

おにぃちゃんが
ワクワク語った数ヶ月前
私の携帯電話に
元夫から連絡がありました。
再婚を予定しているので
養育費を減額したいという話でした。
このころ、長男はネフローゼ症候群との闘いが始まったところでした。
難病認定を受け医療費が助成されるようになるのは、さらに数年先の話で
このときに適用されていたのは高額療養費制度のみだったので、医療費の支払いは月に10万円を超えることもありました。
養育費は、月額30000円だったので
養育費が途絶えたからといって
医療が受けられないわけではないし、生活に困るわけでもありません。
それでも
息子たちが、「自分たちの親が離婚している」という現実と同時に、「それでも自分たちにはちゃんと父親がいる」という事実もまた真摯に受け止めながら、
「望まれて産まれてきた」ことを疑わずにいてほしいと私は勝手に願っていて
私達にとって養育費というのは
その証になりうる
大切なお金だと思っていました。
「親に」感謝するということを「我が子に」求めるつもりは、今も昔も全くありません。そして
この世に生を受けたことへの喜びを感じながら生きて欲しい。
その思いも、今も昔も変わりありません。
そういうわけで、このとき
「子どもたちのお金だから、私が勝手にいらないとか減らしていいとか言えることではない。」ということを元夫に伝え、
長男の闘病がこれからも続くだろうということを話しました。
すると元夫は、
「(医療費の助成が受けられないのは)あなた(私)が健康で働けているから。」で「再婚相手は、働けない奴だから」と言いました。
守らなければならない相手が
違うということなのでしょう。
子どもたちは親権・養育者であるあなた(母親である私)が守りなさい。
再婚相手は俺が守る。
そういう気持ちだったのだと思います。
そんな元夫の言い分も「間違い」ではないのだと
息子たちが大人になり「子どものいない母親」になることができた「今の私」は思います。が、
その時の私は
それは(私の望みと)違うと思い、続けて
彼らの将来、たとえば進学等につながっていくための大切なお金でもあるという話をしました。
すると
「子どもの将来は、俺には関係がない。」と答え、私に言い含めるように説明をはじめました。
「離れて暮らしているとそうなるんですよ。自分の子どもだとか、子どもの将来がどうとか、そういう(応援したいとか親としてなにかをしたいという)気持ちはなくなるものなんですよ」と。
正直に言えば
「そうだろうな」という、ホッとした気持ちもありました。
元夫の言葉は私にとって、離婚という選択が間違いではなかったということを肯んずるものであり
電話の向こうにいる男性は
息子たちの生物学上の父親であるだけで、私の夫ではない。
なにより私の大切な息子たちに、もはや何の影響も与えない他人であるということの証になったからです。
離婚しているから、離れているから
元夫がどんな人間であろうと
私達には関係がない。
親戚縁者、血縁であろうとなかろうと、世の中にはいろんな人がどこにだっているものです。
とはいえ
元夫が自身の再婚にあたって発した言を、私がブログに明記できなかったのは
この記事を書いた3年前
長男はまだ大学生で次男は18歳だったからです。
私にはまだ、「子どものいない母親」であるとの自覚が乏しかったのです。
彼らが実父からの情ー愛情ではなく、単なる情ーを疑ったとき、その事象は彼らを傷つける。
そう思っていました。
けれども今は、仮に
彼らがそのようなことを知ったとして
「まぁ、そんなもんやろ」
長男はそう言うだろうし
次男はきっと、「そうなんだね」と言ったまま、その話にはたぶん続きはありません。
ただ、それだけのことなのです。
なぜなら、今の彼らは今の私や元夫よりも、いつのまにかすでに大人だからです。
「男の子ってそういうもんだよ」
20年前離婚したばかりの私に
1歳だった次男りくの保育園の先生が言いました。
元夫のことを幼少期からよく知っている先生でした。
「(離婚のこともそうだけど)元夫くんって、いまだに親とかお姉さんに心配されてなにかと口を出されているよね」
「本人はどう思っているかわからないけど」
「末っ子とはいっても男の子って家を出て就職して働き出したら、いつの間にか
母親とか姉のことなんて大きく超えて大人になっているもんだよ」
「私達女性が、その人生に口を出せる隙は残してないのよ。
うちの弟も、そうだったもん」
「自然にそうなるものなんだよ。育っていたらね」
経済も家事も育児も母親一人
それがとりたてて苦しいものとの自覚はなかったにしろ
いくつかのリスクと背中合わせであったことは確かである。
それでもなんとか
大人になった息子たち
「男の子だから」
ということだけではもちろんないが
伸びた身長 発達した筋肉
体力 意思力 知性
そしてなにより思いやり
そういうものを惜しみなく
他人のために
使えるようになってほしい。
サルの社会では、ボスの地位は力で勝ちとるものなんだって。
腕力のあるボスザルは、先に自分が餌をとって食べて、子どもやメスはその残りを食べるんだって。
あ〜、そんな話あったなぁ。
だけど、それは
サルに限ったことではないと思うけどな。
人間にだっておるやん。
そういうやつ。
ゴリラ社会では信頼されているゴリラが、みんなからリーダーを任されていて
自分がとった餌を群れのみんなに、子どもやメスに分け与えるんだって。
「おまえ、ゴリラみたいな奴だな」
って言われたら
それは人間に対しての
褒め言葉だってことやなぁ。
20年前
母子家庭で男子を育てる
そのために息子たちへの父性を求めて
私が読んだ「ゴリラの本」の男性著者は
人類がサルの仲間から生まれたことは確かだが、いまいるサルたちが将来人類になるわけではない。人類の物語は進化の歴史上一回きりの出来事なのである。
と述べていたが
8年前
息子たちが小中学生になった頃
「ゴリラに励まされ、家族を作り父親になることができた」と記している。
そんな家族の歴史の中で
著者はさらに進化して
ゴリラの目で人間社会を眺めることができるようになったのだという。
座右の銘は
「ゴリラのような
泰然自若」
であるのだそうだ。
いまいるサルたちが
将来人類になるわけではないが
ゴリラの目で人間社会を
眺めることができる人間にはなれる。
たいぜん-じじゃく【泰然自若】
落ち着いていてどんなことにも動じないさま。▽「泰然」は落ち着いて物事に動じないさま。「自若」は何に対してもあわてず、驚かず、落ち着いているさま。
人間の進化とは、とてつもなく奥の深いものである。
参考
父という余分なもの
ーサルに探る文明の起源ー
ひとつの星々は個人の記憶や経験だ。
印象深い記憶は良くも悪くも強い光を放つ。
良いことが重なれば、私たちは
それらを結んで「幸せの星座」を描く。
「自分が頑張ったから」「あの人が助けてくれたから」と好みのナラティブで記憶をつなぐ。
悪い経験が重なれば、根拠もないまま
「あいつのせいだ」「自分は被害者だ」「と恨みつらみの「不幸の星座」を創るかもしれない。
星と星を結びつけるのは、私たちの脳内にいる「連想屋」デフォルト・モード・ネットワークの仕事だ。
何事もポジティブに捉える人が心の中にたたえる星座は暖色系で、ネガティブに考えやすい人の星座は寒色系かもしれない。
その違いには
遺伝子やその人だけが経験する固有の環境(非共有環境)が影響するのだろう。







