鳩山幸(みゆき)夫人の前夫は、サンフランシスコ在住の田浦新一朗さん。
田浦さんは1960年、サンフランシスコで姉夫婦が日本料理店[蝶々]を開店する際、料理人として手伝うべく渡米。
「私に幸を紹介したのは、洋菓子店の滝原社長でした。冗談半分で私が誰か嫁を探してくださいよと言っていたら本当に連れてきた。
それが24歳の幸でした。」
結婚直後から、幸夫人は田浦さんとともに[蝶々]で働き始める。当時は料理はだめ。店ではもっぱら客をテーブルに案内する係だった。
そんな結婚生活が3年ほど過ぎた70年、田浦さんは鳩山由紀夫と運命的な出会いをする。
「実は、私に由紀夫くんを紹介したのも滝原さん。たまたま私が日本に帰っていた時、今度アメリカに留学する青年がいるから、アメリカでの生活とか話してやってくれと引き合わされまして。第一印象は、世間知らずのお坊ちゃんという感じ。そのときはシスコにきたら連絡してという程度で、その後、実際にシスコの我が家に来たんです。」
「我が家でご馳走することもありましたし、店にもとにかくよく食べに来てました。でも姉によると、いつもお金は払わない。鳩山家からも、これで食べさせてください、とかお金をもらったことなどありません。彼の世話はだいたい姉夫婦がやってまして、日曜ごとに彼に弁当を作って届けていたほどなんです。」
幸夫人は店でトラブルが続き[蝶々]を辞めさせられる。それからしばらく後、ある事件が勃発する。
「義兄の家のポストに、"弟さんの留守中、男がこっそり出入りしている"と書かれた手紙が入っていたのです。後で知りましたが、それは我が家の目の前に住んでいた邦銀勤務のご主人が書いてくれたものでした。それでも、私はまさか幸が不倫をしているとは思っていなかったし、その相手が由紀夫くんだなどととも、まったく疑っていなかった。だから、幸にも、こうゆう手紙が来たから疑われるようなことはするな、気を付けろ、と言っただけで、追求するようなことも一切しなかったのです。」
しかし、この頃すでに当地の邦人社会では、由紀夫青年と幸夫人の怪しい仲が心配されていたという。そして実際、それから1年もしない間に、第二の事件が起きてしまう。何と、幸夫人が田浦さんの家から出奔してしまったのだ。
「ある日、私が帰宅すると、置手紙だけが残されていまして。その時初めて、ああ、2人はそうだったのかと知りました。義兄はポストの手紙事件後、探偵を使って2人を尾行し、不貞の事実を確認したそうです。結局、幸からはそれっきり、今に至るまで一度も連絡はない。」
結果、田浦さん夫婦は正式に離婚する。幸夫人の母親が突然、田浦さんのもとに現れ、一言、協議離婚したい、と言ったのみ。慰謝料はもちろんのこと、謝罪の言葉すらなかったという。
「私としては、何だかもういいやという気持ちですね。姉夫婦はかなり頭にきてました。そりゃあ、あれだけ由紀夫くんの面倒を見ていたわけですから、裏切られた思いが余計に強かったのでしょう。」
出奔後、幸夫人は由紀夫青年のもとに走り、そのまま同棲。そして2年後、結婚する。
田浦さんの実姉、坂田哲子さんも、憤懣やるかたない思いを吐露する。
「主人が生きていたら、由紀夫が総理、幸がファーストレディと聞いてどれほど憤ったことか。彼は私たちが世話したことを当たり前のように思っている。幸の方は、いつも自分が一番でないと気がすまない性格。2人とも常識がなさすぎます。こんな人たちが庶民の気持ちなど分かるわけがないし、リーダーになるなんて信じられません。」
田浦さんは、政治家の妻となった幸夫人の、ある行状、を当地総領事館の友人から伝え聞き、醜く哀しい思いをしたことがある。
「時期は忘れましたが、幸は一度、1人でシスコに遊びにきたことがあるそうです。その際、シスコの領事館の人に大きな顔をしていたらしい。私は鳩山由紀夫のワイフよ、車でも用意してちようだい、て調子でね。ショックだったね。何でそういう常識に外れたことをするのか。」
(週刊新潮、2009/9/24より要約)