5年目のバラと4年目の鯉のぼり | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 

 同居女子が、数日前から急用で実家に里帰りしている。時々、実家の近くで自撮りしたらしきピースした写真と「今、ここにいます」というとぼけたメールが来る。「ここ」と言われても、写真のフレームいっぱいに彼女の顔が写っているので、どこなのかよくわからない。

 相変わらずである。

 よって、しばらくは一人で留守番をしているのだが、ベランダで今年も咲いたバラに水をやっていると、

「なるほど、独居老人とはこういう気分か」

 と思う事もある。

 

 5年前、今のマンションに引っ越してきた時、同居女子があれこれ鉢植えを買ってきた顛末は前に書いた(18年5月28日『ガーデニング騒動』)。

 そのバラが、今年もきれいに咲いた。

 相変わらず花の世話は私の担当で、冬の間は水やりの間隔をあけたり、肥料の加減や虫除けスプレーをやるタイミングなども全て私がやっている。

 彼女は「まさしのお陰で毎年バラが咲くよ」と喜んでいるが、買って来た本人がそれを言うかという気もしないでもなく、しかし言ってどうなるものでもないので、私はいつもただ笑っている。

 

 早くもこのバラを買ってきてから5年が経った。

 つまり、私の新宿暮らしも5年。

 この5年の間には、未曾有のパンデミックがあり、ロシアのウクライナ侵攻があり、世界はめまぐるしく変化した。

 引っ越してきた当初は、まさかその後のわずか5年の間にこんな大変な事が立て続けに起こるとは夢にも思っていなかったから、人の世とはわからないものだ。

 私個人を振り返ってみても、長年続けてきたシリーズ構成を引退したり、どこの現場に行ってもプロデューサーから「若いライターの面倒を見てやってほしい」と頻繁に言われるようになったり、「ああ、もうそういう歳になったのか」と思い、それはそれで私に起きたちょっとした変化ともいえる。

 変化と言えば。

 今年の一月、相変わらず血糖値のチェックで月に二度通っているかかりつけの医院で(血糖値は完全に平均値になり、今は上昇を抑える薬も飲んでいないのだが、念のためのチェックである)、そこは病状に関係なく行けば必ず水書に体重と血圧を測るのだが、急に血圧の高い日があった。

 高いと言っても上が134、下が84で、ギリギリ通常値の範囲内ではある。しかし、元々どちらかと言えば血圧は低い方だったので医師が困惑して言った。

「十川さん、通常値の上限は、上が135、下が85です。薬を出すほどじゃないですが、これはちょっと……」

「ギリギリですね」

「ええ。何か対策を打った方がよいかと……」

 医師曰く、これは誰もが通る道なのだそうで、60代になってたとえば運動不足や不摂生をしていると、てきめんに血圧が上がるのだという。

 言われてみれば、今の新宿のマンションに引っ越して以来5年、元々出不精なのと、家の近くで何でも用が済んでしまうのでほとんど外出らしき外出をしていない事に気づいた。しかも、途中で感染拡大が起き、アニメ業界も一気にオンライン会議に切り替えられたので、以前と違って電車にすら乗らない。私は何と、最初の緊急事態宣言が出た頃からつい最近まで、丸3年、一度も電車に乗っていなかった。

 家に帰って同居女子に上の血圧の話をすると、

「当たり前じゃん。運動が嫌いなら散歩ぐらいしないと体に悪いよって、ずっと言ってたのに」

 と鼻を鳴らされた。

 しかも、昨年の秋まで猛烈に忙しかった間、時間が取れずに料理すらしていなかった。さらに、その仕事が終わった後しばらくはごく軽い燃え尽き症候群のようになってしまい、次の仕事はちょろちょろしていたものの、料理なんてとてもする気になれなかった。

 かててくわえて、今のマンションにはエレベータがあるので階段する登らない(前に住んでいたマンションには階段しかなかったし、その地域は、外食するには新宿駅まで路線バスで10分行かなければならない住宅街だった。さらに、脚本会議は長年対面だったから、その都度電車やバスに乗っていた。つまり、知らず知らずのうちにそこそこの運動はしていた事になる)。

 それらの「軽く体を動かす行為」を新宿に来てから一切放棄してしまったので、そのつけが回ってきたらしく、どうやら極度の運動不足に陥り、結果血圧が、「あと一歩で薬が必要」という値まで上昇してしまったらしいのだ。

 

 翌日、家でも血圧をチェックできるように血圧計を買ってきて、同時に人生初の「ウォーキング」を始めた。

 最初のうちは億劫だったが、やると少しずつだが確実に血圧が元に戻り始めたので、これは続けるしかないと腹をくくり、毎日続ける事にした。自慢するほどの事ではないものの、一月の後半に始めて以来、今日まで一日も欠かしていない。雨の日も、傘をさして歩く。

 ところがこれが……。

 私の住んでいるマンションがあるワンブロックの、その四角い外周に沿って歩くのだが(一周約1キロ)、最初は一周していたのが、だんだん体が慣れてきて血圧が下がらなくなる。仕方なく二周にするとまた下がり始め、「あーよかった」と思ったのも束の間、また体が慣れてきてまた血圧降下が止まり、今度は三周。

