「言った

じゃないですか!」

と声を荒げ


「結婚だとか子どもの話をしたあとに

『あなたは独身なの?』って。

言いましたよね?」


凄んだ

聞かれたので



「言いましたね」と普通に答えたら




「だから、

『いい人がいれば結婚しますよ』って言ったんです!


他にどう答えれば

良かったんですか?」



と、聞かれた。







他にどう答えれば

良かったのか…


それは




彼に向けられた

「あなたは独身なの?」という


質問の答えが

赤の他人である私にぶつけるほどの  

難問だったということなのだろうか。。。





「独身なんですよ」でいいんじゃないかなぁと、思ったけれども


XYにとってそれが

赤の他人に聞きたいほどの

難問であるとするなら、そのわけは



XY自身が探し求めている『答え』や

XYが私に期待している『答え』が

「そうではないから」なのではないかと


私はXYの胸中を推し量りながら、


そこに

XYが「男性」にあらず

XYでしかあることのできない根源が隠されているのかもしれない。


そんなことを秘密裏に考えて



非神秘的で

とりたてて興味をそそられない


どうでもいい謎に迫るべく

問いなおしてみることにした。


「なぜ、

そう答えたんですか?」


すると


「『独身のままでいい』

なんて言ったら、また


なにを言われるか

わからない 

じゃないですか!」


と、予想を斜めに超えた

つまらない答えが返ってきたので


「なにを言われると思ったんですか?」と、とりあえず聞いてみたら


なんと


「わかる

じゃないですか!」



さらに声と態度を大にして言ったが

それでも私にはわからなかったので


黙っていたら 


「わかるじゃないですか!」

「わかるじゃないですか!」


と何度も繰り返すので


「あなたは、わかるんですか?」と聞くしかないので聞いたら


「わかりますよ!」と言って


「僕やまこさんは、

わかる

じゃないですか!」



と、執拗に食い下がった。


ぼくとまこさん



ただ数回会ったことがあるだけの

仕事つながりでしかない

私達2人の


共通点とはなにか。



実に曖昧なそれは、かなり今は

どうでもいいのではないかと思ったので


「私は、わかりませんよ」と、ただ

正直に答えたら


「わかるじゃないですか!

若い頃よりは、わかるじゃないですか!」

 

と、さらに詰め寄られたというのか

とにかく興奮するので


「若い頃よりも、わかるようになったことが、ある、と言いたいんですか?」と聞いたら


「若い子たちより、わかりますよね?人の言いたいことが、わかりますよね?」

と言いながら、




↑こういうタイプの(ここまでの症状はないが)若い男女の名前を数名あげた。



 
自分のほうを見ていない人に、声をかけて振り向かせ手を止めてもらって、なにかを伝えるという場面が極端に苦手であることがわかった。

額にかいた多量の汗を

震える手で拭いながら

震える声で話しかける。



「いま、(声をかけても)大丈夫ですか?」

その、ただならぬ様子に



ワレワレは👽🛸

「私達は大丈夫だけど

あなたは、大丈夫??」

と応じることも多かった。



「他人の言いたいことがわかりますよね?若い人たちよりは!」


「こういう若い人たちよりは、わかるじゃないですか!」


「だから、そういう人に声をかけたり、話をふってあげたり、こういうことが言いたいの?って手伝ってあげたりしますね?」


と立て続けに喚くので


「私は、わかりませんよ。」と普通に答えたが、それでも


「若い人よりは

わかるじゃないですか!」とまた

繰り返した。


繰り返す言葉には

キーが隠されていることもあるし

罠が隠されていることもある。


いずれにしても

ウソをついても碌なことがないので


私は、

さらに正直に話すことにした。



「言葉に出さない人の言いたいことがわかると思ったことはありませんし、言葉に出せる人の心の内までもがわかると思ったこともありません。」


「だから、聞こうとするんです。

わからないから、聞くんですよ。」


「人の話に、耳を傾けるんです。」

「わからないから。」 

と言ったら



考え込む様子で黙って下を向いたXYは

まもなく顔を上げて


「『わかった』ときにこそ、慎重に言葉を発したほうがいい。ということ…なんですかね?」と


少し勢いを衰退させながら

また、私に聞いたので


「あのとき発した言葉が良くなかったなと、今は思うんですか?」と聞き返したら


「言葉は、ね。良くなかったとは思いますよ。あの場で


『説教』と言ったことについては

ですよ」  


と下線部分をゆっくりと強調した。
















真実を話すということは、人々がふつうに考えているよりもずっと困難なことだ。


まず、単純観察の不足があり、さらに複合観察、すなわち想像力を組み入れた観察の不足もある。



両者とも同じように真実を伝えるつもりなのだろう。   


最初の人は、彼の目の前にたぶん何年間もあった物について問われた質問に、非常に不完全な情報を与えるか、あるいは自分は知らないと答える。すなわち、彼は観察したことがなかったのだ。そして人々は彼を単に間抜けだと思う。 


しかし、二番目の人もほとんど観察はしていない。想像力がただちに入り込んできて、すべてのことを想像力からだけ説明し、その間、彼はそれを見たか聞いたかしたものと完全に思い込んでいる。


彼はある会話を 

あたかも彼に向けて

言われた情報であるかのように

全部くり返すであろうが、


それは彼自身が

誰かほかの人に言ったことに 

すぎないのだ。


これが最もふつうである。


この人たちは自分たちが観察していなかったということに気づいてさえいないし、自分たちが忘れてしまったということを思い出しもしない。


裁判所は、誰でもその意思さえあれば


“すべての真実、そして真実のみ”を話すことができると考えているようである。


“すべての真実” を話し“真実のみ”を言うためには、


観察と記憶を組み合わせたいくつもの能力が必要である。 


「あたしゃ、ちょっとした嘘なぞいくらでも言うさ、だけど


それが嘘だってことは、人から言われるまでぜんぜん知らなかったんだからね、ほんとだよ、おじょうさん」と現に言った人がいた。