「リーダーには、リーダーの考え方があって、長男くんには長男くんの考え方があるってことだよね。」


「うまく、やりとりができなかったってことね」


そういう話なんかね?


そのときに

社会とか仕事って

大人にとって、何なんだろうなぁって思ったんだよね。




小学2年生の頃から

入退院を繰り返していた長男は、


高学年になると




 

おばあちゃんが帰る お母さんが帰る

「ぼくもかえる!」

「僕も一緒に!」

「帰りたい!」



その子がそう言う

そのときに


驚いたように長男は言う。


まじ?いま?かえんの?

マジかぁ〜…あと10分で

ラーメンだぞ。

まじで?
ほんとに?

食わんの? 
ラーメン
なのに??


「ぼくもかえる!」
「僕も一緒に!」
「帰りたい!」

その子が
そう言うそのときに
残念そうに長男は言う。

まじ?
いま?
かえんの?


そのあとなぁ、
今日は
まじおもろいなんとか
忘れたけど
なにかのアニメ映画
だったと思う 

見るけど、帰んの?


入院病棟新参者の
3歳児を手懐け


中学生になった頃には







私の友人、今は亡きちほちゃんの
買い物ヘルパーとして活躍していた。

そういう半生を送ってきた
彼であるから


 

病気やけがをし、

生活を重ねながら、誰しも

その人生の何処かで

ストレスや不安をもたない筈はない。



その想いに触れながら

聴くことを意識しなければ、

その関わりは

「救ってあげよう」とする

自己満足にほかならない。




こういうことを、幼い頃から
双方の立場で
体現してきたのではないかと、

私は思った。




体調を崩した人に寄り添うことは
人類社会に共通した優先順位の高い事柄であると、思い込んでいたのかもしれない。


「だれかに関係ないこと」だとは思わなかったし

「それぞれの考え方がある」とも思っていなかったのではないだろうか。



「俺の言い方が悪かったのかも知らんけど。。。」長男がそう言ったから、私は聞いた。

「なんて、言ったの?」

すると

「報告のときに、客入りの話をしてから
体調不良のお客様が1名いらして。。って話して。

それでその人が『働いている人たちが忙しいのはわかるけど』『しかたがないことだけど』って、しきりに言いながら、『こういう立場になるとつらさがわかるね』って話してたから『せめてあとどのくらい待てばいいとか、見通しがあったらいいと思った』って話した」と答えたので、

「それで、ほんとうに、
『おまえには、関係ない』ってそういう言葉で、その社員さんは言ったの?」と改めて問うたら

「言ったよ。
それは、そのまま一言一句」ときっぱり答えて

「3回くらい、言っていた。」と思い出したように

「『それが、おまえになんの関係あんのよ』とか、『おまえの仕事に関係ないだろ』とか、そんな感じで。言い直しながら。亅
と答えた。


腑に落ちなかったその出来事を、友人たちに話したら

「当たりが悪かったね」
「他のチームだったら、そんなことはなかったはずだよ」
と言っていたが

「それぞれの考え方がある」

「やりとりが、うまくいかなかったって話よね」


そう言っていた
女性のことも忘れられずに
2年がたった。



コロナ禍の就職活動時期を迎えた
長男に、ある先輩は


先輩のノート

長男君へ



自分の人間としての値打ちに本当の自信をもっている人だったら、環境や境遇がどうあっても、落ち着いていられるはずなんだ。


自分のおかれたところで、自分と人を比較して引け目を感じているうちは、まだまだ人間としてダメなんだ。



だから、自分自身にむかっては、それだけの心構えを持っていなければならないにしろ、


かといって、引け目を感じたり傷つきやすい人の心をかえりみないでいいとはいえないし、


「境遇に負けるな」と言う資格は、我々誰にもないのだよ。

 


自分よりも厳しい境遇にある人たちを見下げる心持ちなんか、今の君にはさらさらないことを、僕は知っている。


しかし、その心持ちを大人になっても持ち続けることが、どんなに大切なことであるか、君はまだわかっていない。


このことは、君が世の中のことを、正しく知るほどに、ますます大切になってくることなんだ。


なぜなら、世間には

僕たちよりも、ずっと厳しい境遇に生きている人がたくさんいて


それが、「社会の課題だから」なのだよ。


こういうふうな

「社会の課題」の話をして


また、ある友人は


「うちの親の知人に会ってみないか?」と言って


「親におまえの話をしたらさ、

ある会社の社長が、おまえに会いたいって言っているらしくて。勧誘とかじゃなくてね」


「働くってことは

おもしろいものなんだってことを、


絶対に


おまえに『わからせる自信がある』って言っているらしいんだ。」


と言ったのだそうだ。



「働くということは

おもしろいこと」


それをわからせる自信があった

社長は



「今年の正月は

君が就職してから、最初の正月。」

「実家で過ごしなさい。」

と長男に言って







長男は



「柿の葉寿司」を「ご家族みなさまでどうぞ、ということで。」と


私達家族に、差し出したのである。





「柿の葉寿司」は、塩で締めたサバを酢飯と一緒に柿の葉で包んだ押し寿司のことである。

「柿の葉寿司」の由来については諸説ある。

江戸時代の中頃、高い年貢を課せられていた紀州(和歌山県)の漁師が、

お金を捻出するため、

熊野灘で取れた夏サバを塩で締め、峠を越えて吉野川沿いの村へ売りに出かけた。

ちょうどその頃、村々の夏祭りがおこなわれており、お祭りのごちそうとなったとの説や、他にも、保存食・兵食としていたものから変化したとの説がある。