1945年8月15日・玉音放送「陛下が加筆された部分」 | 社長力検定「後継者育成塾」

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玉音放送(ぎょくいんほ

うそう、ぎょくおんほうそ

う)とは、天皇 の肉声(玉

音)を放送 することをいう。

1945年昭和 20年)8 月15日正午日本標準時 )に、社団

法人日本放送協会 (当時)にてラジオ 放送された、昭和天皇

よる終戦の詔書 大東亜戦 争終結ノ詔書、戦争終結ニ関スル

詔書)の音読 放送を指す。

この放送は、 平洋戦争(大東亜戦争 )における日本の降伏

国民 に伝えるもので、日本ではこの玉音放送のあった8月15日

終戦記念日 と呼ぶ。以後毎年のように祈念式典を行い、正午

黙祷 を行うのが通例となっている。



概要

御署名原本「大東亜戦争終結ノ詔書」
1頁目
1頁目
2・3頁目
2・3頁目 2頁目に補入や、紙を貼って訂正を行った跡が見られる。
4・5頁目
4・5頁目
6・7頁目



録音と放送



放送を即時に広く伝達するため

10キロワットに規制されていた

出力 を60キロワットに増力し、

昼間送電のない地域への特

別送電を行い、さらに短波

より東亜放送 を通じて中国占

領地、満州朝鮮台湾 、南方

諸地域にも放送された。


実際に「玉音放送」を聞いた生存者の証言では、音響設備が


悪く、具体的な内容は分からなかったという。


戦局悪化は、すでに国民大多数の認識であったため、


戦争に負けたという主旨であることは理解できたという。


2度と戦争を起こさない為に「安保法案」を廃案にもっていく


べきだ。

朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現

状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ

時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠

良ナル爾臣民ニ告ク朕ハ帝

國政府ヲシテ米英支蘇四國

ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾

スル旨通告セシメタリ抑ゝ

帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦

共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖

皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々

措カサル所

曩ニ米英二國ニ宣戰セル所

以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東

亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出

テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ

侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志

ニアラス

然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ

朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百

僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶

ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ

拘ラス戰局必スシモ好轉セ

ス世界ノ大勢亦我ニ利アラス

加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆

彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺

傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ル

ヘカラサルニ至ル

而モ尚交戰ヲ繼續セムカ

終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招

來スルノミナラス延テ人

類ノ文明ヲモ破却スヘシ

斯ノ如クムハ朕何ヲ以テ

カ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖

皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是

レ朕カ帝國政府ヲシテ共

同宣言ニ應セシムルニ至

レル所以ナリ

朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ

解放ニ協力セル諸盟邦ニ

對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ

得ス

帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ

職域ニ殉シ非命ニ斃レタル

者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ

五内爲ニ裂ク

且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家

業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至

リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ

惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦

難ハ固ヨリ尋常ニアラス

爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知

ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所

堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍

ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カ

ムト欲ス

朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ

忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信

倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ

若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ

事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠

互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ

誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如

キハ朕最モ之ヲ戒ム

宜シク擧國一家子孫相傳

ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任

重クシテ道遠キヲ念ヒ總力

ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ

篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國

體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進

運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ

爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

御名御璽

昭和二十年八月十四日

内閣総理大臣鈴木貫太郎


Q.天皇陛下が自ら加筆された箇所は、どの部分か?



A.


加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆

彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺

傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ル


残虐な爆弾を使用し、(無辜=無実)な日本人を殺した。


陛下が「米軍」に対し、最大限意思表示をされたのである。