せな時間を過ごした。

 2016年7月末にこのブログを始めた頃、ちょうど庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』が公開中で、当時の8月の記事には私がいかにゴジラ好きか、そして『シン・ゴジラ』がいかに素晴らしいかを何度か書いた。その想いは今でも変わらない。

 しかし今回の『ゴジラ×コング 新たなる帝国』は、『シン・ゴジラ』とは別の方向性に振り切り、これはこれで紛れもなく「これぞ『ゴジラ・シリーズ』に値する堂々たる一作」だな、と感じたのもまた事実。前作『ゴジラVSコング』の曖昧な仕上がりから脱却する事に成功し、素晴らしいの一言に尽きる。

 

 以下は多分に還暦過ぎのおじいさんの懐古趣味も含まれている記事なので、多々異存もあろうかと思うが、まずはひとまずお読みいただきたい。

 

 ストーリーは単純なようでいて意外に複雑な展開をたどるのではしょるが、要は地上世界と地下空洞説を元ネタにした地下世界を舞台に、ゴジラ、コング、モスラを始めとする大怪獣たちが、くんずぼくれつの言わば「怪獣大戦争」を繰り広げる物語である。

 地上では相変わらずゴジラが世界各地に出没しては大暴れしていて、モナークはこれまた相変わらずその対策に大わらわ、だがその一方で、怪獣たちの「巨大な巣」と言ってもいい地下世界の監視も続けている。コングは、前作でゴジラと戦い傷つきながらもこの地下世界にたどりついた訳だが、ここにスカーキングなる「ワルのコング」(笑)がいて、配下としてキングコングとは別種族のコングたちを率い、キングコングの種族を奴隷の如く労働させている。さらに王様気取りのスカーキングは強力な古代怪獣シーモをも操り、人知れずこの地下世界にひっそりと住んでいるイーウィ族たちを駆逐しようと目論んでいる。彼自身の帝国を作るために。

 そしてこの世界からのSOSを察知した、前作から引き続き登場の、髑髏島イーウィス族の唯一の生き残りジア(ケイリー・ホトル)がキー・パーソンとなり、彼女を引き取ったアンドリュース博士(レベッカ・ホール)、怪獣オタクのバーニー(ブライアン・タイリー・ヘンリー)、世にも珍しい「怪獣専門獣医師」のトラッパー(ダン・スティーヴンス)らが「怪獣大戦争」に巻き込まれる……。

 

 上映中、私の心は嬉しさと懐かしさでいっぱいになった。

 60年代から70年代、私が幼稚園児から小学校を卒業する頃までの、あの『東宝チャンピオンまつり』の目玉だったゴジラ映画の数々のエッセンスが、この映画にはぎっしりと詰まっていたからだ。

 地下空洞という、昭和なら探検隊が分け入る洞窟の設定を超拡大解釈したような世界観、そこにひっそりと住む謎の部族、ゴジラとコングの力や性格の対比、次々に現れる新怪獣、相変わらずのモスラの慈愛、そしてかつての東宝特撮のお家芸といってもよかった超兵器の数々、科学的探査やその探査が謎の現象に阻害される様(昔は無線の不通やガイガーカウンターの針が振り切るといった現象等が定番だったが、そこは今どきの映画なので謎の電磁波によってコンピューターシステムに起きる異常に置き換えられている)などなど、昭和のゴジラシリーズが営々と築いてきた様々なアイコン、アイテム、アイデアが微妙に今風に形を変えながらもふんだんに盛り込まれている。

 そこがまず、涙腺の緩んだ還暦過ぎの私などにはたまらない。実際、上映中に嬉しさのあまり不覚にも涙が出そうになったほどだ。

 

 そして。

 主役はあくまで怪獣たちであり、彼らの「大戦争」に直面した人間たちは事態を打開するにはあまりに非力で手の出しようがない。よって、劇中で「おそらく今のコングの心情はこうだろう」という、物言わぬ怪獣たちの気持ちの代弁役に徹する。これもまた、昭和の怪獣映画の特色で、お客さんが最も期待しているのは怪獣たちのバトルなのだから、そこに主眼を置かずして何とするという至極まっとうな作りなのである。

