長男3歳 次男りくが1歳のときに

「普通のガキじゃないんだぞ。」 

そう言ったのは、私の父


たしかにそうだ。



保育所時代が

療育期間であった次男と


小学生時代が闘病期間であった長男



「普通」とは、

すこし違っていたかもしれない。



2歳2ヶ月違いの兄弟の

幼児期と学童期


それはつまり、りくが療育を脱したのを見計らったように長男が闘病に入ったということである。


すなわち


彼らが思春期に入る前に差し示した

子育ちコンセプトは



「普通かどうか」

「普通からの隔たりの具合」


いわゆる標準とか

偏差みたいなものを


育ちの途中に

やいのやいのと検討するのは

ナンセンス



だということを


母親にわからせるにあたって

非常に高い教育効果を発揮した


ということなのだと思う。


https://ameblo.jp/199408302020/entry-12866751632.html



 

もし、彼らが彼らのまま
戦中に生きていたら…

知力、学力、進学の機会が
どうであろうとも

長男が招集されることはない。


歴史を紐解けば紐解くほどに、長男が
14歳以降に生存しているという説明をつけることができなくなるからである。

りくはどうか。と考えた時

今現在の彼が
「今、考えていること」さえも
ほとんどわからない母親としては

もしの世界に入っていけない
現実があった。





こういう『もし』を考えるときに
いつも思うことは

私達は、普段「もし」の話に
時間を割くことがあまりないということである。
 
というよりも、もしかしたら


母親である私が
「もし〇〇だったら」と
彼らに問いかけたことがない
のかもしれない。



ではなぜ、私は彼らに

問いかけることができなかったのか。




たしかにそうだ。

私は、仮定を

真剣に受け止めることができず

分類することができない。


それでも


抽象概念を扱うことは、

多少はできる


とはいいながら






こういう話は、ほとんどしない。








さらに


こんな話は 絶対にしない





かつ、

こういう話は、とりあえず聞き流し









以下に至っては


昨年12月中旬、東京で「お金の価値観」をテーマにした婚活イベントが開かれた。〇〇証券の主催で、結婚の重要な決め手となる金銭感覚について気軽に話題にできるよう、合間にクイズも取り入れられた。


「デートをするなら高級レストランでディナー?それとも居酒屋でしっぽりと?」


司会者が問いかけると、 

参加した男女約40人が


一斉に選択肢を書いた札を掲げた。






だが、しかし 
そんな私も


これはわかる。





つまるところ女性は、【もてる男性】が好きなのだ。もてるための理由は何でもよい。


それはなぜか。



【もてる息子】を生むことが子孫繁栄のための条件となるからである。






 男は女の最初の男になりたがる

 女は男の最後の女になりたがる

 

というわけだ。



みちのくひとり旅・山本譲二(市場馨作詞)(1980.8)

のサビで、



 

お前は俺には最後の女

 俺にはお前が最後の女





と【最後の女】を4回叫ぶ。


イケメンにこれを言われると女性はぐっとくるわけだ。








【最初の女】に

置き換えたら成立しない。