3人の女性の東北帝大への入学は、広く報道され大きな
反響を呼んだ。新聞各紙には好意的な記事の一方で批
判的な意見も多く載せられ、まだまだ女性の大学進学
が手放しで歓迎される雰囲気ではなかったようだ。
実は女子学生を受け入れた東北大学でも学生たちの
反対運動があった。彼女たちよりも男子学生のほうが
警戒していたのである。
東北帝大の女子学生受け入れは、それ以前から既存
大学の女性への「門戸開放」の可能性を指摘していた
総長澤柳政太郎(1865-1927)が主導したと言われてい
る。しかしその実現にはさらなる背景があった。まず明
治44(1911)年に発足したばかりの東北帝国大学理科
大学は、学生数の確保という問題を抱えていた。そこで
「門戸開放」と称して旧制高校卒業者以外にも特定学校
の卒業者や中等教員免許保有者に入学資格を広げており、
彼女たちの入学はこの「門戸開放」方針の延長でもあった。
一方彼女たちの出身校(日本女子大学校、東京女子高等師
範学校)の側にも思惑があった。3人の女性はいずれも当時
母校で教員等として後進の指導にあたっており、学校側は卒
業後教員として復帰させることを念頭に彼女たちの帝大進学
を熱心に勧めたようだ。3人の東北帝大入学は、彼女たち自身
の向学心もさることながら、関係者のさまざまな思惑が重なっ
た「実験」でもあったのだ。