104人の大和魂 No.53 坂本龍馬 2 | 社長力検定「後継者育成塾」

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 薩長同盟すなわち薩摩と長州の軍事同盟を

結ばせることを最初に 考えたのは、中岡慎

太郎である。元治元年(1864)12月、

中 岡は福岡藩士早川勇の紹介で西郷隆盛に

接触。三条実美卿付土方楠 左衛門とともに

西郷へ上京を働きかけている。慶応元年

(1865) には、京都に4度も足を運び、

同盟の仲介を行っている。表は龍馬、 裏で

中岡が両藩の同盟に動いた。長州は、

「撫育局」で新田開発や 新規事業を推進し、

実高が71万石。薩摩は黒砂糖の専売制などで 

利益を上げ、実高87万石。両藩ともに経済力、

軍事力に秀でてい たことが、反幕の原動力に

なっていた。 慶応2年(1866)1月8日、

小松帯刀の京都屋敷・茶室「有 待庵」にて、

桂と西郷の会談が行われた。だが、話は容易

にまとま らなかった。当茶室は、謀議にし

ばしば使われ、岩倉は頭巾をかぶ り、

足を運んでいる。 1月20日、龍馬は京都

に着く。盟約はすでに結ばれたと思って

 いたが、中断したままだった。桂は、

もう頭を下げられないという。 龍馬は桂

を責めず、薩摩側に譲歩を迫った。 

1月22日、薩摩は6条件を提示、

桂が了承した。後日、桂が文 章化

した文書の裏面に龍馬が間違いない

とサインし、いわゆる「薩 長同盟」

が成立した。龍馬は、コミュ二ケーシ

ョン能力の高さを十 分に発揮し、両藩

を合意させた。幕府を倒す条件を整え

たのである。 当該会談に出席したのは、

立会人龍馬を含め計10名。 

 

(薩摩藩以下7名) 小松帯刀 西郷隆盛

 大久保一蔵 島津伊勢 奈良原繁  

 桂 久武 吉井友美  (長州側以下2名) 

  桂小五郎 品川弥二郎 

薩長同盟には、正式な文書は存在しない。

同盟の文書が発覚すれ ば、薩摩が幕府から

狙われる立場になるからだ。又、

「武士に二言 は無く」、

元より日本は契約社会ではない。 

薩長同盟の要点は、次の通り。 

「長州と一橋、会津、桑名(幕府の

中核となる藩)との戦いになっ たら、

薩摩は中立を守る。長州が勝利したら、

薩摩が動いて、朝敵 の汚名を晴らす」と

倒幕ではなく、長州から薩摩への応援要請

と言 うべき内容になっている。