 しかし、かつてのゴジラシリーズをコピーしただけでは私はこれほど感心はしない。

 何よりいいのは、この映画が持つ「テンポのよさ」。

 これが前作『ゴジラVSコング』との決定的な違いで、各シーンが気持ちのいいほど短く刈り込まれていて、とにかく展開が早い。もたつきが全くなく、変に人間側の心情に迫ろうとしたり、設定説明のシーンが長すぎたりという失敗が一切なく、映画は最初から最後まで疾走し続ける。といってジェットコースター・ムービーかというとそうでもく、じっくり見せるシーンはお客さんの我慢できる範囲内できっちり見せきっていて、全体として緩急がしっかりついている。

 文章で書くと簡単なようだが、これはよほど緻密な計算をした上で撮影に臨み、かつ編集でも細心の注意を払い、常に全体のバランスを睨みながら作業を進めないと、そう簡単にはなし得ない。

 前作にくらべてその点が数段進化していて、そこが、私がこの映画を大いに買っている点である。

 

 それだけではない。

 私が常々言っている「新作を作るからには、何か一つでいいから新しい事をする」という面もぬかりはなく、ローマに現れたゴジラがひと暴れした後に巨大なコロシアムに猫のように丸まって寝ている描写がまず新しくて面白いし、これまでのシリーズでは見た事もない「怪獣専門獣医師」トラッパーの登場と、シーモの攻撃で損傷したコングの腕に彼が巨大なプロテクターを装着するという斬新極まりないアイデアも盛り込まれている。

 これでOKなのである。

 たったこれだけの事でも、『ゴジラ×コング』がゴジラシリーズの歴史を一歩前に進めた証になる。こういったシーンやアイデアは、たとえば昭和の一作目『ゴジラ』や『ゴジラの逆襲』そして平成の『シン・ゴジラ』といったリアリズム路線のみが好きな方は眉をひそめるのかもしれないが、私は長年このような楽しいアイデアも込みでこのシリーズを愛している。

 それに、今回の映画には昭和の『キングコング対ゴジラ』のユーモアセンス、『三大怪獣地球最大の決戦』の怪獣バトルの迫力、『怪獣総進撃』の美しいフォルムを持つ宇宙探査艇ムーンライトSY-3といった、あのかつての血湧き肉躍る数々の要素が、現代的に手を変え品を変え登場するのも何ともいい。懐古趣味と言ってしまえばそれまでだが(そして今の若い方にはピンと来ないかもしれないのだが)、こうした様々な要素が映画に彩りを添えていたからこそ、昭和ゴジラは、より魅力的だったのである。

 

 ビッグバジェットの作品だから、当然プロデュース陣の意見・要望が大勢を占めているのは間違いない。だが、それだけではなく、前作から続投となったアダム・ウインガード監督は、こうした「ゴジラ映画の持つ様々な魅力」を実に上手くブレンドし、なおかつテンポアップをはかる事でかえって作品にエモーショナルな光芒を放たせている。邦画だといわゆる「エモいシーン」は長々と粘って描写するケースが多いのだが、私は常々それは違うと思っている。コンパクトな描写でも、一瞬の光芒を放つシーンでさえあれば、それは十分「エモい」のだ。しかもテンポを落とさずに済むから、映画そのものは勿論の事、お客さんのテンションも落ちずに済む。

 ウインガード監督、実は「転んでもただでは起きないタイプ」と見た。

 惜しみない拍手を送りたい。

 

 私はもういい歳だからこの先ゴジラの新作を何作見られるのか心許ないのだが、今回のようなイキのいい作品が続いていくのなら、可能な限り長生きして見続けていきたいと思う。

 

 それほど、

『ゴジラ×コング 新たなる帝国』は、

 ゴジラ好きの私にとってはキラキラとした魅力に溢れた映画だった。

 

 祝日の夕方、大満足で帰宅した次第。