「リーダーには、リーダーの考え方があって、長男くんには長男くんの考え方があるってことだよね。」
「うまく、やりとりができなかったってことね」
そういう話なんかね?
そのときに
社会とか仕事って
大人にとって、何なんだろうなぁって思ったんだよね。
小学2年生の頃から
入退院を繰り返していた長男は、
高学年になると
おばあちゃんが帰る お母さんが帰る
「ぼくもかえる!」
「僕も一緒に!」
「帰りたい!」
その子がそう言う
そのときに
驚いたように長男は言う。
まじ?いま?かえんの?
マジかぁ〜…あと10分で
ラーメンだぞ。
中学生になった頃には
病気やけがをし、
生活を重ねながら、誰しも
その人生の何処かで
ストレスや不安をもたない筈はない。
その想いに触れながら
聴くことを意識しなければ、
その関わりは
「救ってあげよう」とする
自己満足にほかならない。
「それぞれの考え方がある」
「やりとりが、うまくいかなかったって話よね」
先輩のノート
長男君へ
自分の人間としての値打ちに本当の自信をもっている人だったら、環境や境遇がどうあっても、落ち着いていられるはずなんだ。
自分のおかれたところで、自分と人を比較して引け目を感じているうちは、まだまだ人間としてダメなんだ。
だから、自分自身にむかっては、それだけの心構えを持っていなければならないにしろ、
かといって、引け目を感じたり傷つきやすい人の心をかえりみないでいいとはいえないし、
「境遇に負けるな」と言う資格は、我々誰にもないのだよ。
自分よりも厳しい境遇にある人たちを見下げる心持ちなんか、今の君にはさらさらないことを、僕は知っている。
しかし、その心持ちを大人になっても持ち続けることが、どんなに大切なことであるか、君はまだわかっていない。
このことは、君が世の中のことを、正しく知るほどに、ますます大切になってくることなんだ。
なぜなら、世間には
僕たちよりも、ずっと厳しい境遇に生きている人がたくさんいて
それが、「社会の課題だから」なのだよ。
こういうふうな
「社会の課題」の話をして
また、ある友人は
「うちの親の知人に会ってみないか?」と言って
「親におまえの話をしたらさ、
ある会社の社長が、おまえに会いたいって言っているらしくて。勧誘とかじゃなくてね」
「働くってことは
おもしろいものなんだってことを、
絶対に
おまえに『わからせる自信がある』って言っているらしいんだ。」
「働くということは
おもしろいこと」
それをわからせる自信があった
社長は
「今年の正月は
君が就職してから、最初の正月。」
「実家で過ごしなさい。」
と長男に言って
長男は
「柿の葉寿司」を「ご家族みなさまでどうぞ、ということで。」と
私達家族に、差し出したのである。