放出 | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 

 今年は新年早々能登半島の大地震があり、翌日JAL機と海保機のひどい接触事故があり、重苦しい空気のまま一年が始まってしまった。

 まず、地震で亡くなられた方々、海保機に搭乗していて亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の皆様にお悔やみ申し上げます。

 惨事を前に、東京在住の私は出てくる言葉が他にありません。

 

 だからという訳ではないのだが、今日はこれから、夜に若い後輩数人の脚本家と遅い新年会をする事になっている。彼らが企画してくれたもので、一人だけ最早「おじいちゃん」と言っていい私にお誘いがあった。

 それまでまだだいぶ時間があるので、こうして記事の更新をしている次第。

 

 さて……。

 新型ウイルスの蔓延の惨禍をきっかけに、世にはオンライン会議なる便利なものが急激に普及した。「急速」などという生やさしいものではない、「急激」にである。

 以前の記事にも書いたが、私はかねてから「会議のために、大勢が時間を合わせてわざわざ一カ所に集まる労力は無駄。せっかくのテクノロジーを使わない手はない」とオンライン会議を強く「推して」いたのだが、その都度「いやいや、会議はやっぱり直接顔を合わせてやらないと……」などと言われて実現しなかった。

 だが、今のアニメ業界はほとんどの会議がオンラインになっていて、自宅の仕事場にいながらにして大勢と会議ができるようになった。長年これを切望してきた私としては、きっかけはさておき、「やっと実現したか」という想いが強い。

 

 ところが、これも以前に書いたかもしれないが一つだけ弊害が出ている。

 それは、同じ作品に参加している後輩に対して、彼らの悩みを聞いてあげたり、脚本のノウハウを助言してあげる機会がなくなってしまった事。

 会議の最中は当然作品の内容に全員が集中しているから、そのような話をしている余裕はない。かつて対面の会議が普通だった頃は、会議後に時間があれば後輩たちを連れて食事や飲みに行き、その席でそうした話を彼らから雑談として聞きながら、それとなく「そういう時はね……」などと言って、彼らをサポートできる環境があった。

 一長一短とはよく言ったもので、オンラインで楽に会議ができるようになったのはいいが、こうした大事な助言の機会が失われてしまったのである。

 

 今日の遅まきの新年会、おそらくは、彼らは私に様々な話を聞きたいのだろうと思う。「脚本を書いてて煮詰まった時はどうしたらいいんですか?」「将来、私はこの仕事をずっとやっていけるんでしょうか?」あるいは「どうも会議の時にプロデューサーになめられたり、変にいじられ(からかわれ)たりするんですけど、あれを撃退するにはどうすればいいんです?」等々、彼らは経験が浅い故に様々な局面に対する対処法を切実に求めている。

 以下はあくまで上目線で若者を差別するのではなく、あくまで一般論としてお読みいただきたいのだが、ここ数年、「マニュアルがないと前に進めない」若者が増えている気がしてならない。特に現場の脚本会議などは何が起こるかわからない一発勝負の世界で、およそ「会議用対処マニュアル」など存在しない。もっと言えばこれは経験を重ねれば対処できるというものですらなく、35年もこの仕事をしている私ですら、会議の最中に「うっ、さて、この局面をどう乗り切る?」という、出たとこ勝負になってしまう瞬間が今でも多々ある。

 だから、マニュアルなど作りようがないのだ。

 

 ただそれでも、私は食事の席でそうした彼らの悩みを聞く度に、思いつく限りの回答をする事にしている。「そういう場合はこうすると案外うまくいく事が多いよ」とか「とにかく相手の心理をよく読む事。そうすればたいてい何とかなる」etc。

 だが、そうした助言をした場合、私はいつも必ず最後にこう付け加える。

「ただし、これはあくまでオレの過去の経験で、今の状況に合わないようなら使い物にならない。究極は、その場の自分の判断で何とか乗り切るしかないんだよ。つまり、元も子もない事を言うと、『対処法なんてないに等しい』んだよ」

 それを聞いた若い後輩たちはいつも困ったような顔つきをしているが、私とて同様に困った顔つきをするしかなく、他に助言のしようがないのだ。

 

