本件、初めは非常に強い不快感を感じました

(発された言葉とその裏にある悪意にではなく、

三悪が近付いてきたことに)


あるフォロワーさんからお気遣いのコメントをすぐに頂き、

改めてブログ内でも触れて下さったことで、不快な感情は減りました

ありがとうございましたニコニコ

 

そのままスルーしようと最初は思ったのですが、

誹謗中傷とは言え、せっかくのご意見なのだし、

何か気付きを得ることが出来るかもしれないと考察してきました

結果、様々な振り返りができ、私には良い機会となりました

 

複数の投稿に分けて書いてきた本件の話題、

初めて通りかかった人は「???」だと思うので、

経緯を読みたい方は、一番下のリンクに飛んでください

 

さて

 

私は正直、これまでの人生に、自信を持てていませんでした

特に学生時代についてです

 

先だって大学卒であると書きましたが、特殊な大学の教育学科におりました

(歴史ある大学で、GHQから唯一、師範科の継続を許可された大学です)

自分の特殊な感覚では、文科省の教育指導要領に合わせることが出来ないと分かり、

また、当時の学内でも、同様の感覚を持つ教授・生徒は馬鹿にされる風潮があり、

策を見出せず、色々と挫折し、退学まで検討していました

挫折した自分は在学している意味がない、先の目標が見えなくなり、

虚無状態で通学していました

周囲が華やかだっただけに、辛かったです

何とか頑張って卒業はしましたけどね

 

ずっとコンプレックスだったのですが、別の視点で当時を振り返り、

あぁ、あれで良かったのだな、見聞きしたことは間違いではなかったんだと、

また、ある助言について、その真意をようやく理解でき、

気持ちをスッキリ整理できました

 

ところで、福沢諭吉の「学問のすすめ」については、

どの教授も触れていなかったな、と思い出しました

教育の発展へ貢献したと評価されてきたのなら話題に上がったはずですが、

教育学の講義でも、一般教養の講義でも出てこなかった

 

いろいろと調べた結果、私の考えですが・・・

「学問のすすめ」は、当時、ただの啓発本として流行したものであり、

教育学を語ったものとして認められていた訳ではないのかな、と

現在も、一部の熱狂的崇拝者は除いて、

あくまで、福沢諭吉という、いち個体の思想サンプルとして、

良し悪しは別として認識されているに過ぎないのではないでしょうか

一般大学教育学部の学生ですら読んでいないというデータにヒットしたあたり、

そのように考えるのが妥当なのかもしれないなと思います

 

読んでみると分かるのですが、

統計データを用いずに狭い視野かつ白黒視点で言い切った表現を多く用いている点、

貴族・華族、士農工商の4階級には触れますが、

本当に貧しい人々については触れていない点、

「貧富」「貴賎」というキーワードを頻繁に用いている点からは、

福沢諭吉自身が、強い差別意識を持っていたのではないかと感じざるを得ません


事実、別の書物では、酷い差別主義を展開しています

「学問のすすめ」にも、おのずと滲み出ていたのでしょう

学力が低く幼稚な思考の持ち主が読めば、誤った認識と信仰に進んでしまうのは容易に想像できます

表面的に解釈し、他人を批判・誹謗中傷する人間が出来上がるんだろうなーキョロキョロ

まさに三悪

 

こんな書物を他人に薦めるなんて、

ひょっとして、危険な思想を持つ人物なの???

逆を言えば、このような思想を崇拝する人が、今でも一定数いるって事ですよね

そっちの方が恐い・・・

 

また、自慢されていた資格取得や学んだ講義の件

辛辣なことを言わせていただくと、

 

(学ぼうと思った気持ちは努力しようとしたことの現れだと思うけれど)

それらは、通信制として提供されるサービスとして設けられたものであり、

そのサービスを受領したことを、「個人の努力の結果」と言うのは少々違うかなと

ましてや、資格取得できることが、

そのビジネスの集客文句であるということも有り得る訳ですからね

 

様々な事情、金銭的な背景があると思うので、

別に通信制が悪いということではありません

生涯学習としては大いに活用する意義があるでしょう

ただ、卒業資格を得るための利用に当たっては、

冷静に捉える必要があると思うのですね

 

一人の世界の中ではなく、複数のコミュニティに触れながら、

人間性を育み、先人の知恵を受け取るのが「学び」だと思うのです

この点においては、

高校・専門・短大・大学は、明確に役割が異なるものと私は考えます

どのような学問に触れるのかは、個人の選択の問題に過ぎません

ある特定の学問の習得有無だけで、個人の努力を評価するなど浅はか

 

かつて私は、「学位を取得すること」を厳しく言われたことがあります

その時は、学歴差別だと反発したのですが、

今回の件で、ようやくその真意が分かりました

大学に行かせていただくということがどういうことなのか

 

不真面目で実技も諦めてしまった私だけど、

4年間通学させてもらい、卒業させてもらったことは、

感謝してもしきれません

 

長年抱えてきたコンプレックスが、思わぬきっかけで解消するとは

人生、何が起きるかは分かりませんね

 

 

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【本件の経緯をリンクと共にまとめました】

 

事の発端となったのは↓

このブログに付いた中傷コメントでした(先述の通り、削除済み)

 

以下、古いものから時系列で並べました

 

 

コメント主が「人の悪口書いて」と反応したのがこの記事のタイトル↓

 

コメント主からの熱い主張に応えるべく、私の考えを投稿した記事です↓

同じ熱量をと考え、長文になってるものもあります、あしからず

 

 

福沢諭吉をどうとらえるか、リサーチした結果↓