「これ、どうしよう」
「何が?」
「これこれ、このチョウチョ」
「チョウチョ?」
きのうの午後、狭いキッチンの床を掃除していた同居女子が、ぼんやりとニュースを見ていた私にそう言った。
台所に行って見ると、いただき物の紙袋に入ったままだった、上の小さな方の写真の物を、しゃがんで掃除のポーズのまま私に見せている。
「ああ、パスタね」
「もらったの、もう去年の秋だよ。もし食べないんなら……でも、捨てるわけにもいかないし……」
「そうだね。じゃあ、今日の晩ご飯に作るよ、パスタ」
「ほんと?」
「だって、あなたはパスタ、家で作らないでしょ」
そんな会話があった。
チョウチョとはイタリア語で「ファルファッレ」、蝶の形をしたパスタの事をさす。何となくこうした形のパスタが存在するのは知っていたが食べた事はなく、昨年の秋に同居女子が仕事関係の方からもらってきて、そのまま台所の片隅に放置してあったものだ。
何故そんなに長くチョウチョ型のパスタが放置されていたのか。
理由がある。
我が家では、というか同居女子はちょっと変わった人で、家庭料理で洋食を食べるのをあまり好まない。
同居し始めて数ヶ月が過ぎその嗜好がわかった頃、私は自分が料理担当でもあったから、不思議に思い聞いてみた。
「なんで家で洋食は食べたくないの?あ、オレの作る洋食、あんまり美味しくないかい?」
彼女は私にそう言われると、驚いた様子で大きく手を振り訂正した。
「違うの。まさしの洋食が美味しくない訳じゃないの」
「じゃあ、どうして」
意外な答えが返ってきて、私は面食らった。
「洋食ってさ、外で食べる物な気がして」
「はあ?」
「何となく、家では和食とか中華とか、食べたい」
「だってハンバーグとか、ステーキとか、パスタとか……家で作る洋食っていっぱいあるじゃないか」
すると、彼女自身もうまく説明できないらしく、困った様子で続けた。
「それはそうなんだけど……ほんと、何となくなんだけど。ナイフやフォークで食べる料理は、家より外食で食べたいのよ」
「はー……」
その奇妙な答えに私は当惑した。それが、今から約8年前の話だ。
料理と言えば、たとえ家庭料理でも「和・洋・中」が中心である。しかし、「洋食はできるだけ外で食べたい」と言われて以来、私が家で作る料理はほぼ「和・中」に偏っている。ただし、彼女はステーキだけは好物で、これは家でもたまに私が作る。
このステーキについては、ある日意外な事がわかった。
「ステーキは洋食だが、これは家でもOKなの?」
彼女は私が焼いたステーキをもりもり食べながら答えた。
「これはね、まさしが作るにんにく醤油ソースが美味しいから食べるんだよ。外食のにんにく醤油ソースはあんまり好きじゃないの」
「へえ……」
褒められたようなそうでもないような、妙な答えである。同居して最初にステーキを焼いた時、すりおろしにんにく、醤油、ポン酢に、これまたすり下ろしたりんご汁を混ぜて自家製ソースを作ってみたら事の他彼女に評判がよく、その後ずっとこのスタイルになった。たまに頑張ってデミグラスソースを作ってみた事もあったのだが、その時は「美味しいけど、こういう味は外食で食べたい」と言われ、何だか張り合いがないなと思い、以後一度も作っていない。
ラザニアやマカロニグラタンを作った時も同様で、ホワイトソースも自家製でやってみたのだが、「美味しい」と言って完食するものの、最後には判で押したように、
「とっても美味しかったけど、こういうのは……」
「外食で食べたいのか」
「うん」
という返事が返ってくる。ちなみに、彼女は私の作った和食や中華の場合、美味しくないとはっきりとそう言うし、完食しない事もあるので、これは実に不思議なもので、「美味しいけど家では食べたくない」というのは事実らしいのだ。
ちなみに、ここまでお読みになった方の中には「何だかわがままな女性だな」と感じる方がいらつしゃるかもしれない。しかしそうではなく、彼女は思った事をごく素朴に口するだけでそこに悪意は全くなく、さらに我が家は「忖度なし」が信条でそうする事が最も快適なので、上記のようになっているに過ぎない。
子供の頃に「家庭の洋食」について何かイヤな思い出でもあるのかと思い聞いてみた事もあるが、特にそういう事件は起こらなかったらしい。じゃあ、大人になって外食が増えてから、何かの拍子に「洋食はやっぱり外食に限るわ!」と開眼した瞬間があったのかと聞いても、特にそういう事件は起こらなかったらしい。
「じゃあ、何で?って聞かれるとほんとに困るんだけど……自分でもよくわかんないや」
