104人の大和魂 No.43 葛飾北斎 | 社長力検定「後継者育成塾」

社長力検定「後継者育成塾」

今、詳細がはっきりしている28万社中約18万社が後継者不在

と回答(帝国データバンク)しています。

後継者が欲しい企業は、先ず当ブログに登録してください。





大いに読書に励み、郷土を愛し、

世界へ羽ばたこう!

   欧米で最も有名な日本人は誰か?オオタニ・

ショーヘイでもなければ、キタノ・タケシで

もない。ナンバーワンは、葛飾北斎(カツシ

カホクサイ)だと言えば、意外だと思う

日本人は多いはずである。世界的な評価を

受けていることを多くの日本人は知らない。

昭和35年(1960)、北斎はウィーンで

開催された世界平和評議会で、「世界文化

三大巨匠」に選ばれた。東西冷戦のさなか

に共産主義陣営の国々で組織された会議で、

ダビンチ、レンブラントらと並び、表彰さ

れている。平成10年(1998)、アメリカ

「ライフ」誌は、「この100年間で最も偉大な

業績を上げた世界の人物100人」に日本人で

唯一北斎を選んでいる。

 北斎は、役者絵、美人画、名所絵,花鳥画、

春画等多岐に渡って浮世絵を描いている。

作品は、挿絵も含め約3万点。弟子の数は、

200人を超え、影響力を示している。日本人

だけでなく、外国人も引き付けた。専属医師とし

て来日したシーボルトは、北斎に日本人男女の

誕生から晩年までの絵図を注文している。

数ある中でも「The Great Wave=GW」

と呼ばれる、大波はモナ・リザに匹敵するほ

ど有名だ。西洋美術では、波だけをテーマ

にする作品はなく、景色を俯瞰するような

絵画しかなかった。ゴッホは、約500枚

の浮世絵を手に入れて研究し、「星月夜」や

「糸杉」にGWの手法を取り入れている。

本作品は、近景と遠景を合わせて描くという

離れ業を行っている。単なる風景画の枠をは

るかに超えた世界的な傑作である。令和2年

(2020)から日本のパスポートに採用され、

北斎の傑作絵画が世界中の人たちの眼に触れる

ことになった。

 GWは、富士山の「不動の存在」をテーマに

しているように思う。右から上がったうねりの

曲線は、波の底から一気に登り、まるで鷲の爪

のように描かれる。波が頂点で砕け落ちる瞬間を

超高速スピードでシャッターを切ったように見せる。

目の前にいるような低い視点で、臨場感を出して

いる。海面は、互い違いの縞模様になっていて、

遠近法によって深さも感じさせる。南北から風が

吹き、大きな円を描く技法は、決して誰も真似

できない。実は、今でいうコンパスを使用して

円を描き、定規で直線を引いていた。「円と直線に

よって、すべて表すことができる」と言葉を遺し

ている。富士山が大自然を見守るどっしりとした姿

にすることができたのは、天賦の才と言える。

「北斎ブルー」は、透明感があり、鮮やかな

極色彩だ。ニューヨークのメトロポリタン

美術館が所蔵する絵画のGWは、今でもブルー

が鮮明に際立っているという。30年かけて完

成させた執念の作品は、現在でも鮮やかな輝

きを放ち続けている。来年(2025年)、

NHK大河放送の蔦屋2代目は、北斎の狂歌本

を出版し、表紙が派手過ぎると幕府からお咎

めを受けた。北斎独自の「ブルー」と思いき

や元祖は、マルチに才能を発揮した平賀源内

である。彼は、本草学(総合的な学問)の探求

から顔料(プルシアンブルー)に辿り着いた。

「西洋婦人図」の襟に鮮やかな「ブルー」を

描いている。

 北斎は、四六時中絵筆を離さずに描き続け、

客が来てもお茶も入れない。時間を惜しみ、

掃除もしないので、散らかし放題のごみ屋敷。

こたつで絵を描き、眠くなったら寝るという

生活の繰り返し。「着た切り雀」で、袖無し

半天には虱が湧く。金には全く無頓着という

「熱中派」芸術家らしい生活振りだった。

世間的な名誉に囚われなかったが、11代

将軍家斉の所望には応じている。鶏の足に

朱を塗り、紙の上を歩かせて、その足跡を

モミジに見立て「竜田川でござる」とモミ

ジの名所に仕立てたという逸話が残る。

骨格を知らなければ、いい絵が描けないと

接骨家に弟子入りし、接骨術を学んだ。

観察眼が傑作を生んだのである。

74歳の時、「富獄三十六景」の奥書

(おくがき)に次のような言葉を残している。

「6歳より物の形状を写すようになり、

50歳で図表が描けるようになった。

70歳までは、取るに足りない腕前だった。

73歳で、草木、獣、虫、魚、などの風雅を悟った。

90歳で奥義を極め、100歳になれば神のよう

な作品を残せる」と一日でも長く生きて、

絵を描きたいという執着を示す。長寿を願い、

中国の医学書を読み、自ら「長寿薬」を調合

している。信州松代藩士にレシピ付きで送って

いるから本格的である。漢方オタクは、

長寿を願った家康同様だ。材料の龍眼肉は、

今でも中国料理のデザートに出されている。

 残念ながら百歳まで生きることができずに

88歳で旅立った。あの世に行ってもきっと

絵筆を離してはいないだろう。