新緑の2本立て | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 

 

 仕事場から見える白木蓮が、つい先日きれいな白い花を満開にさせたと思ったら、あっという間に散って今は写真の通り「早くも新緑してみました!それが何か?」といった風情で佇んでいる。どうもせっかちな白木蓮で、私もせっかちだからどことなく微苦笑しながら毎日眺めている。

 

 それはそうと、新緑と言えば……。

 まだ時期的には気が早いが、私が中学2年生だったゴールデン・ウイークの頃。

 私が住んでいた埼玉の大宮には、この時はまだ洋画の映画館が一館しかなかった。『大宮オリンピア』という名で、基本はいつも三本立て、東京のロードショーからはるかに遅れて半年後か場合によっては一年後に三本をひっかき集めるようにして上映する。ただし、封切りが東京よりかなり遅いのを除けば、三本で確か中学生は700円くらいだったから、小遣いを必死にやりくりして映画館に通っていた中学生の私にはありがたかった。

 今の方には想像もつかないと思うが、これでも、洋画劇場で「初放送」されるよりは余程早かった(当時の洋画劇場は、劇場公開から早くて3年後、大作だと4~5年も後のケースもあった。それでも大々的に『初放送!』の宣伝をして、映画によってはかなりの視聴率をとっていたのだから、昭和とは呑気な時代である)。

 

 1976(昭和51)年のゴールデン・ウイーク、この『大宮オリンピア』は珍しく二本立てだった。

 一本は、チャールズ・ブロンソン主演の「西部劇+サスペンス+アクション」という珍しい組み合わせの『軍用列車』(原作が冒険小説の雄・アリステア・マクリーンだったから、映画もなかなか面白かった。最近久しぶりに衛星放送で見たらちょっとたるかったが。笑)。

 何故いつもは三本立ての映画館が、ゴールデンウイークという稼ぎ時に敢えて二本立てに舵を切ったのか。

 理由は、もう一本があの『ゴッドファーザーPARTⅡ』だったからだ。

 あれは上映時間が三時間あるので、さすがに三本立ての中に組み入れると長くなりすぎる。それに、日本での劇場公開から一年も経っていたにも関わらず、「あれは凄い映画だ」という巷の興奮の余韻のようなものがまだ残っていて、映画館としても自信があったのかもしれない。さらには、この前年の春のアカデミー賞で、史上初の「シリーズの第一作・二作連続作品賞受賞」というとんでもない快挙をあげていたのもその自信の根拠だった気がする。

 館主さんとしては、要は「お墨付きの超傑作映画です。一年経ちましたが、埼玉の皆さん、ぜひ!」という気持ちもあったかもしれない(わざわざゴールデンウイークに持ってきた辺りに当時の館主さんの意気込みを感じるのは私だけだろうか)。

 そして、『軍用列車』を楽しんだ後、休憩を挟んでいよいよ『ゴッドファーザーPARTⅡ』の上映が始まった。

 

 実はこの記事、いくら当時の私が映画や音楽、本が大好物だったとはいえ、社会の事など何も知らないに等しい中学二年生が、あのような傑作映画を初めて目にした時何を思い、どう感じるかを記録として残しておきたいので書いている。

 日頃、自分たちの作っているアニメーションがこうした年代向けに作られる事が多いので、個人的に彼らの反応が気になるという事情もあるかもしれない。

 

 ざっくり結論から言おう。

 中学二年生で、誕生日が10月のせいでまだ13歳だった当時の私は、愕然とした。

 それまでアクション映画が好きで見まくっていて、それで映画沼に落ちていった少年だったが、「想像を絶する」とは正にあの時のストレートな気持ちで、3時間瞬きもせず(そんな事は有り得ないので実際はしていましたが)、食い入るように画面を見続けた。

 アクションという意味で言えば、確かにマイケル(アル・パチーノ)とケイ(ダイアン・キートン)夫妻の寝室に突然外からマシンガンのもの凄い銃撃が撃ち込まれたり、過去のシーンで、ロバート・デ・ニーロ演じる若き日の初代ドン・コルレオーネが街のダニのようなヤクザを暗殺するシーンがあったりはする。

 だが、それはそれで興奮して見たものの、中学生の私は他の様々な要素に完全に魂を持っていかれた。

 演技、演出、カメラワーク、音楽。

 そうした、映画を構成する様々な要素がどれもあまりに素晴らしかったが故に、「映画とはこうした要素の複合体であり、それらが絶妙にマッチングした時、これほど神々しく見えるものなのか」と、そこまで厨二的に分析こそしなかったものの、肌で「素晴らしい映画とはこういう映画の事に違いない」と感覚的にわかった瞬間、それがあの『ゴッドファーザーPARTⅡ』を見ていた三時間の間、何度もあった。

 

 例えばマイケルとケイの壮絶な怒鳴り合いの夫婦げんかのシーン。互いに激昂していて一斉にわめき散らし、二人の台詞がかぶりまくっていて何を言っているのかよくわからない。当然、字幕も完全には内容を追い切れていない。それでも、この夫婦の「現代社会でマフィアとして生きていき、ファミリーを守り抜くという暮らしがいかにしんどいか」という切羽詰まった心情は、中二の私に刺さりまくった。怒鳴り合いの台詞が完全にかぶっているが故に、異様な迫力と彼らの「厳しい生活」がひしひしと伝わってくる。

