About neo virus | 脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

脚本家そごまさし(十川誠志)がゆく

テレビアニメ、ドラマ、映画と何でも書くシナリオライターです。
24年7月テレビ東京系で放送開始の「FAIRYTAIL」新シーズンに脚本で参加しています。
みんな観てねー。

 

 このまま梅雨が明けないのではないかと思うほど長い雨の日(それも大雨が多い)が続いているが、皆さんいかがお過ごしだろうか。

 

 私はといえば航空関係の本をあらかた読み尽くしてしまったので、約半年ぶりに飛行機模型を作り始めている。その合間に脚本を書き、リモート会議に参加する日々である(主客転倒だが、近年はこれがライフスタイルになっている。笑)。

 久しぶりの投稿でとりとめのない記事も何だなとは思いながら、今の気分がとりとめのないものなので、以下そのように書いてみる。

 新型ウイルスについて。

 

 まず気になっているのが、マスコミでも私達の日常でも「新型コロナ」または「コロナ」という呼び名がすっかり定着してしまった点である。以前の記事にも書いたが、オーストラリアに同じ名前の男の子がいて、いじめにあっていたところトム・ハンクスから来た手紙で励まされたという事が起きており、長年続いてきた有名なコロナビールはビールの生産を中止したというし、そもそもマスコミが無神経に「コロナ」を連発した挙句の定着だと思うのだが、これはいかがなものだろう。

 特にいい人ぶる気はないのだが、私はそうした「罪のない複数の被害者」がとても気になるので、Facebookへの投稿にしろ何にしろ、同居女子との日常会話ですら、絶対に「コロナ」という言葉は使わないようにしている。家で彼女と話す時は「新型ウイルス」である。何かのネットニュースの見出しで行数が足りなかったらしく「新コロ」と書かれていたのには笑ってしまったが、これとて「コロナ」よりはマシな気がする。

 もう定着しちゃったんだからしょうがないではなく、いま一度そうした配慮に立ち返るべきではなかろうか。

 

 その新型ウイルスだが、物を書く身としてつくづく思うのは「事実は小説より奇なり」という点。

 今回のウイルスの最大にしてやっかいな特徴は、感染してからしばらくは無症状が続き、本人の自覚のないままに他人に感染させてしまうというところだが、古今東西これまでパンデミック系の近未来SFでこうした設定があっただろうか。私の記憶の限りでは思い当たらず、現実はフィクションの一歩先を行くという気すらしている。こうした時、私も含め物書きは己の限界を痛感する事が多いものだ。

 7年ほど前、2018年(つまりその当時から見て近未来)の脚本を書いた事があり、様々な事情から企画自体が中止になって世に出なかったのだが、その物語の中軸はTPPだった。自分でも呆れるほど取材して書いたのだが、その後まさかアメリカが脱退してしまうとは夢にも思わず、あれが世に出ていたら噴飯ものの作品になってしまったに違いないと思うと、フィクションの難しさを感じずにはいられない。

 普通の方から見ればタダの笑い話かもしれないが、そうした作品で生計を立てている身としては、大きな打撃なのである。むしろ、企画が頓挫した事で神様に感謝したい気持ちすらある。

 

 その無症状だが、私と同居女子にとっては問題になりつつある。

 何か。

 私たちは歌舞伎町の隣町に住んでいる。

 歩いてほんの数分の距離である。今の歌舞伎町はご存じの通り「夜の街」、「感染源」などと言われ、なにやらパチンコ店バッシングが歌舞伎町にスライドしてきた感がある。ホストクラブで集団検診をしたりいろいろ対策が講じられているようだが、といって私たちの住むマンションがそうした距離にある点は変わらない。

 これは歌舞伎町に足を踏み入れなければいいという問題ではない。住んでいるマンションの一階には24時間のコンビニがあり、家の隣にはいつもいくスーパーがある。そして何より、ここはそうした歌舞伎町で働く人々が住んでいるエリアである。

