中学生の時から、ちょくちょく小説は書いていた。
確か、ドラゴンボールのキャラ小説とか、そんなのを良く書いてた。
でも何度も言ってるように、10代の頃の自分には書きたいと思えることを書く能力も表現力も欠けていた。
そんな中で、全然ドラゴンボールとかじゃない、オリジナル小説を1回だけ書いたことがある。それのタイトルが『雪男』。
自分がクラスの人たちの輪に入ると、場が凍る。だから僕は影で雪男と呼ばれている、みたいな、すごく暗い小説。
でも、自分がちゃんと納得できる形で完結できた小説はそれ一作だけだった。
その小説は、自分の当時の気持ちや状態を、赤裸々に綴ったものだから。今思えば、若い子特有の被害妄想や勘違いだと思うけど、当時は切実な気持ちで書いていたのだ。
切実で赤裸々で、書きながら自分を切りつけるような小説。皮肉ながらそれほど書きやすいものはないし、最も見返して耐えうる出来のものだったりする。
ジュリアキャメロンの「あなたも作家になろう」に、正直で赤裸々な文章ほど面白いものはない、という記述がある。本当にその通りだと思う。
リアリティがあって、さりげなくて、実感がこもっていて、そういう小説ほど楽しいものはない。太宰治の斜陽とか、正にそういう小説。
今自分は執筆活動を重ねているけど、やはり嘘はかけないなと思う。自分を偽って、良く見せようとすると、途端に筆が止まってしまう。そして、書いているうちに謎の鬱症状がやってきた。
最初は何事かと思った。こんなに、力が抜けて、立てなくなるほどの鬱は2年前以来。
信頼できると思った友人にゲイであることをそれとなく話したら避けられてしまった時以来。
あの時もちょうど寒い季節で、お風呂に入ろうとして着替えていたのに、そのままストーブの前で崩れ落ちて30分くらい立ち上がれなかった。あのときに限りなく近い鬱。
これはどうしたことだろう、と思った。人は、自分が根本的に受け入れられないとき、とてつもなく暗い気持ちになる。自分がそこの世界に入れないと知った時、憧れの世界は嘘の塊になる。信じていたのに、親が犯罪者だと知ったような…。
何もかもがやる気がなく厭世的で、書くのをストップした。で、渋谷に行ったりして、書くことをせず遊んでいたら復活した。そして、恐る恐る執筆を再開した。
その時、またジュリアキャメロンの本を読み、飾らず、ただ気の赴くままにペンを走らせたら、とてもいい文章が書けて、楽しい気分になった。
楽しくないとき、つらいときは、明らかに間違っているときなのだ。それも、人生と同じで通過点なのだけれど、できるだけ早く方向転換しないといけない。
そうして、今自分は少し立ち直りかけている。
近所の公園が、とても広々として芝生が敷き詰められているので、裸足で走った。氷のように冷たくて、しもやけがひどかった。しばらく指先が麻痺した。
夢の中を走るみたいに、小説と、芝生と、戯れて。これこそ、書くということの力だと思う。夢を見たくなるのだ。
そういえば、代々木公園近くにリズム&ブックスという古本屋があって、古本屋=臭いつまんない本のある場所というイメージが打ち砕かれた。山口百恵の評論本とかオリーブとか、昔の面白い本がぎっしり。
どれも保存状態キレイ。そこの体験が、生まれ変わるように価値観が変わり、今に至る。
そういう楽しさが、なぜか小説を書く上で大切な気がする。関係ないし、別に劇中に書くわけじゃないけど、すごく大事。MENS109も楽しかったけどね。
宇田川町沿いのクラブ系の服を売ってるところで見たグラサンが死ぬほどかっこよかったとか、マンハッタンレコードの爆音のような音楽に引きつつ、どうやってレコードプレイするんだろうって、視聴機を眺めたり。
あー楽しかった。またいい小説書こーっと。