 私の年代が今の彼らのように若かった80年代末から90年代、日本のアニメーションが将来海外で人気を博するようになるなど、夢にも思っていなかった。私も含めた皆が皆、ただひたすら面白い作品を作るため、あるいは生活の糧を得るため、目の前の仕事を必死にこなしているだけだった。

 しかし、気がついてみると「ジャパニメーション」はいつの間にか世界各地に伝搬していた。

 最初は狐につままれたような気分だったが、ある時期から私は個人的にこう思うようになった。

「これは、アニメ業界が『無意識護送船団』だったからかもしれない」

 と。

 私たち業界人の間に、一致団結して海外に進出していこうなどいう気分は毛ほどもなかった。が、皆が懸命に働き、互いが仕事で得た知見や経験を惜しみなく同業者と共有していたのはよく覚えている。企業秘密も何もなく、業界全体が一つの企業のように機能していた、全ての制作会社がそうではないにせよ、そうした空気はどことなく感じていた。

 これがつまり、無意識のうちに業界全体が護送船団のように力を発揮して海外に出ていった原動力だったのではないか、と思っている(勿論、私たち現場の人間からは見えないところで、海外セールスの整備や調整を血の滲む努力でしていた人々も大勢知っているから、彼らのお陰という面も大変大きいのだが)。

 この場合、私たち現場の人間は「情報を共有する」という意識的な働きかけよりは「自分の知っている事で使えそうな知識や経験は惜しげもなく放出する」というスタンスだった。それで業界全体が一歩でも前に進む事ができ、より斬新で面白い作品が仕上がるならそれでいいんじゃないか?

 多くのスタッフがそう思っていた(気がする。このあたりはあまり確信はないのだが……)。

 

 よって……。

 今の私は、若い後輩たちに対して、この「放出」を食事をしながらせっせとしている。

 オンライン会議が普及して以来、なおさらこの「放出の機会」は大切で、それがなければ彼らはかつての私たちの何倍も、仕事上の不安に苛まれる事になってしまう。何故なら、私たちの若い頃とは違って、これだけ世界に日本のアニメーションが普及してしまうと、ちょっとしたミスやクオリティの低下でもあろうものなら、(大袈裟に言えば)世界中から矢のような突っ込みが飛んでくるからだ。

 よって、たとえそれがたいして使い物にならない助言でも、ないよりはあった方が精神的にはずっと楽なはず。

 といって、経験の押しつけだけは厳に慎まなければならない。何百年も続く伝統工芸品の製法伝授ならともかく、私たちの仕事は常に時々の時代の影響を受け、うねうねとうねりながら変化していくものだから、経験則はたいていの場合古くさい縛りにしかならず、よってマニュアルも作りようがないし伝授できるものとてごく限られた量しかないのである。

 ただ、この先何十年も仕事が出来る訳でもない私としては、彼らの多少の参考になるように、自分の持っているありったけの「アニメ制作知見」を放出するのが、せめてもの業界への恩返しだと思ってもいる。こんな知見を後生大事に墓場まで持っていっても意味がないし、若手の悩みや困惑を払拭してあげなければ彼らが真の実力を発揮する事もままならず(クリエイティビティより悩みの方に気を取られてしまうからだ)、それでは日本のアニメは前に進んでいかない。ならば、かつての若かった私が先輩方からそうしてもらったのと同様、使う使わないは別にして、知見や経験を全て放出しきって彼らに伝えておきたい。

 そして最後にいつも必ず付け加えるのだ。

「時代や環境が変わるから、経験なんてたいして当てにならない。最後の判断は自己責任と出たとこ勝負だ」

 と。

 

 「そんな無責任な助言があるもんか」と怒られそうだが、これが私たちの仕事なのである。

 最重要の決断は、自らの判断に拠るしかない。

 そう考えるとかなり精神的負荷の大きい仕事だが、そこがまた醍醐味でもある。そして、そのゾクゾクするような「決断の時」を楽しめるくらいになれないと、この業界ではやっていけない。

 きっと今日も、居酒屋で彼らが酒を飲み、私がジンジャエールを飲みながら、そうした話が展開されるのだろう。

 

 上目線の教育でもなく、申し送りでもなく、伝授などではさらさらない。

 「雑談しながらの放出」

 これが日本のアニメの強さの秘密なのではないか、

 

 近頃そう思っている。