先生は、いつにない硬い表情で
りくが家庭学習ノートを提出しないことを話した。

「ときどきサボり始めたと思っていたら、ここ最近は連日して提出していない。」
そういう話だった。

小学生のみなさんは、このブログを絶対に読んでいないから

子育てを終えた
おばあちゃん目線になりがちな私の

今の気持ちを
率直に書かせてもらえば

「定期面談や家庭訪問の時期は、
いろいろと気をつけて。
お母さんにバレちゃうからね。」



チューリップ紫チューリップピンクチューリップオレンジチューリップ黄チューリップ赤

私は、息子たちが在校している学校の行事をいつからか、ホームページで確認するようになっていた。




大学受験のとき
海を隔てた国立大学二次試験に
「一人で行く」とあっさり言ったか、言わないか。

さっぱりきっぱりと当然のように 
一人で行った。

当時の私は
「兄が一人で行ったことを知っているりくが、兄がすでに住んでいる土地に自分一人で行くことくらいは容易いと感じているのだろう」

と思い込んでいた。

けれど

最近りくから
「にぃちゃんの時は、どうやって受験に行ったの?」と聞かれた。

「お母さんは一緒に行っていないから、よくわからない」と答えたら

「そうだったんだ。にぃちゃんも一人で行ったんだね」と言った。

そのときに

長男の受験期の行動がどうだったのかということを、りくは全く意識(記憶)していなかったことがわかった。


男子兄弟とはそういうものなのか。
母親と息子とはこういうものなのか。

わからないけど
私達3人の中には、そういうことが時々あった。


 

「明日のりくの卒業式は、
何時からなの?」 


ニ次試験から無事に帰ってきたりくに聞いたら


「それはわからないなぁ。」と答えたので


 「朝は何時に家を出るの?」  と聞いたら


「たぶん、いつもどおり。」と言った。


りくの受験中に下調べをしておいた私が


「ねぇ…


この紙もらってない?
くみちゃんのお母さんが LINEで
送ってくれたの。」  と、見せたら


あ…あったかも。という反応で

でももう、見たならいいよね。
探さなくても。というふうに


食事をとりはじめた。

これは、二次試験を終えて帰宅した夜、翌々日に卒業式を控えた日のブログ記事である。


りくというのは

こういう人間なのである。



ただ、それだけが事実である。

そこに解釈はつけられない。

たとえ 親であっても

むしろ 親だからこそ





りくは、今も連絡不精だし私はそれに慣れているから

りくの祖母である私の母に
私が促されて
なんらかのアクションをしなければ

「X日頃帰省するね。」
と数週間前にラインがきたあと

X日頃のある日に「ただいまぁ」と帰省するようなことが起こっても、なんら不思議はない。

が、

もしかしたら
そういう人のことを、世間では「不思議ちゃん」というのかもしれない。




小学校の面談で
その若い女性教諭から
いつもの可愛らしい優しい笑顔が
消えていた。

 そして

「家庭学習ノートを提出しない」と言ったあと

「自分は(勉強が)できるから、やらなくていいとでも思ってるんですかね?」

と、言った。   

私は
『それは、わからないなぁ。私はりくじゃないからなぁ』と心でつぶやきつつ


クラスのルールを守らないのは
『よくはないこと』と評価した。



家に帰ってから、りくに
「りくのクラスでは、毎日家庭学習ノートを先生に提出することになっているの?」と聞いたら、うなずいたので

母親らしく

「ルールは
守ったほうがいい」
みたいなことを言ったが


ブルーハーツは 



地球は何人乗りだっけ  

定員オーバーだったら ブー  

まあ まあ

まだまだ行けるぜ


ルール破っても 
マナーは守るぜ 


まだまだ行けるぜ


と言っている。

 
ごく最近たまたまりくが
「俺、母さんに勉強しなさいって言われた記憶がないんだよなぁ」と言ったので、
そういう風には言っていないという記憶は合っているのだと思う。

ただ、セピア色の「家庭学習しない事件」をりくが今尚覚えているかどうかはわからないし、わりと適当な説諭のあとに

行動変容したのかどうかも
未確認である。


そんなことよりも、私は

若い女性教諭から笑顔を奪った

恐るべし小学5年生男児に関する

その面談から、数日たった頃


私が姉にその話をしたときに

姉が言ったことを覚えている。



姉は

「そんなの、りくがかわいそう。」と言った。  


「小学生が家庭学習をしていかないくらいのことで、そこまで言われなきゃいけないようなことではないよ。」



「『自分が勉強できるから、やらなくてもいいと思ってる』って、なんかすんごい嫌な奴みたいじゃない?」


「そんなこと、先生が言ったってりくが知ったら傷つくよ」




「ただ、面倒だっただけなのに。

うちの娘みたいな子だったら『みんなやってるよ。〇〇ちゃんも頑張ろうね』っていうだけのことだよ。


ただ勉強ができるってだけで

まだ、小学生なのに  


そんな些細なことで

いちいち人間性まで疑われるの??




