現代日本を蝕むさまざまな問題は、突き詰めれば私たちの「仕事」観に由来している。



高度資本主義下での摩耗を避けたければ、会社のなかの「組織人」として生きるだけでは十分でない。


私たちは同時に、社会のなかの「職業人」としても生きなければならないのだ——。





褒めるならば、天真爛漫 

無難に言えば、破天荒

こきおろすなら、ろくでなし



そんな、魅力ある長男は

18歳まで母親に溺愛されたあと


大学進学を機に

海の向こうに飛び立った。



魅力とは

信頼と愛情に起因する錯覚




あれから5年

大人への急階段を

数段飛ばしで駆け上がり


昨年春 就職した。




「年末年始は、職場の待機メンバーに入りたい。」


「子どものいる先輩方は、待機番じゃないほうがいいと思うから亅



そんな話も出ていたけれど

帰省を促されたという。


「今年の正月は、君が就職してから、最初の正月。」


「実家で過ごしなさい。」


社長からの、直々の

お言葉なのだと言う。


子どもの「就職」はたしかに

家族という集団の、変化の局面である。



社会人初の年末は


「柿の葉寿司」を差し出して、

「社長から、ご家族みなさまでどうぞ、ということで。」と言った。


このあと、長男は私達にお年玉をくれるのであるが、さらに遡れば



おにぃちゃん高校生

18歳


学校に内緒で

居酒屋🏮バイト 3年目


高校生アルバイターのなかでは

ベテランの域

                に入るのだろう



12月☃️🎅🎍

コロナ禍前

居酒屋はとても忙しい


受験直前ではあったが

良くしてくれた店長からの

直々の依頼に断りきれず


バイト先に向かった

今日は、ホール担当


賑やか

お客様の宴✨🍻🎶


楽しそうな笑い声



             ひっきりなしの

                       呼び出しベル



「焼き鳥まだ来ないけど」


     「刺身の

盛り合わせは?」



受験生までも

呼び出すほどの人手不足



        キッチン業務も

         追い付いていないらしい



「お待たせしております」

「ただいま 確認して参ります」

「少々 お待ちくださいませ」


この3つのセリフで

お待ちいただけるものと、

そう思っていた。


早歩きで  向かった先は

女性客 数名

      推定年齢アラサー


               

「○○が、

    まだ こないんだけど…」

    


「お待たせしております」

「ただいま 確認して参ります」



確認するじゃ

            ねぇだろ?


高校3年生

  受験勉強 真っ最中

     このシーンへの対応は

               まだ   学んでいない

      

        落ち着け  俺


冷静に穏やかに

      いつもどおりに…



「少々

 お待ちくださいませ」


お待ちください

じゃねぇよ



今すぐ

お持ち致しますだろ?


さんざん待ったから

   呼んでんだよ!!




コロナ禍前

大学生の高収入のバイトとは?



みんな親にとめられて、

結局俺しかいないから


たった一人で デビュー戦



世界に発信していたらしい

長男のtwitter

 

やめさせなくていいの?

圭太くんのお母さんが

そう言った。


自立に向かう道の途中の 大学生のアルバイト

親たちは、みな心配症

 


こぞって止めることもある。



高待遇 高収入

未経験者・学生歓迎 

昇給 独立支援あり



キャバクラ黒服

ホールスタッフ



私が、本当は

知っていたこと。

長男は気づいているのか、いないのか。



どこに転職したって、

親は気づかんて??


言われてみれば

たしかに、そうやな。

だけど、そういうもんかね?



