ゆるい還暦 | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 

 おととい、四回目のワクチン接種をしてきた。

 これまで三回は全く副作用がなかったのだが、今回は、接種した晩の深夜に突然汗まみれで目が覚め、体は熱いしなんとも全身がだるいので、体温を測ると37℃、接種の時に医師が「熱が出るようなら、バファリンでも何でもいいので解熱剤を飲んでくださいね」と言っていたのでその通り家にあったバファリンを飲み、再び朝まで寝た。

 きのうの朝、目が覚めると多少のだるさは残っていたものの、熱は平熱に下がったので、一日仕事もなかった事もあり、ぼーっとして過ごした。

 

 夕方になると、同居女子に連れ出され、近所の(と言っても新宿三丁目交差点付近の、伊勢丹に近いかなり賑やかな辺りだが)レストランで食事をした。

 

 きのう10月3日は、私の60歳の誕生日だったからだ。

 同居女子からプレゼントをもらい、『懐石料理風イタリアン』のコースという、なかなかユニークな組み合わせの料理を食べたのだが、これがなかなか美味しかった。その名の通り、懐石料理の体ながら中身はイタリアンと和風をうまくブレンドした味で、どれも初めて食べる味ばかりだった。

 帰りに、出口に向かう通路を歩いていると、厨房の中が通路に沿っていて仕切りなしで見えたので、シェフが後片付けをしているのも間近に見えた。

「美味しかったです。シェフのお陰で久しぶりに楽しい誕生日になりました。ありがとうございました」と声をかけると、シェフもまた破顔一笑し、「ありがとうございました」と言っていた。

 何とも気持ちのいい外食である。

 

 さて……。

 驚くべき事に、私は遂に60歳になってしまった。

 誰でも経験する通過点だから驚く必要はないのだが、これまで、自分が還暦になった時どうなっているのかなど想像もつかなかったから、どことなく目の覚めるような、「これが還暦を迎えるという事か」と、軽い驚きがある(ちなみに赤いちゃんちゃんこは着なかった)。

 しかし実際は、いざなってみるとこれまた誰もがそうかもしれないのだが、きのうまでと何ら変わる事なく、今までと同じ日々が淡々と続くだけだ。仕事をし、模型を作り、料理を作り、寝る。起きる、また仕事をし……のループである。

 何ひとつ変わらない。

 

 ただ、変わったといえば体力が目に見えて落ちた事くらいだろうか。運動不足のせいもあるのだろうが、運動不足に関してはもう30年以上続いているし、病気があるわけでもなし、当たり前の事。だが、実際には、昨年辺りから目に見えてガクッと体力が落ちた自覚があり、特に仕事を終えた直後の疲労がはなはだしい。

 還暦以前と以後の違いといえば、私にとっては一にも二にも体力の衰えのみ、である。

 

 最近はあの大雑把な同居女子ですら、二人で連れ立ってどこかへ出かける時、「大丈夫?」と私に言う。「大丈夫?」とは、「無事に行って帰って来られる?途中で疲れちゃったりしない?」という意味なのだが、いずれも遠出ではないので、私はいつも笑って「大丈夫」と答える。

 だが、一回目のワクチン接種から一年ちょっとが過ぎ、四回目にして初めて一昨日の軽い副作用が出た事を考えると、この一年の間に「肉体が老いた」のかもしれず、やれやれと思わざるを得ない。

 

 子供の頃は、自分が老人になった時どんなだろうと空想しても、皆目見当もつかなかったが、迎えてみれば何の事はない、体力以外は何も変わらないという事がよくわかった。「子供や若者が見るアニメの脚本の仕事」を30年以上続けていると、どうも30歳くらいから精神年齢が停止してしまうらしく、気持ちは今でも30代の頃のままだ(これは、同年代の他の脚本家の知り合いも、みんな口を揃えてそう言うので、アニメ脚本家はだいたいそうらしい)。

 

 結局のところ、たいした変化がないのなら、この先はただひたすら成り行き任せで暮らしていくしかないなあと、昨夜同居女子と懐石風イタリアンを食べながら話した。

「まさしは60には見えないよ。もっと若く見えるわ。それも、アニメ脚本のお陰かもよ」

 彼女が料理を食べながらそう言ったので、私は答えた。

「そっか。だったらまあいいか」

 

 人間、先の事は皆目わからないものだが、近頃は、わからなくても別にいいやという気持ちになっている。

 

 同居女子と一緒に歩いて帰宅する途中、「別にいいや」というところに気持ちが行き着いた。

 

 そんな、還暦の誕生日だった。

 

 私の個人的還暦誕生日の感慨よりも、混沌を極める世界情勢の方がよほど「どうでもよくない」、そんな気がしている。