104人の大和魂 No.42 二宮尊徳 | 社長力検定「後継者育成塾」

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No.42 二宮 尊徳 報徳思想

 

 筆者の通った小学校の校庭に二宮尊徳の

銅像があった。それは、少年が薪を背負い

ながら本を読んでいる姿だった。さぞ、

偉大な人物なのだろうと子供心に思った

ものだ。後年、小田原藩大久保分家下

野国桜町等600以上の疲弊した農村を

「再生」させ、多くの農民・殿様を

救った人物だと知る。

 明治政府は、尊徳を「模範人物」

として国定教科書に取り上げた。

上杉鷹山のような大名と異なり、

農民なので庶民になじみやすい。

政府(体制)批判が一切なく、

ただひたすら家中の「再生」に努めた

ので、政府が求める人物像とピタリ

一致したのである。

尊徳は、「積小為大(せきしょういだい)」

という言葉を遺している。現代流に言えば、

「塵も積もれば山となる」という意味になる。

毎日コツコツ積み重ねていけば、やがて大事

がなせるということだ。「書は人を済(すくう)

道と書き載せている。これを心に存しなければ

何の益があろう」と読書に励み、理想を求め

たことが大きい。単なる働き者ではなかった。

 尊徳は、薬代に事欠くような「素(もと)

より、赤貧」(報徳記)農家に育った。祖父

の代には、所有地が二町三反あった。ところが、

父の代に大暴風に襲われ、田圃が土石に埋まり、

農地をすべて失ってしまった。

強い欲を抱き、二宮家再興を目指す。大事を成

す者ほど欲が深く、平凡に生きる者は欲がない。

それを次のように表わしている。「世人皆、聖人

は無欲とおもへども然(しから)、其実は大欲に

して、其大は生大なり、賢人之に次ぎ、君子之に

次ぐ、凡夫の如きは、尤(もっとも)小なる物

なり」(夜話)

尊徳の強欲な「報徳思想」は、2件の「再生」

事業に集約される。最初は、小田原藩家老服部

家の復興である。「食は必ず飯汁に限り、

衣は必ず綿衣に限るべし、必ず無用の事を

好むべからず」と専ら質素倹約ばかりを強い

た印象が強い。けれども、単純に節約させる

のではなく、必ず収入につながるようにしたので、

誰もが尊徳に従った。

ある時、使用人が尊徳に借金を申し出た。

「返す当てはあるのか?」と問うと「ない」

と言う。そこで、薪の焚き方を伝授した。

最初は、鍋炭を落とす。薪を煙が出ないよ

うに鍋の底に当たるように焚けば、薪は燃

え盛る。だから、従来5本必要だった薪

が3本ですむ。節約できた2本を主人に買

ってもらい、給金に上乗せして貰うという

寸法だ。又、女中や下僕が使う髪油を1

級下のものにし、差額を貯金しておいて、

辞める時に「退職金」として渡した。

長く仕事が続けられるように「五常講」

と称して、節約等で貯めたものを使用人

が困った時に借りられるようにした。

五常とは、「仁義礼智信」を指し、人間と

して約束を守り、必ず返済するという

ものだ。これは、小田原藩士も利用した。

働きやすい職場づくりを進め、誤って器物

を壊しても正直に言えば褒め、とがめない

ことにした。

任期5年間で、借金千数百両完済し、

3百両が残る。百両を礼として受け取り、

残り2百両は使用人らに分け与えた。

しかし、家庭を顧みない「単身赴任」

の代償は大きかった。女房とは離縁となり、

一子徳太郎は亡くなった。「新婚の家を空け、

他家の復興に尽くす」ことに女房は、愛想を

つかしたのである。

服部家の女中として奉公していた、ナミ

を実家に連れて帰り再婚。3町8反、小作

米39俵3斗、自作米24俵1斗、350

両を蓄えた典型的な地主になった。凡人ならば、

この辺りが終点になるところである。