 

 例えばデ・ニーロ演じる若い頃のビトー・コルレオーネのシーン。

 後に彼に暗殺される、リトルイタリーを牛耳っているタチの悪いボスのせいで彼は勤めていた小さな食品店をクビになってしまう。ボスが自分の甥っ子を無理矢理その店の店員にしてしまったからだ。

 突然失業した物静かなビトーは店を去り、まだ幼い赤ん坊のいる自宅の小さなアパートに向かって市場の雑踏をトボトボと歩いている。

 すると、食品店の店主のおじさんが中くらいの箱を小脇に抱えて走ってきて、ビトーを呼び止めると涙ながらに詫びるのだ。

「済まない。本当に済まない……でも、わしにはどうする事も……せめてこれを……」

 主のおじさんが持ってきた箱の中には、ささやかな退職金代わりの、店の売り物の野菜や果物が入っている。

 だが、ビトーは優しい苦笑い(そんな言葉はないが、あの時のデ・ニーロの芝居はそうとしか表現のしようがなく、素晴らしいの一言につきる)を浮かべて、年上の主をまるで自分が年上であるかのようにやんわりと諭す。

「おやじさん……これは受け取れないよ……」

 そして彼は、ボスに逆らえずに彼をクビにせざるを得なかった店主からの、せめてもの野菜をやんわりと受け取らないまま、静かに雑踏に消えていき、後には涙を流したままの店主が一人ぽつんと残される……。

 全てが、後のドン・コルレオーネ(一作目でマーロン・ブランドが演じたあの役)につながっているのだ。相手の立場や気持ちを理解する、善意は善意として丁寧に礼を言うが、決して儲かっているようにはみえない店の売り物をもらう訳にはいいかないという口実の匂いだけ漂わせ、実は「店主をこの悲しい状況に陥れたのはあの『ダニ』だ」なる怒りを静かににじませるビトー。苦笑と書いたのはそのニュアンスが感じられるからだ。一方の主の涙にも、「あの『ダニ』さえいなければ、ビトーをクビにするなんて、そんな非道な事はする必要がなかったのに……」という、単に悲しいだけではなく悔し涙のニュアンスがする。

 やがてこうした事が積み重なっていき、ビトーは「街を牛耳る『ダニ』を消さない限り、この街の人々はいつまでも辛い想いをし続ける」と感じ(そんな説明台詞が一切ないのもいいところ。全てデ・ニーロの無言の表情がそれを物語っている)、遂にこのボスを暗い階段の途中で待ち伏せ、銃撃して殺してしまう。

 そのシーンの、何ともダークでしかも切なく悲しい空気感。若いビトーが後にリトルイタリーのドンにのし上がっていく原型が、こうした様々なシーンに見事にギュッと集約されていて、中二の私はそこに電気を流されたような衝撃を受けた。

「映画って、こんなにいろんな事をいっぺんに描けちゃうんだ。しかも誰も説明してないのにビトーの気持ちがよーくわかる……すごい……」

 

 マイケルがドンになってからの50年代の物語と、若き日のビトーの1920年代(10年代だったかも)の過去話が複雑に組み合わされている映画で、お世辞にも「わかりやすい構成」ではないのだが、両方のシーンをつなぐ時のオーバーラップの美しさ、例えば50年代から過去に移行するシーンで、移民として一人シシリーから逃れてきた少年ビトーが、移民収容施設の狭苦しい部屋の窓辺で小さな荷物を抱え、シシリーの歌を一人静かに口ずさんでいるシーンに変わっていくあの鮮やかさと切なさは、何も知らない中二の私の心をも強く強く揺さぶった。あの悲しみは見る観客の年代を問わず、確実に伝わるのだ。当時のコッポラの演出がいかに冴え渡っていたかそのいい見本だし、私はあのオーバーラップで、そういう用語は知らなかったものの、場面展開時の最も美しいオーバーラップの使い方を学んだと思っている。

 

 挙げ始めるとキリが無いのでこの辺にしておくが。

 今60歳になって、仕事場の窓から新緑の白木蓮をぼんやり眺めていると、あの日の映画館の興奮と衝撃が鮮やかに甦ってくる。

「映画ってすごいな……ゴッドファーザーPARTⅡすごかったな……コッポラ監督ってすごいんだな……アル・パチーノってすごいなぁ……」

 そんな事を自然と呟きながら、自転車を漕いで家路についた時、辺りは新緑一色だった。

 あれほど豊穣で贅沢な新緑の空気を吸ったのは、後にも先にもあの日しかない気がする。

 

 その頃は、当然将来シナリオライターになっているなどとは想像だにしなかったが、人間の人生など、たったそれだけの経験でグッと自分の予想もしていなかった方向に自然に舵を切るものなのかもしれない。

 してみると、あの年のゴールデンウイークに、初公開から一年後とはいえ、『ゴッドファーザーPARTⅡ』封切りに舵をきった大宮オリンピアの当時の館主さんには、感謝の言葉しかない。

 いい意味での、バタフライ・エフェクトだったと思っている。

 

 長年、「新鮮な新作を作る」ために極力過去は振り返らないようにしてきたのだが、還暦を過ぎるとどうもたがが緩むようである。

 

 苦笑、しきり。