信じるものへの気づかぬふり

探り合いでも嘘でもないし 

無関係でも無関心でもない。




高校、大学時代を通して

長期・短期の

さまざまなアルバイトを経験した長男





思いおこせば、




学校祭の屋台のために


老舗の焼き鳥屋に

弟子入りしたのは高校3年生だった。




長男がなにか話せば

それは結構おもしろいし


長男が話さなくても

周りから聞くその振る舞いは、結構おもしろいことが多かった。


けれども、



たしか

大学4年生になった頃に



大学1年生のときのことを

ポツポツと話しだしたことがあった。



炎天下の屋外で行われたあるイベントで、整理係を担当していた長男は


その長い列の途中に、うずくまる高齢の男性を見つけた。


声をかけたら反応があり

手を貸せば歩けると言った。


一緒に救護室まで移動したが、そこには誰もいなかった。


とりあえずそこにあったパイプ椅子に座ってもらい、自販機で購入したポカリスエットを渡してから


人を呼びに行った。


主催企業のスタッフを見つけたので、その旨を説明したら、「今は手が空いていない」と言って、他のスタッフを当たるよう指示を受けた。


しばらく徘徊し、やっとみつけた「他の」スタッフに声をかけたら、「救護担当は別にいるはずだ」と言われた。


探し回っている間に、体調が悪化してしまうのではと懸念し一度救護室に戻ったら「体は辛いが待てる」と言って、長男の労をねぎらってくれた。


いつ来るかもわからない「幻の救護係」を一人で待つよりも、と考え


いつかは来るはずの「現実の救護係」を二人で待つことにした。


その男性は、少しずつ水を口に含みながら「体調が悪いなかで、人を待つというのは不安なものだね」と話しはじめ、少しずつ活気を取り戻しながら


「自分も現役時代は、もしかしたらそうだったのかもしれない」というようなことを言った。


こういう場所では、主催者に対して

お金を支払う人がメインの客で


その対応をするのが「仕事」というものなのだと。


長男は、そのときの話をしながら

以下の記事と似たようなことを言った。





こちらの過去記事は
20代前半女性が
就職してまもなくの頃に
書いたレポートの一部抜粋である。



 
その女性は、「誰だって忙しいし、一人の人間だから、ときには他人につらくあたってしまうことだってあるわよね。」と話しながら、

私に「それでもあなたには、思いやりを持って人と接することができる人を目指してほしい。」と言った。


このとき、私が強く感じたことは

自立を目指す私たちはやって当たり前のことを、ともすれば「やってあげている」という感覚に陥りやすい。ということである。

 私たちは、日々の生活の中で、相手の気持ちを考えたり、思いやりながら周囲の人と良好な関係を築き深められるように努めている。 

 それは、「常識」として、このようなことをされたり、言われたら嫌な気持ちになるだろうとか、

 

相手の尊厳、個性や価値観を尊重しながら、このように返答しようとか、こうアドバイスしようといったようなことを、常日頃から頭の中で考えているということである。


助けてもらったときには感謝の気持ちを伝え、迷惑をかけてしまったら謝罪をする。


そういう事も含めて、これらは常識と言われ、社会人として当たり前のことである。



しかし、生産年齢に入り自立したひとりの大人になったという奢りが、人間同士の基本的な関わりにおける大切なものを怠ってしまうということも起こりうるのではないか。



こちら側の何気ない反応や言葉は、相手を傷つけているかもしれないし、勇気づけているかもしれない。

 


他人同士である以上、相手が相手の心でどう感じているかは決してわからないことである反面、同じ人間であることをふまえれば、こちら側が予想して考えていくことはできる。


一人の人間として相手に思いやりをもちながら関わることは、



どんなときにも、私達が忘れてはならない大切なことなのである。


「話し相手」を探している人は、たくさんいる。



だから彼らは、私達のような未熟な若者を受け入れる。


そして、長い人生で得た貴重な話を聞かせてくれるのだ。



歳を重ね、病気やけがをし、

生活を重ねながら、誰しも

その人生の何処かで

ストレスや不安をもたない筈はない。


仕事は、家庭は、お金は。


話し相手がいない、それは人を塞ぎ込ませる。


話を聞くということは、

寄り添うということである。



ただ、話を聞いてあげるのではなく

その想いに触れながら聴くことを意識しなければ、その関わりは「救ってあげよう」とする自己満足にほかならない。


だから、大人になったからこそ「謙虚な姿勢」が必要だと言われるのだと思う。



挨拶やコミュニケーション

感謝や謙虚、謝罪


人として当たり前の

「常識」のように語ら

教えられてきたこれらを


社会の中で実践し続けるのは非常に難しいのだと、今私は身を持ってそう感じていて「人間同士」思いやりの間で人が行き来できるような、そんな社会を創るひとりになりたいと思うのである。

まぁ、こんなにまとまった話では

なかったのだけれど、


長男がそういう話を

私にしたかったのは


就職活動をしながら、迷いがあったということなのだろうと思った。



そのイベント会場の救護室で

体調を取り戻した高齢男性が立ち去っていく時に、言い残した言葉を長男はよく覚えていて



「このことを、みんなで共有してほしいって言われたような気がした」のだそうだ。


だから


主催者側の大人に、その出来事を話すことにした。


「俺の言い方も良くなかっただろうと思うけど」


前置きをしてから

長男は私に言った。


チームリーダーに

「お前に関係ないやろ」って、言われたんだ。


つまりさ

「お前の仕事、それじゃねぇだろ」ってこと。


「お前が俺に報告するのは

今日の客入りがどうだったか、ってことだけでいいんだよ。」


そうなんだ、って思ったけど

なんか、しっくりこなくてさ。


あの高齢男性が話してくれたことって、そんなことだったのかなって。


そう思ったから


そのあと、サブリーダーだった女の人にも話してみたんだ。


そしたら


「リーダーには、リーダーの考え方があって、長男くんには長男くんの考え方があるってことだよね。」って。


「うまく、やりとりができなかったってことね」って。


そういう話なんかね?って


そのときに

社会とか仕事って

大人にとって、何なんだろうなぁって思ったんだよね。