 当然、歌舞伎町に感染者が多いというのなら、そうした人々と同じスーパーやコンビニを利用しているわけだから、他地域の住人に比べて感染の確率は高くなる。お断りしておくと、私も同居女子も歌舞伎町のそうした状況や人々に対しては何もマイナスの感情はもっていない。そうではなく、感染の確率が高い地域に住んでいる以上、上記の無症状のケースを考えれば、おいそれとどこかへ出掛けたり人に会ったりしたら、万が一感染していた場合にウイルスを拡散させてしまう恐れがあり、しかもそれは他地域の人よりも確率が高く、よって不用意に出掛けたり人に会ったりできないのだ。

 今参加している脚本のリモート会議では、「リモートでも制作会社に直接来てもどちらでもOK」というルールになっている。よって「リモートだとどうも話しづらい」という人は直接会社の会議室に行っているのだが、私がずっとリモート参加なので、ある時「直接組」の人からこう言われた。

「十川さんは、こっちには来ないんですか?」

 私はリモートの小さく区切られた画面の中から答えた。

「何しろ震源地の隣に住んでますのでね。皆さんより感染の確率が高いので、万が一にもそちらまでウイルスを運んで行っちゃ申し訳ないから」

「なるほど……」

 リモート会議自体は、私は十数年前のskypeが世に出た頃から折りに触れ「導入しよう」と主張してきた。毎週必ずかなりの人数が集合しなければならないのは非効率的だから、せっかくのテクノロジーは使わない手はないと思ってきたのだが、業界内で全く同意が得られず今年まできていた。だが、新型ウイルスという負の引き金があったにせよ、世の中が一気にリモートに梶を切りだしたのだから、この流れに乗らない手はないとも思っている。別にウイルスにかこつけて行かないのではなく、リモート定着に賭けているという面もある。私にとっては一石二鳥なわけだ。

 しかし同居女子はそうは行かず、普段から出好きで人に会うのが大好きなので、ストレスが溜まるらしく、彼女はリモートが好きではない。とはいえ感染源に近い住まいの問題があり、当然友達との飲み会は控えているから、私と違って「ウイルスの負の側面」をモロに受けている。

「友達に会いたいな」

 晩ご飯を食べながらぽつりとそう言うので、私が、

「時々リモートで話したりしてるじゃないか」

 となぐさめると、

「あれは機械の中の人。ほんとの友達じゃない気がするんだよ」

 と、昭和の人のような事を言って溜息をついている。

 ただ、こればかりは新型ウイルスがある程度収束しないとどうにもならないので、今のところ我慢するしかない。

 どうやら、出不精と出好きで明暗が分かれているようだ。

 

 一つよかったのは、私の料理のレパートリーがべらぼうに増えた点。

 4月の緊急事態宣言以来、毎日晩ご飯を作るようになった。以前は週に一回か二回は外食だったのが、ほぼ毎日である。やがて緊急事態宣言は解除されたものの、同居女子が何故か「家のご飯が食べたい」と言うようになり、私はまるでお母さんのように日々食事を作る事になった。

 すると、なにせ毎日の事なので飽きが来るとよろしくなく、勢い「なるべく同じメニューが続かないように」となり、すると自然とありとあらゆる種類の料理にトライする事になる。同居女子は日々喜んでいるが、毎日の献立を考えるのは容易ではなく、「世のお母さんたちの悩み」がよくわかった気がする。

 もっとも、それはさておき、何だか「主夫業が一歩前進した(夫じゃないけど)」という気分もあり、これは結果オーライではなかろうか。

 下の写真はその気分の一つで、軽く揚げた鯛とナスの味噌炒め、鳥レバーとネギの生姜煮である。自分で言うのも何だがなかなか美味しかった。

 

 と、とりとめのない記事でしたが。

 皆さんも様々な環境の変化に戸惑う事もおありでしょうが、どうぞ気分をゆったり保ってお過ごしください。

 

 それが一番な気がしています。