104人の大和魂 No.53 龍馬暗殺 | 社長力検定「後継者育成塾」

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 慶応3年(1867)11月15日 龍馬暗殺

の下手人は、「京都見廻組」が定説になっている。

明治 3年(1870)、箱館戦争で投降した

今井信郎が、「坂本龍馬を殺 害したのは、

我々京都見廻組だ」と白状したことが根拠に

なってい る。又、見廻組長佐々木只三郎が死

の5日前に実兄手代木直右衛門 勝任に

「某諸侯(松平容保)の命により龍馬

を惨殺した」と言い遺 したことが裏付け

とされている。佐々木只三郎は、朦朧

(もうろう) とした中で実兄に

「龍馬を殺した」と架空の手柄話をし

たのであろ う。 暗殺の命令者は岩倉具視、

実行役は、岩倉の側近中岡慎太郎であ る。

動機は、龍馬が慶喜側幕府勢力と薩長側勢力

を合体させ、平和 裏に日本の舵取りを図ろ

うとしたからだ。岩倉は、慶喜を除かない 

限り、新しい世の中はこないと考えていた。

だから、立ちふさがっ た龍馬を殺害したの

である。 定説では、夜8時頃という当時の

深夜時間帯にボディーガード藤 吉が、

見ず知らずの「十津川藩士」を近江屋2

階に通したことになっ ている。事前に

会う約束がない者たちを通すほど藤吉は

愚かではな い。怪しまれずに龍馬を確実

に斬れるのは、慎太郎だけだ。そして、

 慎太郎を惨殺したのは土佐藩である。

岩倉と土佐の共犯だ。 西郷は、事件に

ケリをつけるために「犯人」を特定した。

日本史 に残る人物の犯人を特定する必要

性を考えたのであろう。西郷は、 龍馬を

次のように最大級の評価をしている。

「天下に有志あり、余 多く之と交わる。

然れども度量の大、龍馬に如くもの、

未だかつて 之を見ず。龍馬の度量は到

底測り知れない」 西郷は、今井を龍馬

暗殺自供の2年後に恩赦で釈放している。

彼 は、西南戦争の際に西郷に味方するた

めに鹿児島に赴くことを決意 5したほど、

恩義を感じていたという。 

もし、「京都見廻組」の公務執行だとす

れば、事件直後になぜ公 表しなかったのか?

大いに疑問が残る。現代であれば、記者会見を

 開き功績をアピールする事件だ。日本の警察

(京都見廻組)が罪の ない中岡まで殺害する

はずがない。見回り組の一人が暗殺に使用し 

たとして展示されている刀は、幻に過ぎない。 

龍馬は、「藩論」に実力を優先する社会にす

べきだと説いた。無 力な至尊(天皇)なら

ば不要とし、西欧流の革命思想すなわち選挙

 による「大統領制」の青写真を描く。慶喜側

と薩長を結合させ、統 一国家実現を夢見た。

もし、龍馬が5年長く生きていたら、日本に 

アメリカ式大統領が出現したに違いない。

又しても、天皇家を守護 する「自動制御装

置」が働いた。 龍馬は、死の直前まで若年

寄永井尚志と頻繁に接触しており、周 囲の

者たちに「俺の命は幕府に保証されている」

と漏らしている。 永井から「暗殺中止命令」

が出ていたはずなので、見廻組が龍馬を 暗

殺した可能性はほぼゼロである。