…アーティスト・デートは、インスピレーションを拾い上げる助けになる。これらの活動はいずれも見かけのうえでは、実際の創作活動と無縁に見えるが、創作のプロセスにとって欠くことのできないものだ。
私たちは何かをひねり出すことがアートだと考えるが、じつはそうではない。逆に、すでにあるものに触れ、それを原稿用紙や大理石といった素材に「降ろす」のがアートという行為なのだ。このことはアートについて考える場合、きわめて重要な意味をもっている。
私の人生の教科書『すっとやりたかったことを、やりなさい』第7週の冒頭より。
そう、これはとても重要なことなのだ。でもなぜか忘れてしまう。真っ白の巨大なキャンパスを渡されて、「さあ、これに自由に絵をかきなさい」と言われているようなもので、アーティストデートは壮大で、それがゆえに何をすればいいのか分からなくなる。
「実際の創作活動と無縁」であることがアーティストデートの重要な点だが、つい忘れやすい。
というか、普段理屈で物事をとらえがち(というか、そのように教えられてきた)な大人達にとって、これはとても超常的で納得がいきづらいと思う。
自分は最近になってこの言葉の意味が分かった気がする。いままで何十回と読み返してるのに、ここだけ、なぜかいつも読み飛ばしていた気がする。
慢心、というか…この本はそういう新しい発見が山のようにあるのだ。それも、本とともに成長していくこの著作の趣旨によるものだけど。
最近自分はファッションにやたら興味をもっていて、いろんな雑誌を読んだりSEXANDTHECITYの映画を見たりして楽しんできた。
でも「洗練されたいという思いが創造性を妨げる」という言葉のとおり、だんだん誰かが自分を見て良いと思ってくれることが目的になってしまっていた…。
もちろん楽しいんだけど、ちょっとそういう華美な世界からは離れて自分にもどろう…と思ったら、なぜか詩が湧いてきた。
前は、音楽に頼って詩を書いていたけど、最近は自然と詩が書けるようになった。肩の力を抜いた途端にそうなった。
あとは、タルコフスキーの映画をいろんな諸作業の合間にみていたら、それが詩に反映されたりして。
なんか、冒頭の引用文と関係ないこと話しているように見えるけど、自分の中ではつながってる。色々と楽しいことをしていると、ふと本来の自分が戻ってきて、すらすらと創作進む。
繋がっているけど、繋がっていない。アーティストデートは、壊れた機械にチョップをかますようなものだと思う。
神のみぞ知る配線の構造があって、それが何かの因果で偶然に、自分の中で「正解」がでてくる感じ。
もしかしたら、自分の中で、知らない才能が眠っていて、アーティストデートで着々と配線が繋がれていってるのかもしれない。運動してると、眠っていた筋に神経が通るみたいに。小脳の運動回路が構築されていくみたいに。
面白いなーと思った。久々に。