姉が言ったことをよく覚えているのは、それがたしかに的を射ていると思ったからである。 


だから、私はりくに 

「どうしてしないの?」

「家庭学習なんてしなくても、自分は人より勉強ができるからしなくてもいいと思ってるの?」と聞けなかったのだ。





姉は、普段のその先生を知らない。


だから私経由で先生の言葉を聞いて

「子どもの人格を否定する先生」と捉えた。




『長男と先生』については、これまで私はよくブログに書いた。


あの頃、 あの先生について

書こうと思いつかなければ


おそらく、私のブログは 

今頃はとうにネタがつきて

閉鎖している。




それに比して『りくと先生』のことは、これまであまり触れていない。



ここは、SNSの世界だからである。


感謝

挨拶

常識

ルール

勉強


教育や躾のような「子どもの育ち」に関する話をするとき、そういう語句と「人間性」を絡め合わせることがある。  




だけれども


たぶん多くの人は、日常の生活の中で挨拶が苦手な人に出会ったときにいちいち人間性を疑っているわけではない(と思う)し




『常識』やその捉え方は人によって違うものであるから


他人(特に子ども)の一挙一投足や言葉尻にいちいち「常識がない」とか「躾が悪い」「将来が云々」という主観的な憶測に基づいた、他者から目線の身勝手な評価を臆面なく口に出すことはそんなにない。


はずであろう。


という押し付けがましい私の価値観

を込めて書いたのが





 

「『ちゃんと躾けないと

将来困るんじゃない?』って

うちの旦那も言っていたよ。」


 そう言った彼女に、

私は元夫のことを話したことはないし、育児に手こずっている話をしたこともないのだけれど、

たぶん彼女から見た私は 


 「なんだか事情はわからないけど、男児が2人いるシングルマザー」だから


 躾には、きっと困っていることだろう。


それでも、ちゃんと躾けてあげないと、将来困るのは子どもなのよね。

頑張れ👏 

 というような

気持ちだったのではないかと思う。 


「うちの旦那も言っていたよ。」

その旦那様とはどんな人かというと、それは、今でもよくわからない。


 1度か、2度か、なにかで会ったことがあるけれども、とくに記憶に残らない一般的な会社員パパだったと思う。


 なにかをきっかけに、私達母子に関する話題がこの夫婦の間で出たときに 


 「ちゃんと躾けないと、将来困るんじゃない?」


俺のような?「ちゃんとした男に育てるには、母親だけでは難しいよ。」

と言っていた。 というような話だった。


 たしかに、そうなのだろう。


この旦那さんじゃなくたって、そう思う人はきっといる。


 将来のことなんて、誰にもわからないのだから。 


 そして、私は思うのだ。


べつに、困ったってよくない?
なにかに困ることなんて
誰にでもあるよね。 


 困ったことがない人っているの? 

 あなたは、何を躾けられたおかげで 

 今、困らない大人になったのですか?


 「将来困るよ」


 それは、きっとよく躾けられ、先見性ある大人になった人からの 


 「おまえも、俺みたいな 
立派な大人になれよ」という


子どもたちへのメッセージであり、  


 同時に
「ちゃんと育てろよ。」という 


 先見性なく母子家庭で子育てをすることになった、

愚かな女へのメッセージ
でもあるのだと思う。




 

人間社会で子どもを育てるとき、
「育てる」のは「人間性」であろう。


 人として「生きる力」と「人間性」

果たして、その関係は? 


 私達は人として生きながら人を育てる。

 成長途中の子どもを躾け、教え、導く。 


それは、大人の

多くは親の責務である。 


 「将来困らないように」
「恥をかかないように」
「迷惑をかけないように」 


 それは、「一食抜いたくらいで死なねぇよ」という、「生かさず殺さず躾」よりも、ずっと人間らしい「躾観」であると思う。


 しかしながら、私は
人として未成熟なまま、社会人になり
親として生きる準備が整わないまま親になった。 


 社会の中で大人としての役割を担い、大人として生きながら

子どもとの日々の中で、親としての役割を試行してきたにすぎない。

 


 そのためか
「将来困らないように」
「恥をかかないように」
「迷惑をかけないように」

それらが親としての子どもへの、躾の意義、目的、目標とは考えていなかった。


 困るとか恥ずかしいとか、迷惑とか 


それは、子どもが大人になる過程で、自分で感じながら、考え育っていくものだと思っていた。 


 他の誰かが非常識と感じる言動や、他の誰かがモラルがないと感じる振る舞いをしてしまったら、人間性や育ちを疑われるのは、恥ずかしい?


それが困るから、行儀やマナーやモラルを身につける??? 


 人間はゴリラでもサルでもないが、ゴリラのような人間もサルのような人間もいる。


それが人間社会であり、いろいろな人がいるなかで、どんな人にもそれぞれ、守られるべき尊厳や権利と言われるものがある。 


それが、人権というもので

生き方や考え方の相違とか
合うとか合わないとか

そういうものを超えて、認め合う努力をする。その性が人間性では???

こういった、記事である。



昭和生まれの私は


平成時代に産み育て

大人になったりくを


大学という社会に送り出したのは

令和


気がつけば

新聞にまで掲載される

ネットスラング


『弱者男性』



言いたいこともいえない

そんな世の中で


ポイズン




シンママOB

ならぬ 


シンママOGでもなく


シンママOM

オールドミスになったから





 

「男の子なんだから泣くな

 ぐっと我慢しろ」


と言ったら、妻から

「そういう言い方はしないでほしい」と

言われました。


こういう時代に未来を担う

息子に問いたい。



「女性の笑顔を

奪うんじゃない。


おまえ、男だろ?」