西南戦争 | |
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鹿児島暴徒出陣図 月岡芳年画 | |
戦争:士族反乱 | |
年月日:1877年(明治10年) | |
場所:熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県 | |
結果: 日本の勝利 | |
交戦勢力 | |
日本 | 旧薩摩藩士族 |
指導者・指揮官 | |
有栖川宮熾仁親王 | 西郷隆盛 † |
戦力 | |
約70,000 | 約30,000 |
損害 | |
6,400 戦死 | 6,800 戦死 |
西南戦争(せいなんせんそう)、または西南の役
である。明治初期に起こった一連の士族反乱の中
でも最大規模のもので、2016年現在日本国内で
れている。
赤龍丸と弾薬掠奪事件
西郷軍の結成と出発
征討軍派遣
田原坂・吉次峠の戦い
鹿児島方面の戦い
城山・重富・紫原の戦い
。
城山籠城戦
城山籠城戦 | |
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西郷隆盛らが籠城した西郷洞窟(地図) | |
戦争:西南戦争 | |
年月日:1877年9月24日 | |
場所: 日本 鹿児島県鹿児島府下 | |
結果:日本の勝利(西南戦争終結) | |
交戦勢力 | |
日本 東京警視本署 | 旧薩摩藩士族 |
指導者・指揮官 | |
山縣有朋 | 西郷隆盛 桐野利秋など |
戦力 | |
約70,000人 | 約372人 |
損害 | |
‐ | 西郷・桐野を含め全滅 |
9月24日午前4時、官軍砲台からの3発の砲声を合図に官軍の
総攻撃が始まった。このとき西郷・桐野・桂久武・村田新八・
池上・別府晋介・辺見十郎太ら将士40余名は西郷が籠もって
いた洞窟の前に整列し、岩崎口に進撃した。進撃に際して
国分寿介・小倉壮九郎が剣に伏して自刃した。途中、桂久武
が被弾して斃れると、弾丸に斃れる者が続き、島津応吉久能
邸門前で西郷も股と腹に被弾した。西郷は、負傷して駕籠に
乗っていた別府晋介を顧みて「晋どん、晋どん、もう、ここで
よかろう」と言い、将士が跪いて見守る中、跪座し襟を正し、
遙かに東方を拝礼した。遙拝が終わり、切腹の用意が整うと
別府は「ごめんなったもんし(お許しください)」と叫ぶと西郷を
介錯した。その後、別府晋介はその場で切腹した。
西南戦争による官軍死者は6,403人、西郷軍死者は6,765人に
及んだ。この戦争では多数の負傷者を救護するために博愛社
(日本赤十字社の前身)が活躍した。