フィリピンでは1986年に新米マルコス政権を倒して就任したアキノ大統領のもとで対米関係が悪化。相互防衛条約は空洞化した。駐留してきた米軍は91年に撤収を決めた。軍事力の空白を突いたのが中国だ。帰属が不明確な南沙、西沙などの島々に次々と部隊を送って実効支配。慌てたフィリピンは米軍呼び戻しに動いたが、米側は「いまさら」と応じなかった。かろうじて2000年に共同軍事演習が復活した。

(日経新聞、揺れる日米安保(下)2009/12/16より要約)

 鳩山首相とオバマ大統領の会談は、「史上最低の日米首脳会談」と評されるほど中身の薄いものだった。しかも首相は「経済は大きなテーマではない」と放言し、普天間基地についての合意を一晩で反故にした。この男に日本の前途を任せられるのか。

大統領専用車が会談の行われる首相官邸に到着したのは、午後6時30分すぎだったが、ここで"事件"が起きた。玄関先で出迎えるはずの鳩山首相の姿がそこになく、大統領は車の中で5分間待たされるはめになったのだ。

「あれは前代未聞。実に破廉恥で常識に欠けます。9月にピッツバーグで行われたG20の夕食会でも、鳩山夫婦はオバマ夫婦を長時間待たせましたが、外交儀礼上失礼な行為です」(外交評論家の小山貴氏)

警察関係者もこう呆れる。「官邸に入る瞬間は、警備計画のなかでも一番綿密に練られている。先導車で日本側の警備の人間が到着し、大統領の車のドアを開き、SPが降りて、大統領が降りるという手順は、秒単位で決められているのです。首相本人の事情でない限り、5分遅れるなんて、絶対にありえない話だ」

オバマ大統領が強い調子で、普天間問題についてこう口火をきった。「基本(辺野古に移設する現行計画)は守るべきだ」これに対して鳩山首相は「早い時期に解決したい」と迅速な解決を約束したという。夕食会のとき、鳩山首相の姿はなかった。前日の夕食会後、APECの開催されるシンガポールへ飛び立っていたいたのである。オバマ大統領を日本に残して...。「オバマ大統領は14日に講演や両殿下との昼食会を控えていたという事情はあるにせよ、置いてけぼりは、やはり異例のこと」(官邸担当記者)

14日にシンガポール入りした鳩山首相は、同行記者団との懇談では、仰天発言が飛び出した。「普天間について会談で"迅速な対応"で合意したにもかかわらず、『年内決着の約束はない』と一転、さらに『日米合意を前提としない』とちゃぶ台をひっくり返した。これには、米国ばかりか民主党内も唖然としています」(全国紙政治部デスク)なぜ首相はブレたのか。


「実は、福島瑞穂から、会談の直前に『社民党として辺野古への移転は絶対認められない。それで日米合意に達した場合は、連立を離脱する』とネジこまれたんです。個人献金問題で足元がグラついている鳩山氏にとって、これは何としても避けたい。そのため、後から撤回したのです。そのため、鳩山首相はオバマより福島を取った」(民主党関係者)

(週刊文春、2009/11/26より要約)

政権交代を成し遂げた総選挙の直後、真っ先に鳩山由紀夫が駆けつけたのは、労組の総本山である連合だった。「民主党に大変大きな力をいただきました。お陰さまで政権交代を果たすことができましたことを、皆様方に心から感謝、お礼申し上げます」(連合中央執行委員会での鳩山由紀夫の挨拶)

選挙で応援してもらうのと、その恩義から鳩山内閣が特定組織の意向に影響されてしまうのとでは、わけが違う。しかし、労組系として鳴らす、例の2閣僚を見ると、その心配は募るばかりなのだ。

(週刊新潮、2009/11/12より要約)

10月22日の昼、官邸内で行われた臨時閣議では、鳩山氏の発案によりサンドイッチが振る舞われた。無論、食しながらの閣議など前代未聞である。


 同日午後4時、「サンドイッチを出してみたんですよ」

政府・民主党首脳会議で、無邪気に自らのアイディアを小沢一郎に披露した鳩山氏。


 だが、「・・・・・・」

小沢氏は、不謹慎とも言える「閣議サンド」話にムスッとしたまま。凍りつく空気。

(週刊新潮、2009/11/5より要約)

 平成4年当時といえば、いわゆるいわゆるバブル事件が相次いで表面化し、世間を騒然とさせた時期である。


 その1つが富士銀行(当時)を舞台にした巨額不正融資事件だった。実に総額7000億円もの金が動き、2600億円が未決済になるという、金融史上でも空前のスケールの詐欺事件である。


 すでにその不正融資先の1社だったリゾート開発会社の社長から、鳩山由紀夫はパーティ券を購入してもらったことが判明していたが、その社長が同年1月に有印私文書偽造、詐欺などの容疑で警視庁に逮捕されると、鳩山由紀夫のスキャンダルはいつしか忘れ去られていった。

  しかし、この元社長が刑期を終えて出所し、鳩山由紀夫と会ったのは、彼がすでに民主党代表の座にあった頃だ。その際、鳩山由紀夫は元社長に、「このたびは1人で(刑務所に)行かせて、申し訳ありませんでした」と言って、深々と頭を下げたという。

 元社長によれば、財界人の紹介で鳩山由紀夫と最初に会ったのは昭和63年、鳩山由紀夫が自民党の公認を得て、初当選したした頃だったという。しかし、当初から2人のつき合いは一方的で、鳩山由紀夫の秘書からパーティ券購入要請は執拗だった。結果的に、元社長は200万円、300万円と数回に分けて合計5千万円の裏金を鳩山由紀夫サイトに渡してきたのだ。

 もちろん、元社長も何の見返りも期待せず、ただ野放図に闇献金をしてきたわけではない。当時、北海道で第三セクターのリゾート施設の開発を手がけていた元社長は、鳩山由紀夫の知名度と、クリーンなイメージに期待していたのである。


 確かに、鳩山家のプリンスがその事業を応援してくれたら鬼に金棒。平成2年、リゾートの地鎮祭に鳩山由紀夫は来賓として出席し、30分近いスピーチはしたものの、それ以上の貢献はしてくれなかったという。


 それどころか、鳩山由紀夫は元社長が手がけるリゾート施設工事の着工前に、みずからが親しくしている地元の建設業者をジョイント・ベンチャーに入れてくれ、と要請してきたというのだ。元社長が怒るのも無理もない。

(新潮45、2009/10より要約)