最終的な結論がそうだったので(それがだいたい8年前に聞いた結論だったのだが)、それからというもの、ステーキを除くとどうも私は洋食を作らず、和食と中華のレパートリーばかり増えてしまい、洋食の方はさっぱり、という状況になっている。
私なりに何度か考察してみたのだが、どうも、何かにつけ華やかなイベントや出来事が好きな同居女子の中では、洋食は「物を食べるという現象において華やかな世界」なる定義づけがなされているフシがあり、家の食卓でつましく食べるのは、「食べ方として勿体ない」と感覚的に思うのかもしれない。さほど大袈裟ではないにしても、「さあ、今日は外で食事をしよう」と決め、そこそこお洒落をして出掛けて行き、レストランに入って白いテーブルクロスの前に座り、そして洋食を注文する。それが、彼女としては「正しい洋食の食べ方」らしく、というか、私の考察としてはそうとしか考えられないのだ。
「そういう事なの?」と問いただして確認したい気もするのだが、多分理解不能なややこしい答えしか返って来ないので、まだ聞いてみた事はないのだが。
そんな彼女が、きのうの午後、「そろそろこの、いただき物のパスタを何とかしなければ」という動機があったにせよ、家でパスタを食べようかという事になり、自分から「じゃあ、作るよ」と言った割に私は狼狽した。パスタなど家では何年も作っておらず、食べる時は常に同居女子と一緒に外食だったからだ。
「作るよ」
と言ったはいいが、ファルファッレに合うソースは何なのか、そもそもファルファッレとは何分くらい茹でるのが最適なのか、日頃パスタを作り慣れていないので、わからない事だらけなのである。
同居女子と同居し始める前に買い、これも上記の「家庭内洋食懐疑主義」に阻まれて放置してあった「イタリアンの基本レシピ」という本を引っ張り出してきてつらつら読み、ファルファッレはどうやら茹で時間9分が最適らしいと突き止め、ソースについては「これがファルファッレにはからみやすい」という例がいくつかあったものの、同居女子は外食では必ず「ミートソース」を食べるのでそれがよかろうと判断し、さらにはパスタだけでは足りないだろうから、同じイタリアンっぽい味付けの別のひと品も必要だろうと考え、写真のエビの炒め物もした。チョウチョのパスタに合うように、使った油はオリーブオイルでにんにくの味付けにした。
「家庭料理でそこまで気を遣う必要もないでしょう?」
とお考えの方ももちろんいるだろう。
しかし我が家の場合、「食」は生活の中の極めて重要なパートで、私の作る晩ご飯を彼女が驚くほど純粋に楽しみにしているという事情がある。作る私としては毎食気が抜けず、がっかりさせたくないという想いが強いのかもしれない。まして数年ぶりにパスタを作るとなれば、この機会にしくじる訳にはいかない。
料理本でしばし「チョウチョ・パスタを如何に作るか」のプランを立て、ようやく考えがまとまり、「じゃあ、スーパーに行ってくるよ」と言ったら、彼女がそんな私を見て笑い出した。
「まさし」
「ん?」
「声が深刻になってるよ。チョウチョのせいで緊張させてごめんなさい」
「あー……そう言えば、ちょっと緊張してるかもな」
私も笑ってそう言い、近所のスーパーに行った。
出来上がったのが上の大きな写真で、自分で言うのも何だか美味しかった。ファルファッレにミートソースとはひょっとすると邪道なのかもしれないが、きのうの最優先課題は「同居女子が満足するかどうか」だったから、仮にに邪道でもよしとした。
彼女は、何とパスタの三分の二ほどを盛大に食べ、最近小食の私を尻目にエビなどほぼ一人で食べ、何度も「美味しい」と言った。
私はほっとし、内心「ミッション・コンプリートだな」と思った。
そして、実に珍しい事に、彼女はいつもの決まり文句、「洋食は外食で」を言わなかった。
どうやら、よほど「チョウチョ・ミートソースパスタ」が気に入ったらしい。
その証拠なのかどうなのか、食後に私が洗い物をしていると、台所の入口から私を覗いて言った。
「今度、他のパスタも食べたいよ」
私は、大皿を洗いながら意外に思い聞き返した。
「他のって、パスタを家で食べたいってこと?」
「うん。こんなに美味しんなら、もっと早くいっぱい作ってもらえばよかったよ」
「オーケー。じゃあ、そうします」
例外の家庭料理・ステーキに、パスタが追加されたようだ。
普通の家庭ではあり得ないような、何とも珍妙な会話だが、これが我が家の「フツー」なのである。
おかしな暮しもあったものだ。
春を間近に控えての、「家パスタ」の解禁。
ささやかすぎる記事で恐縮だが、我が家ではそこそこの事件である。
ありがとう、チョウチョくんたち。