「結局、子どもは 離れていくものなんですよね」と明後日の風を吹かせる、性染色体XYの35年の人生になど


興味もなかったはずであろうが


あやしてあげようと

思ったのだろうか。


「あなたは、独身なの?」と

仕方なく話を向けてくれた女性を前に


「あぁ〜言われちゃったぁ。」 とでも言いたげな表情をわざわざ作り、戯けた風にのけぞってから


車椅子の彼女の顔を

覗き込むように腰をかがめて

こう言った。


「ぼくだってねぇ

〇〇さんみたいな

いい人がいれば、


そりゃあ

結婚しますよ。」



身長180センチ

推定体重3桁前後の性染色体XYが


わざわざ腰をかがめてくれた

ということは


物理的には私でも、その

顔面を蹴り飛ばす

ことができる。


という状況だと思ったけれど



90年を生き抜こうとしている

当事者である


この女性社長は

どんな思いでいるのだろう。





XYがイマココにある所以は

私達の存在史とはなんの因果もないが


XYが今ここにいる所以は

私がここに連れてきたからに

他ならない。


彼女が生を受けて90年 

妻として

母として

社長として


その存在史を前にして


「ぼくだってねぇ〇〇さんみたいな

いい人がいれば

そりゃあ結婚しますよ。」



この発信に

込められているものは何なのか。


age35ヒト性染色体XY


私の瞳には


こういうヒト種に特異・特有の

奇怪な微笑が浮かんでいるように

映ったが


私自身の水晶体に、

濁りがあるのだろうか。



許しと教えを請う心情

女性社長に視線をうつした私の瞳を

見つめ返した眼差しに


「あなたが、なにかお言いなさいよ」


そんな光が

放たれているようにみえたのは、


願望の投影というもの

なのかもしれないが



背中を押してもらったように

私は、XYにこう言った。


「いい人という性質は

他人に求めるものではないよ。


そうありたいという意志によって、創られていくものだから。」




女性が黙ったまま数回頷くのを

見たのか見なかったのか。


XYがこう言った。




「あ~ぁ〜

今度は

説教かよ〜」



私にはXYの心の内が

わからなかったということであり


わかったつもりの上司の進言も





 

女性上司が、「彼をとりあえずは、一旦まこさんに預ける」というようなことを言った意味がわかってきたのと同時に


男性上司が「うまく付き合おうとかこちらから関係を築く努力はしないでください。彼の課題は彼が気づくしかないんです。わたしも、友達にはなれませんから。」と笑顔全開で言ったことの意味にも気がついた。


「全くわかっていなかった」

ということである。





『こころ』は読まない
 


「心」の代わりに僕がよく使うのは、「意識」という言葉です。

「心」は「情(こころ)」と書くこともありますよね。

 日常の細かい気持ちの動きまでを含んでいるので、「心」という言葉を自分の考えの中に入れようとすると、本当にとりとめがなくなってしまう。

だから、僕は、漱石はわりあい好きでよく読むんですが、『こころ』だけは読まない(笑)。読んだことはあるけど、読み返す気がしないんです。 

 「心」とは何か、やっぱり僕には分からない。

 確か心理学者のヴィラヤヌル・ラマチャンドランが、心の機能を20以上に分類していましたね。そのくらい分ければ分かるだろうと。

でも
部分が分かったら
全体が分かるかというと

たぶん逆で

部分が分かるほど
全体は分からなくなる。

ものを顕微鏡で100倍にして見たら、見たいものは拡大されて、よく見えるんだけど、

見ている対象が置かれている環境も100倍に拡大するわけです。

それと同じです。 

相手の気持ちについて、僕はある時から考えないことにしたような気がします。

分からなくていいし、分かるわけがないだろうと。 

 人の気持ちなんか分かるわけがないと、決めちゃえば楽になりますよ。

 

僕は中高時代、とにかく挨拶ができなかった  


僕は中学、高校時代はとにかく挨拶ができなかった。母によく「なんでそんな簡単なことができないの」と言われていました。 

その原因を探ると、
父親が死ぬ時の臨終の場に
行き当たりました。

4歳だった僕に
親戚の誰かが

「お父さんに
さよならって言いなさい」
と言ったんです。

言葉が出なくてつかえたまま、じっと父の顔を見ていたら、そこでニコッと父が笑って、喀血して、亡くなりました。

その後、大人になったある時、俺が挨拶できなかったのは、父の臨終の場と関係があるんじゃないかと思った。 

そう思った瞬間に今、自分の中の父が死んだという気がして涙が出てきた。

つまり、昔の僕は父に
「さよなら」と言えなかったことを
チャンスと捉えた。

自分が「さよなら」という挨拶を言わなければ、自分の中では父は死なない。

そう無意識に思って
挨拶をしないことで
父親の延命措置をしていた
ようなんです。

精神科の同級生から、「生きた精神分析を初めて聞いた」と言われましたが、

やっぱりこれは、「心」の話ですね。