 その繰り返しで、今は何と毎日五周もしている。

 そして、これはあくまで散歩でなく「ウォーキング」で、健康を維持する為にやっている運動だから、なかなかの早足で歩く。すると、五周で五キロを一時間程度、かなりの速度で歩くハメになり、最後の一周は息が荒くなるほど。

「なるほど、確かにこれは『運動』だな……」

 そう思いながら、自分の老いと運動不足を軽く呪ったりもする。

 だが、その甲斐あって、今では、だいたい毎日上が108~110、下が65~68程度まで下がった。さすがに体力的に五周が限界らしく、この数値より下がりはしないものの、上がらなくもなった。

 ようやく安定した訳である。

 医師に報告すると、

「それはよかったですね。じゃあ、このままウォーキングを続けてください」とニコニコ言われ、内心、

「この先ずっと……?」

 と、多少うんざりしながらも、やむを得ず続けている。

 料理に関しても同じで、こちらはうんざりはしていないものの、これ以上ウォーキングの距離を長くできない以上、他に運動に相当する事をしなければと、以前は毎日していた料理を再開したのである(ちなみに、マンションのエレベーターも一切使わず、わざわざ階段で上り下りしている)。

 同居女子は、

「まさしの料理が帰ってきた~!」

 と大袈裟に喜んでいたが、作るのは相変わらずごく普通の家庭料理で何ほどの事もない。

 ただ、血圧上昇を抑えるためという目的もあるから、これもまた、この先ずっと続ける事になる。料理は嫌いではないので気にはならないが、老いとは、こうしてやっかいなものなのだな、と実感した。

 

 そんな中、同居女子だけは相変わらず元気いっぱいで、新宿に越してきた5年前と何ら変わるところがない。上の写真のベランダのバラが毎年咲くのと同じように、毎年マイペースでやけに元気に暮らしている。感染拡大の間は外出自粛でストレスが溜まった時期もあったようだが、今は実家に用事で出かけたり、友達とあちこち行ったり、なかなかに忙しそうである。

 

 一緒に住んでる女性をバラにたとえるなどキザの極みだが、そうではなく、我が家のバラも同居女子も、どこか世間の騒動や喧噪とは違う次元で生きているような面があり、何が起ころうとマイペースを崩さない辺りが似てるという事である。

 そう言いつつも、「たまにはちょっと気取るか」と思い、今年のバレンタインデーに初めてバラの花束を私からプレゼントしたてみたら(赤いバラが56本の花とに花瓶つきというかなりのゴージャス版)、破顔一笑、バラと一緒に記念撮影して友達に写真を送り倒していた。

 60年も生きていれば花をもらった女性が喜ぶ姿は何度も見ているが、あれほど大騒ぎしたのを見たのは初めてなような気もする。

 何にせよ、悪い気はしないものだ。

 ベランダのバラを私が絶対に枯らさないように必死に世話しているのも、こういう、同居女子へのサービス精神に通底するものなのかもしれない。

 

 そして……。

 4年前、最初の緊急事態宣言が出て外出が自粛され、世間が最も重苦しかった頃、私は近所のスーパーで売っていた安物の鯉のぼりを買って来た(詳しくは、20年4月21日の記事『鯉のぼり』)。

 毎年子供の日が近づくと窓際のぶっとい柱にガムテープで縛り付けるのだが、これがもう、今年で4年目になった。

 最初に買った時は、上で書いたように世の中があまりに重苦しく、子供たちが学校に行けないのがどうにも気の毒で、一日も早く学校が再開しますようにという願いを込めて買ったのだった。

 つい最近、Facebookの一年前の過去投稿が送られてきた時、やはり5月5日に鯉のぼりの投稿をしていて、自分でも忘れていたのだが、そこには「パンデミックが一日も早く終わる事と、ウクライナの子供たちに平和が訪れますように」という自分の書いたコメントがあった。

 ウクライナの悲劇は今も続いている。

 今年も飾った鯉のぼりに向かって、「戦争の長期化だけは何としても避けてほしい」という祈りをした。私たちが子供の頃、ベトナム戦争が10数年に渡って続いた、またはその後、イラク戦争が10年も続いたような事が、二度とないようにという強い願いをこめて、鯉のぼりを眺めた。

 たかが5年のバラと、4年の小さな鯉のぼり。

 だが、そのわずかな年月の間に、世界は様々な苦しみに翻弄されてきた。最近はかつての経済活動が徐々に回復しつつあるようだが、新型ウイルスは完全に消滅した訳ではなく、プーチンが大統領である間はあの戦争が終結するとは到底思えず、「たかが数年、されど数年」

 という言葉が、ついため息交じりに出てしまう昨今である。

 そして今日もまた、私はこれを書き終えて雑用を済ませたらウォーキングに行ってくる。

 

 ともあれ、

 

 もし午前中の新宿界隈で、マスクをして上下黒のadidasに身を包み闊歩しているおじさん(または初老の男)を見かけたら、それは紛れもなく、脚本家・十川誠志です。

 

 あっちもこっちもいろいろと大変……。